第73話 見えない真実

 リアの連行先は地底、それも主様あるじさまの邸宅だった。ここへ連れられる道中は手を縛り上げられていたが今はすべて外され、自由なまま一室に監禁されて二日が経った。


 国家反逆罪というからには、もっと寒々しい牢に入れられるか、すぐにでも処刑されてしまうと思っていたのに、閉じ込められた部屋はリアが地底で住んでいた家の自室よりも、はるかに広かった。

 家具類は最低限でこざっぱりとしていて、ベッドやテーブルが置かれた客間、といった場所だ。食事も一日一回、パンと野菜スープが運ばれてくる。罪人に対するとは思えないほど待遇が良く、何が目的なのかわからなくて気味が悪い。


 当たり前だが、今後の予定はまったく教えられず、いつ何をされるのかと気が休まらない。あと数時間後には、この世にいないかもしれないのだ。


 コンコン、と軽く扉が叩かれた。とうとうその時がやって来たのかと心臓が跳ねる。鍵の開けられる鈍い音が神経を極限まで尖らせる。開かれた扉から姿を見せたのは、滝のように流れる銀色の髪に、浅葱色をした丈の短いドレス姿のクラリスだった。


「久しぶりだね。お姉さんっ!」


 大きな瞳が印象的な見目麗しい少女がレースをふんだんに使った服を着こんでいて、人形のように愛くるしい。

 しかし、リアの表情はぎこちなく引きる。クラリスは刃物を具現化するという珍しい力を持ち、懺悔ざんげの日にその力をもって傷つけられたのだ。

 ここで、こっぴどく痛めつけられるかもしれない。


「ね、お姉さん。わたしと地底をお散歩しよう?」


 リアの手を取り先導する姿は、友達を買い物に誘うかのようだ。


「わたしがいれば、お姉さんは出歩いても大丈夫だから! ね?」


 微動だにしないリアに上目遣いで念を押してくる。

 ここでどういう選択をするかで今後が決まる、という緊張が走る。断るのが良いのか、ついて行くのがいいか。


 結局、リアはクラリスに手を引かれ、屋敷を出た。


 クラリスはまず階段前市場に行き、陳列される様々な商品を見て回る。綺麗な装飾品を見れば目を輝かせ、美味しそうな食べ物にはうっとりと目を細める。くるくる変わる表情は十代の少女に違いはない。

 リアを攻撃する素振りもなく、こちらも徐々に警戒心が緩む。

 隅から隅まで見て回った市場を後にし、その足は歓楽街を目指し始める。今はまだ昼間。きらびやかな偽りの愛は鳴りを潜め、物悲しさが一帯を包んでいる。


「お姉さんはさ、どうしてラフィリアちゃんを嫌うの? とっても強いし優しいよ?」


 道の途中で急に足を止め、クラリスはリアと向き合う。怒っているでも悲しんでいるでもない、純粋な疑問のようだ。

 土を固めただけの壁に備え付けられたまばゆい発光石が、クラリスの灰褐色をした虹彩に光を添えている。


「私にとってラフィリアは脅威、なの」


 本当はもっと口汚く言いたい事はあった。ラフィリアがいたから、たくさんのものを失った。憎んでも憎み切れない。しかし、クラリスの顔色を伺い言葉数は少なくなってしまう。そんな弱い自分が嫌になる。


「ラフィリアちゃんは、わたしを救ってくれたの。わたしは地底の娼館で生まれて、当たり前に娼婦になって。毎日女将おかみにいじめられて。そんな生活嫌だったけど、変えることもできない。でも、ラフィリアちゃんはそれをくつがえしてくれたんだよ!」


