第78話 光さす方へ
一定の速度で近づくごとにフランの瞳は輝きを取り戻し、生気が感じられなかった
「り、リア!?」
信じられないものを見るような驚愕は、彼にしては珍しく感情が先に立っている。
「どうしてここに!?」
ラフィリア像を背にして、壇上からリアを見守る。
「フランのこと考えてたら、ここに転送されちゃったみたい」
歩みは止めず、正直に答えた。広い空間に反響する声は少し硬い。
フランがその言葉にどう反応するのか、じっと目を逸らさない。彼の本心を知りたかったから。ほんのわずかに伏せられる視線、それだけで充分だ。
「早くここから出て行かないと、キミまで捕まってしまうよ!」
慌てるフランに構わず演壇を目指す。大きな天窓から差す月は、くっきりと光と影を室内に落としている。今の時間、丁度一番前の席から体一つ分の場所が境目になっている。リアは影から踏み出し、光を受けたところで立ち止まった。フランまでの距離は高低差を無くせば、ほんの五歩程度。
「私も今日処刑される予定だもの。国家反逆罪として。場所は教えられてないけど、多分ここでしょ」
「何でキミが!? ボーマン様は!?」
「ボーマン様は私を
自分で言っておいて、絶望的な状況だ。それはもう笑ってしまうくらいに。
フランは言葉を詰まらせ、苦虫を嚙み潰したように目元を険しくさせる。
「……とにかく、キミは早くここから逃げるんだ。僕がキミの力を制御して外へ転送するから」
「これは私の力じゃない。フランの力でしょ。返すわ」
どうせ上手く使えやしない。
「何を言っているんだい、ここにいたらキミまで殺されてしまうだろう!?」
「まるであなたは殺されていいみたいな言い方」
「僕はラフィリア様のための
「そんなの知らない。総政公があなたを処分したいだけでしょ。ラフィリアとの国づくりの邪魔になるから。そんな利己的な理由で殺されるなんて、あっていいわけない」
演壇のすぐ下まで行ってフランを見上げる。絶対に折れるわけにはいかない。
「あなたの力で一旦ここから逃げて、ラフィリアに対抗するすべを考えましょう」
諦めるにはまだ早い。根拠はないが、そう思えた。だから、ひたとフランを見据える。暗く沈んだ瞳は、月明かりを避けるように足元を映す。感情が溢れてしまわないように堪えているように見えた。
「……キミは、いつも僕の決意を揺るがせるんだ……」
消え入るような呟きは弱々しく零れ落ちる。それを振り切るように上げた顔は、隙のない鋭い表情だった。他者を拒絶するような
「さ、お話しは終わりだよ。キミが暴れようと、ここから退出してもらうからね」
フランが演壇の縁に近づくが、リアは声を荒げる。
「自分勝手にいつも決めるけど、今回だけは譲れない。私もラフィリアには苦労させられてるの。第一、国外まで逃げられたとして、私には頼れるものなんて何もない。だから、どのみち死ぬだけよ」
「キミに力をあげたじゃないか。それを上手く使えば、人に取り入ることができる」
「さっきも言ったけど、これは私の力じゃないし、欲しかったわけじゃないわ。あなたが勝手に押し付けたの。こんなのいらない」
取りつく島もないくらい、きっぱりと吐き捨てる。
「これまで力が無くて不当な扱いを受けたキミのためを思って、先がない僕の力をあげたんだ」
「私は人の力をもらっても嬉しくない。だからこの力は返すわ」
「何を言っているんだ。キミはここで死ぬべきじゃない。逃げるんだ」
「嫌。私はあなたを助けに来たの。あなたがここから出るまで私はどこにも行かないわ」
強気に出れば、フランはうんざりしたように短く息を吐いた。
「リア、そんな意地を張っていないで聞き分けて」
「意地を張っているのはあなたでしょ? 自分は犠牲になるだとか、平気な顔してるけど、本当は助けて欲しかったくせに。そっちこそ、もっと素直になったらどう?」
「キミに僕の何がわかるっていうの? 僕はずっと自分の運命を考えてきたんだ。それで出した答えがここで犠牲になることだ。キミにとやかく言われたくない」
「私だって自分で決めて、あなたを助けにきたの。フランにとやかく言われる筋合いはないわ。あなたがラフィリアや国の犠牲になるって言うなら、私もここで処刑されるわ。私だけじゃラフィリアに対抗できないし」
売り言葉に買い言葉、互いに頭に血が上り、次第に口論が激化していく。
「ラフィリア様のことは忘れて生きればいいんだ。キミがこんなに聞き分けが悪いとは思わなかった」
「ラフィリアのことを忘れて生きろ? あなたそれ、本気で言ってる? 私は生まれた時からラフィリアに翻弄されてきたし、五百年も前から私の運命はラフィリアと共にあるって決まってたじゃない。あなたも知ってるよね。あなたが私に五百年前の本を見せたんだから。それなのにそんなこと言うなんて、あなた見かけよりずっと馬鹿だったのね」
一息に
「はぁ? キミの方が馬鹿だろ。せっかく生きるすべを与えられているのに、それを無駄にするなんて僕には考えられないね」
「あなたこそ力を持っていて長いこと時間はあったんだから、さっさと本気出してこんな国から逃げればよかったじゃない。それにあなたからの手紙、あれで、あなたは私に対して一緒に生きてと言っているじゃない。違うなんて言わせないから」
「そんなことを書いた覚えはないね。まさかキミがここまで分別がつかない子だとは思っていなかったよ」
