第81話 降光祭2

 格下であるはずの人間に易々と押さえつけられ、無様に床へと背をつける神に大聖堂内は一切の音を無くす。

 広がりうねる金髪が月の光を受け、青ざめて見える。

 燭台に灯る炎に揺らされる青い瞳は動揺に大きく見開かれた。


「え、なんで……?」


 人間を舐めていた顔からは、みるみるうちに色が失われていく。


「どうして!? 何で!?」


 自由にならない腕を動かし、躍起になって手のひらで冷たい床を叩く。その度に光がリアを襲うが、体に触れるとすべて霧散し痛くもかゆくもない。

 大勢の信者の前で、神としての尊厳が揺るがされる事態にラフィリアは激越げきえつとしてたけり、狂乱気味にわめく。


「どうしてこんな……! 人間なんかにっ!」


 毒づく言葉は力を持っていた。神のなせる技なのか、強い向かい風がリアを押し除けようと吹きつける。

 そんな膠着状態はすぐに終わりを迎えた。ラフィリアは何かに思い当たったようで、渾身の力を込め、右手をリアの拘束から引き抜く。


「もしかして……!」


 清らかさなど微塵も無い凶悪なつらでリアに手を伸ばす。

 抵抗する時間すら与えられず、淡く光る手が胸元に触れた。

 その瞬間、心臓が大きく跳ねた。

 視覚的にはリアの体の中にラフィリアの手が入っている。

 物理的ではないのだろうが、その光景は恐怖でしかない。

 何が起こるのだろう、とまばたきも忘れ、ラフィリアを組み敷いたまま成り行きを見守る。


 ラフィリアが発光し、影がなくなった。全てを包み込む勢いの暴力的ともいえる光に呑み込まれていく。

 常軌を逸していて、もはや感情は動かない。ただ、なすがまま身を任せる。

 もう一度、心臓がどくり、と脈打った。にたり、と愉悦にラフィリアの顔が歪む。

 しかし、事態は一転する。


「ぎゃぁぁぁぁぁっ!」


 リアの胸にめり込んだように見える腕に突如、光の筋のような細い線が無数に走ったのだ。ラフィリアがおぞましい悲鳴と共に、振り払うようにして手を抜いた。小刻みに痙攣する腕をめちゃくちゃに振り回し、痛みを散らそうとしている。

 それと同時に、何故か壇上のフランが吐き気を堪えるように口元を押さえてしゃがみ込んだ。

 どういう関係があるのかまったくわからず黙視するが、自分の身にも変調は起こっている。体内が熱くて、体の周りに光が吸い付くように集まっているのだ。

 動悸が収まらず、体がはち切れてしまいそうだった。

 どうしたら、とフランを仰げば荒い息をついている。


「そういうことね……どうやらフランシスさんはリアの事が好きすぎて、自分の子孫の安全は二の次だったらしい。急いで封印しないと。――アードルフ! ここの人たちを絶対動かさないようにしろよ!」

「あったりめーだろ! リアには指一本触れさせねえ!」


 威勢のいい声が頼もしく届く。

 フランは立ち上がり、心を静めるように長く息を吐いてまぶたを閉じた。リアには分からない言語で小さく呟き始める。フランシスの本に書かれていた封印の呪文だろう。リアは自分に与えられた役割を果たすため、ラフィリアを必死に押さえつける。先程の電撃が効いているのか、抵抗の力は弱い。


「待って! やめてっ!」


 ラフィリアはこの顛末を悟ったのか、必死に懇願する。か弱き少女のような大きな瞳は涙でうるみ、光を不規則に反射していて、ほんの少し良心がうずく。


「せっかく外に出れたのにっ……!」


 心の内を惜しげもなく漏らすラフィリアから手を放しはしないが、リアは自分の中で蠢く力に不快感を覚えていた。冷汗が止まらない。ラフィリアは何をしたのだろう。

 不意に、呪文を紡いでいたフランの声が止まった。その手には、いつの間にか青白い一筋の光が握られていた。丁度、長剣の形をしている。きっとそれは、ラフィリアを封印するために必要なくさびだ。


「リア、これでラフィリア様を貫くんだ。キミの知っている言葉と共に」


 フランはその不思議な力の宿る光をリアへ放り投げた。到底届く勢いではなかったが、それは意思を持っているかのようにこちらへ向かい来る。

 受け取りたいが、今ラフィリアから手を放してしまったら逃げられてしまう。どうしようかほんのわずか逡巡したが、フランが何も心配するなと言わんばかりに落ち着いていたのでリアは両手を女神の体から離し、近づく光を受け取った。


 その無防備な時間を無駄にするラフィリアではない。リアを突き飛ばし、軽やかに立ち上がると醜い形相を隠しもせず、倒れ込んだリアへ憎悪にたぎる一心をあらわにする。逆巻く風に金色の髪が逆立ち荒れ、薄い衣服が危うくはためく。燭台のろうそくが数個消え、まばらに闇が現れる。


「よくも……よくもラフィにはずかしめを……!」


 上から押さえつけられるような圧力を体に感じる。実際は何も障害なんてないはずなのに、確実に体の動きが鈍い。神の底力を目の当たりにし、今起こっている事の現実味が薄れていく。

