第74話 神と人間

 今日は降光祭こうこうさいの日。

 ラフィリアが復活して初めて民衆の前にお出ましする、その当日だ。

 皆の興味を総ざらいしているといっても過言ではない。

 地上のみならず、地底にもラフィリアは姿を見せ、人々を大いに沸かせた。普段はラフィリアなんて信じていないモグラたちも、この時ばかりは可憐なラフィリアを歓迎し、喝采かっさいを送ったのだ。


 そんな大熱狂の裏で、リアは地上に移送された。

 この都市で一番大きな公園のそばにある治安部隊の詰め所に連れられ、一室に監禁されてしまった。


 部屋からは外の様子がよく見える。しかし、窓には鉄格子がめられ、逃げることはできない。

 群衆の作り出す興奮が大波となって次々に町を呑み込み、午後のひと時を浮かれた狂乱の場に変える。少しだけ開けられた窓からは、公園で演説するラフィリアの蜜を持った声が熱気に紛れて侵入してくる。

 すべては聞こえないが、崇拝してくれてありがとう、一緒に素敵な暮らしをしましょう、などていの良い言葉に周囲が湧き立っている。


 しばらくの間、リアはそんな虫唾が走るような説法を壁に寄りかかって聞いていた。

 公園を後にする際、この窓が面している道を通るだろうと待ち構えているのだ。

 忌々しいラフィリアの動向が気になり、窓の外をじっと見つめる。嫌味なくらい雲ひとつない晴天だ。

 ガス灯が等間隔に並ぶ歩道は行き交う人でごちゃごちゃだが、徐々に速度が落ち足を止め始めた。

 気がつけばラフィリアの声は止んでいて、絶え間なく道に充填じゅうてんされる高揚が人々の熱をさらに強くする。


 一際大きな歓声につられ顔を向ければ、左側から大きな二頭立ての馬車がゆっくりと姿を現した。ラフィリアは馬車には乗らず、手を振りながら先頭を歩いていた。豊かな金髪が背中に流れ、純白のドレスはけがれ無き乙女だと信じさせるほどに清らかだ。

 多くの目を惹きつけ、崇めさせるだけの美しさと振る舞いがそこにはあった。正体を知るリアでさえも、その堂々たる風姿には圧倒されてしまう。


 ラフィリアの周りには、四名の騎士が護衛として峻厳しゅんげんに睨みを利かせているので、不用意に近づこうとする者はいない。皆、『ラフィリア様、日々見守っていただき感謝しております』など弾けんばかりの笑顔で祈り、ありがたがる。

 五百年ぶりに現れた女神を一目見ようと、国内の様々な地方から人が押し寄せているだけはある盛り上がりだ。


「ラフィリア様!」


 歩道の一番手前にいる青年の朗々とした呼びかけはよく通り、ラフィリアの視線を独占することに成功した。

 その青年の横には、お腹の大きな女性がいる。

 あと少しで家族が増えるのだろう。

 どちらも幸せそうに目元を緩ませているので、自分は投獄中の身だというのに幸せのお裾分けに胸が温かくなり、図らずとも顔がほころぶ。そんな単純さが少しだけ恥ずかしい。


「ラフィリア様! 僕たちはラフィリア様をこれまでも、これからもずっとお慕い申し上げます! 産まれてくる子が女の子であったら、ラフィリア様にちなんでリア、と名付けさせていただきます!」


 周囲からは割れんばかりの拍手が巻き起こった。

 照れたように笑う二人はとても微笑ましい。思わずリアも寒々しい一室で手を叩いて祝福してしまう。


 この国ではありふれた名前ではあるが、人気は高い。かくいうリアも同じ理由で名付けられた。

 光の女神を尊崇そんすうし、女神のように美しくたおやかな女性になるように、そんな願いが込められていたはずだが、当のリアはラフィリアをこの世から消滅させようと相対する存在になってしまった。なんという皮肉だろう。

