第82話 降光祭3

 急に光量が落ち、辺りの景色が戻って来る。燦燦さんさんと降る月明かりと燭台の暖色が混ざり合う大聖堂は、多くの人が言葉を失い、息を潜めていた。

 ラフィリアは封印されたのだろう。

 達成感と幸福感に体の感覚が鈍くなる。自分はやり遂げたのだ。


 へとへとだ。早くこの場から去ってしまいたい。

 立ち上がろうと冷たい床に膝をついたところで、心臓が締めつけられるように痛んだ。ラフィリアを封印することに必死で頭から飛んでいたが、女神の置き土産がその存在を主張し始める。自分の体の中で何かが暴れ回る感覚に怖気おぞけが走り、足は力を失ってその場にへたり込んでしまった。薄い膜のようなものが自分を囲っている。得体の知れないことが多すぎて泣きそうだ。


 ――何これ、怖い、助けて!


 声に出したつもりが、音になっていない。光越しにもやがかかったような視界の先にドルフが映る。


「リアっ!」


 こちらへ駆け寄って手を差し出す。


「やめろアードルフ! リアに近づくな!」


 これまでに聞いた事がないくらい鋭いフランの制止が飛んでくる。

 演壇から飛び降り、ドルフに後ろから抱き着く形で必死に止める。勢いあまって二人して尻餅をついてしまった。

 光の膜に少しだけ触れたドルフの右手が酷い火傷のようにただれ、血が滴っているのが見える。


「な、なんだよこれ……」


 あれは、自分がやってしまったのだろうか。

 ドルフの揺れる瞳に罪悪感が募る。

 リアをちらりと確認したフランは、ドルフの傷ついた手を隠すように手のひらをかざす。柔らかな薄緑色の光が漏れ出して、数秒の後フランが手を退ければ、傷は一つもなくなっていた。

 良かった。無事に治ったようだ。

 ドルフの心配をしたのも束の間、自分の中の違和感がどんどん大きくなっていく。体の中で何かが荒れ狂う。どうしていいかわからない。苦しくて、胸を掻きむしる。

 体が引きちぎれてしまいそうだ。


「っぁああああっ!」


 ――苦しい、苦しい、怖いっ、何これ!


 つらさに耐えるよう、きつく目を閉じれば、頭の中に自分の知らない記憶が浮かぶ。

 知らない人、知らない場所。

 体が痛く、内側で何かが大きくなる。息ができなくて苦しい。誰でもいいから助けて欲しい。


「リア」


 のんびりとした呼びかけに薄っすら目を開けば、フランがリアに合わせるようにして膝をついていた。優し気に微笑んでいるものの、顔や腕が傷だらけだ。自分がやったのだとわかったが、謝ることすらできない。

 だんだんと頭が朦朧としてくる。


「リア、大丈夫だよ。僕を信じて」


 苦しさに胸元を強く掴んでいた手を取り、フランは手のひらを重ねる形で指を絡め、もう片手をリアの胸元へそっと当てがった。

 上手く力が入らなくなった手が優しく握られる。


 ――僕はキミのためなら何だってする。だから、何も心配しないで。


 ひっそりと囁かれるフランの言葉は聞こえていたものの、混濁した意識では意味を理解できず、答える事もできない。だるく、瞼が落ちそうになるのを堪えるので精一杯だ。


 変化が訪れたのはすぐだった。体が温かくなり、呼吸が楽になる。それに従い、微睡んでいた思考がはっきりと覚醒する。次第に体の中を暴れ回る不快な感覚は小さくなり、やがて周囲を覆っていた忌まわしい光の膜も消えた。

 床に手をつき、しばらく息を整える。

 一体何だったのだろうか。


 落ち着いたところで顔を上げたら、何の脈略もなく突然ぽんっと目の前に淡い光が現れた。

 何事かと身構えるが、それはリアの拳ほどの大きさを保ち、電球のように光っているだけで攻撃性は感じられない。


「……凄いやリア! ラフィリア様から力を奪って自分のものにしちゃうなんてね!」

「はい?」


 フランがリアの揃えた指を持って、箱の開け閉めをするように手のひら上でぱかぱかすれば光が発生したり消えたりを繰り返す。


「マジか!? リアすげー!」


 ドルフの輝かしい笑顔が、わずかに黄みを帯びた光を受けて文字通り眩しい。


「とりあえず封印は完了したし、僕的には場所を変えたいな」


 フランの気の抜けた呟きと共に、その場の時間が動き出した。

 リアが思うに、ドルフが駆け寄った時点で皆動けたはずだが、目の前で繰り広げられる奇妙な光景に声を発することすらはばかられていたのだろう。ようやくすべての制約が取れ、自由になった手足を動かす者や恐怖に立ち尽くしたままの者、色々な反応がそこかしこから上がる。


