第76話 平和条約締結の日の幻影
映し出された応接間の内部には、大きなテーブルが設置されている。今は亡き
両開きの扉が叩かれ、静かに開いた先から立ち入ってくるのはフランだ。
しばらくぶりに見る姿に懐かしさが吹き抜ける。
「皆様、遅くなり申し訳ございません。……総政公様もいらっしゃったのですか。ごきげんよう」
相変わらず表情は一定で、ゆったりと挨拶を述べる彼が何を考えているのかは想像もつかない。
国主は厳めしい顔で、フランに扉の前の席へ座るよう促した。
フランは軽く会釈をして、言われた通り腰を落ち着ける。国主、総政公と向き合う形になるが、顔色は少しも変わらない。
「フランシス。お前はこの国にとって脅威だ」
きつく
対するフランは鼻で小さく笑う。
「何をおっしゃいますか。私は国主様の地位を奪おうなどとは考えておりませんよ」
「ラフィリア様の封印を解いたのは、お前だろう」
「やだなぁ。だってあれは、あと数年で自然と解けてしまうものだったでしょう? 多少前後することがそんなに重要ですか?」
相手を逆撫でするように口調を崩せば、総政公がその挑発に乗り、テーブルを強く叩いた。
「お前という奴は……! あの中身の書かれていない本だな!? 奇跡の力については一切教えていないはずなのに、アードルフにまで余計な知識をつけさせて!」
椅子を後ろに倒す勢いで息巻く総政公には目もくれず、フランは国主だけを見つめる。その冷めきった紺色の瞳に感情はなく、ただただ
「グレイフォード家とオルコット家が、ラフィリア様の封印を監視する役目だというのは知っていますよ。そして、ラフィリア様の封印が弱まる中、国主様とオルコット家当主である総政公様が気を揉んでいたこともすべて」
心の中を見透かすような冷ややかな
「そんな時代にグレイフォード家のお嬢様が奇跡の力を持たず、オルコット家の子供が膨大な力を持って生まれてしまった。……ラフィリア様の
それはきっと事実だ。その場の沈黙が肯定を表している。
「貴様……。何を考えている!」
国主は威圧するように大声で怒鳴り散らす。それにもフランは畏縮することはなく、涼しく凪いだ穏やかさだ。
「私は別に、あなた方の害になろうとは考えておりません。どう転ぼうと、私はどこかのタイミングでラフィリア様に殺される筋書きでしょう。あなたたちの中では」
国主、総政公、主様、そしてクラリスを慈しむように見回す。
このひりついた場に笑顔など不釣り合いで、確かな恐怖を自覚させる。
一体フランは何を考えているのだろう。絶対に裏があるはずだ。しかし、難解過ぎて答えは出ない。
「私は人間ですので、さすがに神には敵いません。だから、私は死ぬことを受け入れております。ラフィリア様がこの世にいる限り、あなた方の勝ち、ですよ」
満足した、とばかりにフランは頭を下げ、締めくくった。
急に訪れた静けさに、次は誰が発言するのだろうと、追体験しているだけのリアでさえ緊張で手のひらが湿る。
「お兄さんは、死ぬのが怖くないの?」
可愛らしい声はクラリスのものだ。この幻影はクラリスの視覚情報らしく、フランがこちらを向く。この時には、もう先程の冷たさはない。視線を天井に這わせ、顎に手をやる。
「んー、死ぬのはさほど怖くはないけど、死ぬ前に痛かったら嫌だなぁ。僕、痛いのは嫌いなんだ。……あなたの奇跡の力は痛そうだから、ぜひ使わないでいただきたいね」
最後は眉を下げて苦笑した。
「あはは。お兄さん子供みたい!」
無邪気な笑い声が、ほんの少しだけ場を和らげる。フランも合わせてにっこりと微笑み、真っ直ぐにこちらを見つめた。
「――ところでキミ。今、窮地に立たされていない?」
少し面白がっているような響きに、リアは思わず声を上げそうになったが、口元を両手で押さえて堰き止めた。
深い海の底のような瞳は他の誰でもなく、リアを映している。これはクラリスにではない。リアに宛てているものだ。
「何を言っているの? 絶体絶命なのは、お兄さんでしょ?」
突然不可解な言葉をかけられ、当然の事ながらクラリスは訝しむ。フランは慌てるでも取り繕うでもなく、得意げに少しだけ胸を張った。
「これからの計画は、僕を殺してラフィリア様と共に国づくりをする、って感じだろう? そうしたらあなたは、ラフィリア様に近しい国の重要人物になるわけだ。それにしては、あなたの力の使い方は精緻さを欠いていると思ってね。ただ大きな刃物を具現化してばっさりやるなんて、美しくないんじゃないかと」
「どうしろっていうの?」
「あなたは、まだうまく力を制御できていないんじゃない?」
図星だったのか、クラリスはむっとして唇を尖らせた。
「まだキミは力を持って間もないから、制御の仕方なんかわからなくて当然だよね。……そうだな、自分の中にある力を信じて強く願ってみるのもいいかもね。奇跡の力っていうのは感情と結びついてるみたいだから、意外と上手くいくかもよ? 僕の弟はそれでよくボヤ騒ぎを起こして、周りに迷惑をかけているんだ」
小さく笑うフランにドルフが重なる。確かに感情の振れが大きいと炎が溢れ出る。それを思い浮かべたところで、フランはリアが見えているかのように小さく頷いた。リアならできるよ、なんて聞こえてきそうだ。
「ふぅん……。わたしの力……確かに、もっとたくさんの事をできるようにしたいかも!」
「まずは自分を信じる事。その後、徐々に習っていけばいいよ。あなたは聡明だから、きっとすぐに覚えるんじゃないかな」
「頑張ってみる! みんなに凄いって言ってもらえるようにならなきゃ!」
「その調子。頑張ってね。キミなら絶対大丈夫だよ。最後にキミに出会えてよかったよ。ありがとう」
言う顔は非の打ち所の無いほど整い、穏やかで達観している。別れの挨拶まで完璧で、ゆったりと口元を緩ませ、未練など感じさせない。
これは嘘だ。
リアを助けるふりをしているが、フランがリアに助けを求めている。完璧な顔で覆い隠した本心がその奥にあるのをリアは知っている。
「おしゃべりもそこまでだ、フランシス。お前は突拍子もないことをし出すからな、滅多な事をするんじゃないぞ。自分の立場を忘れるな」
リアを現実に引き戻したのは国主の声だった。
「わかっておりますよ、国主様」
フランの横顔は情を感じさせない曖昧なものになっていた。
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