 自嘲気味に軽く笑ったところで、ラフィリアが若い夫婦の方につま先を進めた。


「ちょっと! ラフィ、リアって子は嫌いなの!」


 リアのいる建物に背を向ける形になっているので表情は見えない。しかし、尖った口調には明確な怒りがあった。

 周囲が一瞬にして緊張する。


「リアって子は、ラフィの思い通りにならないんだから!」


 言いながら無造作に手を左から右に振り切った。

 合わせるように飛び散ったのは血だ。

 どさりと地面に倒れ込む重たい音。


 木々のさざめきさえも聞こえるような静寂。我に返った誰かのけたたましい悲鳴が、平穏な午後のひと時に幕を下ろす。

 空気を引き裂くような甲高い声が人だかりで上がったのをきっかけに、青年の周りからはざっと人が引いた。


 女性が倒れたのだ。血だらけで。リアからはラフィリアが陰になり詳しくは見えないが、恐らく、死んでいる。

 青年が自失し立ち尽くす中、目の前で起きた殺人に混乱をきたした烏合うごうしゅうが我先にと他人を踏みつけ倒し、押しのけ逃げ出そうとする。


 祝いの尊い場は、見る間に酸鼻さんびきわめる事件現場へと変貌を遂げた。

 ラフィリアが何の罪もない人を殺したのだ。


「な、なんてことを……」


 リアは窓に張り付き、ラフィリアの言動を逃すまいと一秒も目を離さない。

 窓を隔てた先では悽愴せいそうな光景が広がる。馬車を引いていた馬は人々の大声に驚き、暴れ回る。御者が必死になだめるが、右往左往し逃げ惑う人を今にもきそうだ。凶行の近くでは気絶する者や嘔吐する者が続出している。


「あ、あれ? 刺激が強すぎた? ごめんって、すぐ消すから!」


 ここまで騒ぎになるとは思っていなかったのか、ラフィリアは慌てたように血まみれの遺体に手をかざした。強い光が閃き、またたきの後には何もなかったかのようにすべての痕跡が消えた。

 本当に、何も残っていない。血痕の一滴でさえ綺麗さっぱりなくなっている。

 まるで、あの女性など最初から存在していなかったかのようだ。


「せっかくの子孫をダメにしちゃってごめんなさい。でも、また相手を見つけて繁殖してよ! 可愛い女の子はいっぱいいるからね。ラフィリアは、あなたの幸せを心から願っております」


 慈愛に満ちた魅惑のほほ笑みで、女神はその場を収めようとする。

 人を殺したとは思えない態度は、その場を戦慄せんりつさせる。

 ラフィリアは人間とは決定的に感覚が違う。

 人間など虫と同じ感覚なのだろう。むしゃくしゃして卵を潰してしまったけれど、同じ種族がいればまたどこかで卵は自動的に誕生する。だから罪悪感など無い。それと同じなのだ。

 多分ラフィリアには、この場にいる人が何故怖がっているのかを正確に理解するのは無理だろう。


「う……うぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 青年は激しい慟哭どうこくで、この阿鼻叫喚の場をさらに掻き乱す。

 数分前まであった当たり前が崩れ去ったその顔は鬼気迫り、ぎらついている。

 おそらく、しっかりとは事態を呑み込めていない。ただ、愛する人がいなくなってしまった、その事実だけが彼を動かし、ラフィリアに掴み掛かろうとする。


「やめろ! お前はラフィリア様の怒りに触れたんだ! おとなしくしろ!」


 ラフィリアを取り巻いていた騎士が青年を乱暴に取り押さえる。地面に倒されても上げ続ける叫びが耳にこびりつく。

 リアは見ていられなくて窓に背を向けた。

 外の明るさに慣れていたせいで、薄暗い室内がさらに暗く感じる。

 悪いのはラフィリアだ。なのに、どうしてあの青年が捕まるのだろう。


「ラフィリアが嫌いなリアは私よ……。なんで関係のない人を……」


 あるはずだった未来を奪われた女性とお腹の子供、そしてあの青年。

 ただ、ラフィリアに敬愛の心を伝えただけなのに。


「この国はどうかしてる……」


 悔しさに唇を噛むが、無力なリアにできることはない。

 呪詛じゅそのような絶叫はしばらく消えず、ひたすらに苦衷くちゅうを深めていった。

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