 クラリスは口元を綻ばせたまま、通路の先に目をやる。そこにはかつてクラリスがいた娼館ローズがある。

 気難しい女将に殴られるクラリスが頭の片隅に想起された。


「お姉さんにも、その優しさを分けてくれるってラフィリアちゃん言ってたよ? だから一緒に暮らそうよ! ラフィリアちゃん全然怖くないよ!」


 子供が夢を語るように、クラリスは真っ直ぐリアの心に温情を届ける。これが彼女の嘘偽りない気持ちなのだと感得させるくらい濁りがない。

 しかし、それには応えられない。クラリスの提案は、人間に生身のまま水中に住め、と言っているくらいリアには不可能なことなのだ。


「わたし、お姉さんと家族になりたい!」


 クラリスは楽し気に続ける。


「ずっと家族って憧れてたんだ! お姉ちゃんがいたら、とっても素敵!」


 あまりにも清純だ。他意の無い、心からの懇願。


「お姉ちゃんと一緒に服を選んだり、買い物したり」


 指折り数える姿は将来への希望で満たされている。

 クラリスは娼館で育ち、家族というものを知らない。だから求めるのだ。


「ごめんなさい。それはできない」


 このままでは余計な期待をかけてしまう。リアはクラリスの独り言を遮り、はっきりと断る。こちらに流れを持ってくるため、短い息継ぎの後、疑点を口にした。


「あなたたちの目的は何? この国で何がしたいの?」


 静かな歓楽街に辛気臭い声が溶けていく。怖い。クラリスに力を使われたらリアには防ぐすべがない。それでも聞かずにはいられなかった。


「目的? そんなものはないよ。……あるとすればずっと昔、ラフィリアちゃんが封印される前に当時の王様と、ある約束をしたんだって。それを叶える前に封印されちゃったから、今からそれを叶えるんだよ!」


 人差し指を立て得意げに語るクラリスは、これまでに得たリアの知識を定着させていく。


 ――国王が楽できる国。


 五百年前のフランシスが書いた本の内容と一致する。やはり、五百年前から一連の騒動はずっと存続しているのだ。


「そうだ! わたし、実は王様の子孫なんだってっ! だからお姫様なの!」


 軽やかにその場で回ると、スカートの裾がふわりと広がる。お姫様、とクラリスはもう一度呟いて、くすぐったそうに笑う。


「ここはわたしの国なんだよ! ラフィリアちゃんは、それをまた復活させてくれるの。でもラフィリアちゃんは力を奪われていて、まだ一番強い力が戻ってないの。ひどいよね。まるでラフィリアちゃんが悪者みたい」


 頬を膨らめ、憤慨を表すクラリスに返す言葉がない。なんだそれは。そんな呆れにも似た虚脱感が襲う。

 クラリスは夢を見過ぎだ。王族には一国を背負い、国民の手本であらねばならないという重責が常にのしかかっているというのに。


 だが、ラフィリアがいれば夢を見たまま過ごせてしまう。


 圧倒的な力を持つ女神ラフィリアを後ろ盾にしたクラリスを頂点に、信頼の厚い総政公そうせいこうや騎士長が補佐をすれば国民は納得し、新体制を受け入れるだろう。

 しかし、その先はどうなるのか。フランシスの本には当時の国王は私利私欲を追求し、ラフィリアが力を使い国民を脅し、見せかけの平和を作った、という内容が切々と記されていたのだ。神の力は強大だ。異を唱える者がいれば消せばいい。そうして反乱分子は亡き者にされ、当時のように支配されていくのが目に見える。


 ラフィリアは人間を想う神ではない。絶対に。

 ラフィリアをこの世から消したい理由が一つ増えた。

 沸き上がった衝動と共に、クラリスへ決別を告げるため息を吸ったが、それが音になる前にかけられた声によって空を切った。


「クラリス。リアさんを連れ回しては駄目だろう?」


 いつの間にかすぐ後ろに、わざとらしく眉を下げる主様がいた。

 まったく気配がなく、もし攻撃を仕掛けられていたら何が起こったか理解しないうちに死んでいただろう。


「ごめんなさい。お姉さんとお散歩がしたくって」

「帰りますよ」


 ちょこん、と頭を下げるクラリスに、主様はゆったりと促した。


「はーい」


 残念そうに返事をし、帰路を示す主様にクラリスは駆け寄る。

 二人とも先を行き、リアなど気に留めていないかのようだ。

 拘束はされておらず、逃げようとすればどこへでも行ける。

 本当はすぐにでも走り出したいが、その選択を取るには度胸も力もなかった。何の枷もつけずリアを連れ出したのは、自信の表れだとわかってしまっていたから。

 黙ったまま、二人の後ろで予想できない未来を悲観した。

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