「本当は私がここに来て嬉しいくせに」
あなたのことはなんでも知っている、というふうに少しだけ上からの物言いになる。
「ずいぶんな自信だ。でも残念ながら、僕はキミがここに来たからといって何とも思っていない。抱いている感情があるとすれば、それは僕の計画を狂わされた怒りだ」
「そうね。でも、その計画を私に壊して欲しかったんでしょ? もう一度言うわ。ここを出て、一旦話し合いましょう。ラフィリアはまだ力をすべて持っていないし、私、秘策を知ってるの。だから、あなたさえいれば、まだ未来は変えられる」
それは本当だ。だからはっきりと言い切れる。
揺るぎのないリアにフランは途端、押し黙った。リアから逃れるように目を
「……なんでキミはそんな馬鹿みたいに前向きなんだよ。
微かに震える声は乱雑に放たれる。
「全然平気じゃなかったわよ。綺麗な服もない、毎日のティータイムどころか三食まともに食べられたためしがないし。会う人に馬鹿にされたり、あからさまに避けられたり。地上では想像もできない暮らしぶりだった」
今思い出してもつらい。未来なんて考えられないほど真っ暗だった。
「初めのうちはずっと泣いて過ごしたわ。……でも、人間そんなやわじゃないの。どん底でも大切な人に出会って、救われて、いつしか当たり前に境遇を受け入れて生きてきたのよ。私は死にたくないから」
どんなに辛くても、生ある限り死ぬことは考えられなかった。だからフランが今、悲しい顔をしている意味が分からない。どうして目の前にある希望に手を伸ばさないのだろう。
「……キミに出会ったのが間違いだったんだ。ラフィリア様の封印が弱まっていく中で、ずっとずっと自分の運命を諦めるために色々やって、ひとつずつ可能性を潰して、どんなに
力のないくぐもった声は、胸の奥に抱えていた大きな恐れを痛切に表現する。背中を丸め、消沈する姿は背負わされた重荷に潰されそうな一人の人間だ。
「……それなのにキミは僕に希望を与えるんだ。キミがあんまりにも前向きだから、僕までそっちに引っ張られてしまう。どんなに抵抗しても、最後には
聞き捨てならない。
リアは演壇の縁に手をかけ、強引によじ登る。その勢いを殺すことなく、フランの頬へ力の限り平手打ちを叩き込んだ。乾いた音が広い空間に吸い込まれる。
数歩よろめき、何とか転ぶのを耐えたフランは頬を押さえて唖然とする。
「な、何でそうなる!?」
上ずる声で瞠目する顔は、これまで見た中で一番間抜けだ。
「あなたは何を気にしているの!? 意味がわからない! 生きることに必死になって何が悪いの!?」
構わず言いたい事を言わせてもらう。
「本当に諦めたかったのなら、さっさと私を見殺しにすれば良かったのよ! そうしたらあなたの言う可能性が一つ潰れたはずじゃない! どうして最後まで残したのっ!? あなたがいなかったら私は選んだ道の先、不可抗力でとっくに死んでるはずだったのに!」
もう止まりそうもない。フランを責めずにはいられない。
「
感情的に叫んだ後、涙が溢れ出した。次々に頬を伝い、拭っても拭いきれない。
張り詰めた夜気に静かな嗚咽だけが流れる。気温は低く肌寒いのに、顔だけがほてり熱い涙を流す。
数秒の後、
「……ごめんね。リアの言う通り、僕は自分勝手だ。初めは五百年前から続く目的と義務感のためにキミに接触した。でもキミを見ていたら、あまりにも元気で一生懸命だから、
これまでで一番穏やかで飾らない顔は、どんなに取り
「キミがルーディさんに刺された時、本気で焦った自分に驚いたんだ。僕はずっとオルコット邸に監禁されていて一部始終を見ていたんだけど、世界からキミという存在が消える恐怖を確かに感じた。他人に対してこんな感情を抱くなんて思っていなかったよ。キミは僕の作る壁を無遠慮に越えちゃうんだ。今だってそう。僕がどんなにキミを拒絶しても諦めてくれない。……本当にとんでもなく厄介な子だよ、キミは。僕にはちょっと眩しすぎる」
そっと笑うフランの目は柔らかく
彼はもう大丈夫。後ろは向かない。リアはそれを見届け、自分も悲しみを手放した。
「厄介で結構。私は自分の目的のために動く。ラフィリアをこの世界から消すのが今一番の願い。そのためにはあなたが必要だから、私に手を貸して」
鼻声は隠し切れないが、涙はもう流さない。袖でしっかりとふき取って、フランに手を差し出す。
「僕がキミを利用していたはずなのに、いつの間にか立場が逆転するなんてね」
言葉とは裏腹、どことなく嬉しそうに手は重なった。そのままフランに手を引かれ、愛おしむようにそっと抱きしめられた。
「ありがとう、リア。キミがいてくれたから、僕は生きる意味を見つけることができたよ」
言った後、ふわりと甘ったるい匂いが
時間としては十秒ほど。リアを腕から解放したフランは音を立てて両手を合わせ、それを広げた。手の間には水が浮かび、手のひらを上に向けると丸い水滴になって宙を舞い、降り注ぐ月の光を反射してきらりと光る。指を鳴らせば、それらはぱっと消えてなくなった。
久しぶりの力の感覚を確かめたフランは予後が良かったようで、にっこりと微笑む。
すっかりいつものフランだ。
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