 一連の騒動を見て、ここにいる人たちはどう思っただろうかと、無意識にフランとドルフから数歩距離を取ったところ、それをさらに広げるように乱暴に腕を引っ張られた。

 体をがっちりと掴まれ、首筋に当てられているのは切れ味の良さそうな長剣。

 抵抗してみるが、びくともしない。鍛え上げられた肉体は伊達ではない。

 騎士長だ。怒りに息を荒くし、フランを睨み付けている。


「貴様……ラフィリア様に何をした!」

「ラフィリア様は、あちらの像に封印しました。その子を放してあげてください」


 力の籠った声とは対照的に、ラフィリア像を手で示すフランは冷静沈着なままだ。


「今すぐ封印を解け!」

「騎士長様。その子、嫌がっているでしょう? 放してあげてください」

「貴様がラフィリア様を解放しなければこの娘の命はない!」

「封印の解き方までは知らないです。まぁ、簡易的なものなので、時間が経てばいずれ解けますよ。ですので、早くその子を放してください。人質ひとじちにしても何も出ませんから」


 フランは滔々とうとうと語るが、騎士長は怒髪天どはつてんき額に青筋を立てている。話は一向に進まない。


「この神聖な場で貴様はよくもラフィリア様を……!」


 衆人環視しゅうじんかんしの中、自分は首を斬られて死んでしまうのだろうか。少しだけ不安になる。助けを求めた先のフランは小さくため息をついた。

 それと同時に騎士長の持つ剣は忽然と消え、かわりにフランの手の中にあった。


「騎士長様。あなたは誇り高き騎士たちの頂点ではないのですか? 武器を持たぬ者に凶器を突き付けて殺すのが騎士の役目ですか?」


 侮蔑すら浮かべる凍てつく眼光で、フランは騎士長を射るように見据える。


「そんな騎士なら、いらないですね」


 フランは無造作に剣を放った。ごとり、と音を立て、瞬時に氷が取り巻いていく。刃渡りから柄まですべて凍ったところで、フランはそれを踏みつけた。

 剣身は氷を飛び散らせ、真っ二つに折れた。


「あなたが騎士になった日、国主様からたまわった大切な剣。折れてしまいましたね。残念だ」


 鼻で笑うフランはとても恐ろしい。目がわり、これは誰が見ても怒っている。

 逆らったら問答無用で命を刈り取られてしまいそうなほど圧倒的な力を前にして、誰も彼もが無力に等しい。

 自分に向けられた怒りではないが、取り巻く不穏な空気に息を潜める。


 そんなフランに釘付けになっていると、突然、拘束されたままの体に氷を押し付けられたかのようなひやりとした感覚が走り、びくりと震えた。視線を落とせば、騎士長がすっぽりと氷に覆われていた。恐怖を味わわせるためか、顔だけは何もしていない。

 固まる体から急いですり抜け、安全を確保する。


「騎士長様。僕があなたの遊びに付き合ったことを理解しておいでですか? こんな事をしなくても、初めからあなたをどこかへ移動させてしまうか、人質を移動させてしまうかすれば済む話ですから。ですが、そんな簡単に話をまとめてしまったら、沢山の部下の前であなたの面目が立たないでしょう? だから、最善の選択ができるようお膳立てしてあげたのに、結局自分で惨めな結末を選びましたね」


 にこりと微笑んだまま、フランは騎士長と距離を詰める。

 充分に近づき真正面でまみえた時、笑みを消して表情を変える。取り繕うのをやめた剣幕は、ドルフをも凌駕するほどの迫力を持ち、冷然としていた。この顔で凄まれたらリアでも恐怖に全身が強張こわばるだろう。


「僕はね、血腥ちなまぐさいのは好きじゃないんですよ。だって戦いなんて野蛮でしょ? ですが、これ以上あなたが愚かな真似をするようでしたら、僕はあなたを本気で殺しますよ」


 静かな脅しの後、騎士長に纏わりついていた氷は溶け、水がしたたる。震えているのは寒さからか、恐怖からかは定かではない。

 総政公そうせいこうをはじめ、この場にいる皆がフランの一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくに注目している。

 そんな中、自分を呼ぶ声に顔を上げた。


「リア、大丈夫か?」

「うん。何ともないわ」

「それにしてもあいつ超怖いだろ? ぶち切れてんの」

「うん……。普段怒らない人が怒ると怖いって本当だったのね……」


 リアはドルフと肩を寄せ合い、感情を分かち合った。

 余すことなく心胆しんたんを寒からしめたフランに逆らう命知らずはいないだろう。ラフィリアも封印して、どうにか降光祭こうこうさいは締めくくられたのだと愁眉しゅうびを開いたのも束の間、なんとまだ続きがあった。


 ドルフが壊し、跡形もなくなった大聖堂の扉の向こうから二人の人影が迫る。

 大きな人影は主様。小さな方はクラリスだ。

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