 それでも、負けたくはない。

 リアは落としてしまった青白い光の剣に手を伸ばす。このまま、自由奔放な女神の思い通りになるなんてしゃくだ。重たい体を引きずり、光へ向かう。

 一国を束ねる国主こくしゅの娘として生まれたにも関わらず、モグラとしてさげすまれ嘲笑された価値のない自分。見返してやりたい。

 自分は神に負けない力を持っていると証明したい。

 あと少し、手が届く。


 指先が触れた時、ラフィリアは面白がるように希望の綱を掻っ攫う。見上げれば大笑いを堪えるように口元が力んでいる。わざとリアが触れる直前まで待っていたのだ。


「こんな危ないものがあるなんて。一体誰かしら、罰当たりなものを考えたのは」


 二、三回軽く振り、リアに切っ先を突き付ける。


「でも墓穴を掘ったね。これはリアちゃんにも効いちゃうんだよ。おしまいだね」

「ラフィリア様は、僕がわざわざこちらの不利になることをするとお考えですか?」


 哀れむようでいて茶化すような語調と共に、青白い光の剣はラフィリアの手から消え、リアから少し離れた場所に浮かんでいた。

 演壇に佇むフランから注がれる深愛の眼差しが、リアの闘志に火を点ける。

 よろめきながらも床に足を付け、絶対に放さないよう青白い光の剣をしっかりと握れば、温かな力が体中を巡るようだ。


「小癪な……!」


 ラフィリアが掴み掛かろうと肉薄する。この剣を取られてしまったら、形勢が逆転してしまう。体に抱え、背を向けて抵抗した。

 肩に手が触れる。身を固くした一拍後、ラフィリアの足元から水が勢いよく吹き上がった。


「ラフィリア様。申し訳ありませんが、我らの姫君があなた様を封印したいとおっしゃっておりますので、少々おとなしくしていていただけますか」


 ラフィリアを見下ろすフランは一蹴いっしゅうするように指をぱちん、と鳴らした。すると澄んだ水が収束し、白い薄布を纏う体に絡みつき動きを止める。蛇に囚われた小動物さながらラフィリアは身動きを封じられた。

 人間の力は効かないはずなのに、水を断ち切ることすらできず言葉すら失ってしまっている。一体何が起こっているのか、そんな惑いと驚きが神を人間におとしめている。


 今しかない。わかってはいるが、二の足を踏んでしまう。意気込みとは裏腹、足は頼りなく震える。このに及んで、神と対峙するのだと思えば思うほど怯懦きょうだに精神をむしばまれ、小刻みに剣が揺れる。リアは己の弱さに顔をしかめ、焦りに空回る心を落ち着けようと必死に呼吸を繰り返す。

 早くしないといけないのに、焦燥が思考を奪っていく。


「リア。何も心配しないで、キミの好きなようにやっていいよ」

「リア! お前なら絶対大丈夫だ」


 演壇と入口の両側から心強い激励がかかった。

 涼やかに軽く手を振るフランに、やたら暑苦しく拳を振り上げるドルフ。二人共、不安要素など微塵もないと疑うこともせず自信に満ちている。何の力もないリアにこの場をすべて託すというのに。


 途端に目の奥が熱くなり、雫が零れてしまわないように強く目をつぶった。ここまで自分を一途に想ってくれる人は、きっとこの二人が最初で最後だ。

 立場が変わって、手のひらを返したように態度を変える者ばかりだった。血の繋がった家族ですらリアを捨てた。信じては裏切られる、その繰り返しの人生。

 でも、フランとドルフだけは自分がどんな失態を犯しても見捨てたりはしない。地獄に堕ちたとしても、一緒についてきそうだとすら思える。

 何があっても揺らがない強固な絆がそこにはあった。それは何物にも代えがたい大切な力だ。だから、リアもそれに応えたいと強く想う。


「私をっ、信じてくれてありがとう! どんなことがあっても、私はあなたたちのことが大好きよ!」


 ――僕もだよ。

 ――俺もだ。


 二人の唇が小さく動く。声は聞こえなくても充分だ。温情に溢れた面差しが形作る笑顔は柔らかく晴れ渡っていたから。だからリアは夜の闇にも、光の女神にだって打ち勝てる。


 恐れを拭い去り、無防備に水に巻かれるラフィリアの眼前へとしっかり立った。光でできた剣を両手で持ち、大きく振りかぶる。重さは感じない。剣術なんて全く知りはしないので格好がついていないかもしれない。なりふり構わずそれをラフィリアの胸に振り下ろした。

 力を込めなくても先端はラフィリアの中に沈み込んでいく。青白い光が漏れ出し、ラフィリアを内包していく。迷いなんてない。

 今だ、そんな直感に従い、リアは腹筋にありったけの力を込めて最後の言葉で封印を締めくくる。


「キクストリラシ!」


 不安はなかった。上手くいく予感しかしない。剣の形が崩れ、ひと際強い光となってラフィリアに纏わりついていく。眩しさに目を細めながらも事の顛末を見届けようと、必死に瞼を押し上げる。胸を貫かれたラフィリアは手足をばたばたと動かしていたが、すぐに横溢おういつする光にかき消されてしまう。光は凝縮し、リアの体をすり抜けて宙に浮きフランの後ろにあるラフィリア像に吸い込まれていった。

 後には何も残らない。リアは一人、床の上に座っているだけだった。

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