第75話 降光祭の裏側

 ラフィリアの一方的な殺戮さつりくを見せられた後、事態の収束のため外はしばらく騒がしかった。妻と子供を殺された青年は、ラフィリアを不快にさせたという馬鹿げた理由で情状酌量じょうじょうしゃくりょうの余地なく逮捕された。

 今回の騒動はあの青年の言動のせいにされ、終わるのだろう。

 先程からため息しか出ない。


 リアは夕方になってから、治安部隊の詰所にある牢に移動させられた。

 窓が無く、閉塞感で窒息してしまいそうな狭い一室に閉じ込められている。石が剥き出しの壁と天井、そして床。椅子などはなく、膝を抱えて座るがすぐに臀部でんぶが痛くなり、体重をかける位置を変える。外では未だたくさんの人が浮かれ、騒いでいるはずだが、ここには人々の喜びの声は聞こえてこない。

 聞こえるのは近くを通る兵の苛立ちだ。


『ラフィリア様が子供を殺してしまったんだ、早く対応を』

総政公そうせいこう様はその者の家族に金を渡しておけと言っているんだ! それでも何か言うようであれば捕らえろ!』

『ですが!』

『これ以上、手をわずらわせるな! 言われた通りにしろ!』


 忙しない足音が遠ざかる。

 やはりラフィリアは、皆が思っているような女神ではない。多少感情は動くが、今のリアにそれ以上の感慨はない。自分はあと少しの命なのだから。


 これから処刑されるのだと教えられたのは、ここへ連れてこられた時。大教会の兵と主様あるじさまがやってきて淡々と宣告され、抵抗も虚しく投獄されてしまった。

 無理矢理着替えさせられた真っ白な式典用の衣が床に広がり、沈む心を嘲笑うかのように薄闇に浮かび上がる。


 何もすることがなく、無造作に置かれた真っ白なろうそくをただ見つめる。

 一体、どれくらいの時間そんなことをしただろうか。ろうは灯る火に溶かされ、垂れて燭台に落ちていく。刻一刻と短くなっていくろうそくが自分のようで切ない。

 決して大きな火ではないが、確かに辺りを照らし、己の存在を主張する。しかし、それも残り僅か。これまでの行動はすべて足元に落ち、意味を成さない。

 死にたくない。でも、敵ばかりのこの町でどうやって生きていけばいいのかなんて、いくら知恵を絞っても解決策は出てこない。

 空転して手応えがない思考を止めるように、顔を膝へ埋める。

 目を瞑れば自然と聴覚が澄まされる。正面に位置する扉の向こうで何かが動く気配を感じ、すぐに顔を上げた。


「お姉さん」


 固く締められた鉄の扉を力いっぱい押し開けながら、声をかけてきたのはクラリスだ。

 癖のない銀髪は結い上げられ、沢山の髪飾りを付けていて、どこかの令嬢のように美しい。リアの前に置かれたろうそくの手前で立ち止まり、こちらを見下ろす。


「ごめんね、お姉さん。お姉さんはこれから処刑されちゃうの」


 無垢な子供のように、しゅん、と悲しみに目を伏せるクラリスの態度に怒りが湧く。呼んでもいないのにいきなりやって来て、聞きたくもないことを言って、嫌がらせにしか思えない。


「あなたはそれを私に伝えて何がしたいの? 偽善者ぶりたいの? 自分は悲しんでます、ってわざわざ恩着せがましいにも程があるわ」


 もうどうせ死ぬのだ。ここでクラリスに殺されても構わない。

 一度たがが外れてしまえば、本音が唇からすり抜ける。


「あなたは懺悔ざんげの日に私を傷つけた。それなのに何も知らない顔をして、家族になろうだとかふざけたことを言って。私は自分を傷つけた人は信用できない。二度と私の前に現れないで」

「……そっか。そうだよね。……お姉さんが気に入ってる黒髪のお兄さんと一緒に殺してもらえるように取り計らってあげようかと思ったけど、お姉さん、私に酷いこと言ったから別々に死んでもらうことにするね」


 軽々しい憫笑びんしょうは、人の命など取るに足らないものだと隠しもしない。


「フランの事? フランがそんな簡単に死ぬとは思えないけど」


 つっけんどんに返す。ここで取りつくろっても意味がない。最後くらい好き勝手に言わせてもらう。


「お兄さんは今日、処刑されることに納得してるよ。降光祭こうこうさい、それはあのお兄さんを殺すのも重要な事柄なの。深夜の大聖堂で、お兄さんはその命を終えるんだ!」


 まるで楽しい余興のように声を弾ませる姿は狂気だ。

 クラリスが動くたび、ろうそくの小さな火が危なげに揺らぐ。


「……総政公が首謀者ね。趣味が悪いわ」


 口からは悪態が飛び出すが、それでいい。


「首謀者だなんて、総政公様が悪者みたい。あのお兄さんはラフィリアちゃんの脅威になりうるから、消しておかないといけないんだよ。何故だか、強かった奇跡の力もまったく消えちゃったみたいで今しかない、って」

「そうやって弱い者いじめをするのね、あなたたちは」


 フランの力は今、リアがそっくりそのまま持っている。何もできないフランを手に掛けようだなんて卑怯だと、はらわたが煮えくり返る。


「何でそんなに怒るの? この国の人はみんな奇跡の力をありがたがってラフィリアちゃんを信じているんだから、それに異を唱える人が邪魔なのは当たり前だよね。お姉さんはそんなお兄さんに加担した。それは国民を脅かす立派な罪だよ」

「そんなの間違ってる。フランは何も悪い事してないじゃない」


 やりきれない思いを苦々しく吐き捨てるリアに、クラリスは哀れとでも言いたげな視線を落とす。


「お姉さん。そういうのは良いとか悪いとかじゃないんだよ。正義とか悪って、すごく移ろいやすくて曖昧なもの。大多数が良しとしているのならば、今はそれが世の常識、正義だよ」


 核心をついた物言いにリアは返す言葉がない。

 正にその通りだ。大勢の民衆が賛成すれば、いくら少数派が正しかろうが関係ない。間違いは少ない方だ。

 しゃがみ込むリアを見下す目には勝者の余裕が光る。


「お姉さんには最期に、お兄さんの決意を見させてあげる。平和条約締結の会議があった日、話し合いが始まる前にお兄さんを交えてお話しをしたんだけど、ラフィリアちゃんにお願いして、あの日の出来事を幻影として見れるようにしてもらってたんだ」


 クラリスは胸元にげていた黄色の石がついたペンダントを両手で包んだ。それを放すと、煙越しのようなおぼろげな光が辺りを覆い尽くす。やがてそれらは一点に濃く集約していき、親指の先ほどになってしまった燭光しょっこうを起点にして、大教会内の応接間を鮮明に映し出した。

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