第72話 恐るべき権力
リアとドルフの間に沈黙が落ちる。
「えっと……倒しちゃった」
茶目っ気たっぷりに言おうとしたのだが、ぎこちなく苦笑交じりになってしまった。
「……俺の思ってた展開と違うし、お前、力で解決しすぎだろ……」
話し合いでどうにかなる相手ではなかった。実力行使をするしかなかった、これは正当防衛だ、など言い訳が頭の中を駆け巡るが、それを言うことが
「どうすんだよ、今
廊下から大勢の足音と、荒々しい声が聞こえる。
「事態の好転がまるで見えねえ。とりあえず逃げるぞ!」
ドルフは閉めた扉をしきりに気にしながら、急いで窓を開け放つ。
「ええっ! それじゃあ余計状況悪化しない!?」
近づく騒がしさは、間違いなくリアとドルフを探しているだろう。ハリスを気絶させてしまったのは言い逃れできないが、逃げるより謝る方が罪は軽くなるのではないか、と目で訴える。それに返す紺色の瞳はいつになく真剣で、苦心が滲んでいた。
「リア、お前はどのみち捕まる。こいつの嫁にならない限りは国家反逆罪だと。俺も家に連れ戻されちまう。だから……もう、逃げるしかねえんだよ」
ドルフは低く吐き捨て、どうにもならない現実に舌打ちをし、リアを抱えて窓から飛び降りた。
重力を操り空を飛んだままヘイズ家の敷地から出て、ちらほらと人の行き交う道に降り立った。当然、目撃される。優雅に散歩をしていた裕福そうな女性は、さしていた日傘を放り出し、絶叫しながら腰を抜かしてしまった。
大げさな反応に、そこまで驚かなくても、とつい足を止めてしまう。そんなリアを
ドルフは何の断りもなく急に走り出すので、足が追いつかずよろめいてしまう。だが、転んでいる時間すらも惜しく、もつれる足を気合で動かした。
ヘイズ家から離れ、雑踏に紛れるために市場へと一目散に逃げる。次第に賑やかになり、降光祭のために描かれたにこやかなラフィリアが次々にリアとドルフを見送る。まるで、どこにも逃げられないと言っているようだ。
ようやく足を止めたのは建物と建物の間、人が一人通るのがやっとの路地だった。天からの光は差し込まず、薄暗い。今のリアにはお似合いの場所だ。
「ドルフ、私が国家反逆罪って、どういうこと……?」
しばらく必死に息を整え、短く質問する。
「俺の親父、総政公は今この国で一番の権力者だ。リアはモグラで何の後ろ盾もない。陥れるのは簡単だ。結局あいつは自分の意思に背くような、ラフィリアを崇拝しない奴が邪魔だから排除したいだけなんだよ」
「私はこの国の常識を覆そうとした極悪人ってわけね……」
奇跡の力を無くしたい、それは前代未聞だ。フランとリアを疎ましがるのも理解できてしまう。変わることよりも変わらない安定を選ぶ、それは決して間違いではないのだから。
国の権力者を前にできることはない。リアは唇を噛みしめる。
「リア、今からボーマン様の様子を見に行くぞ。処分なんて総政公の出まかせかもしれねえし」
あちこちから上がる陽気な笑い声や、ラフィリアへの祈りが太陽の光を伴って降り注ぐ。どんなに祈ってもラフィリアは守ってなどくれないというのに、人々に根付いた信仰心に絶望すら覚える。
市場を抜け、人通りが少なくなると細い裏通りを使い、かなり遠回りをしながらボーマン邸を目指す。
途中、大教会の制服を着た者がどこかへ走っていくのを数回やり過ごした。自分たちを探しているのだと思うと、やりきれない。真っ当に生きてきたはずなのに、お尋ね者にされてしまった。どう心の落とし所を見つければいいのか。
道の先に目当ての白い邸宅が見えたが、周辺は騒ぎなどもなく平穏そのものだ。
ドルフが隣で短く息をつき、リアもそれにつられ肩に入っていた力を抜いた。
何事もなかったのなら今あった事をボーマンに報告し、次なる手を打とう、そう思った時、堅牢な門扉が開いた。
間髪入れず出てきたのは、後ろ手に拘束され、大教会の先鋭である騎士四名に囲まれたボーマンだ。悔しそうに顔を俯ける姿を見た瞬間、頭が真っ白になった。
立ち尽くすリアをドルフが引っ張り、ボーマン邸側面の塀に隠れた。
「どうしよう……ボーマン様が……」
自分に良くしてくれた人が自分のせいで捕まるなんて、正気ではいられない。
「ああ、もう……くそ……俺一人じゃ、どうにもならねえ……」
塀の陰から様子を窺えば、屋敷から大教会関係者が複数出てくる。囚われたボーマンは、これからどうなってしまうのか。
「私が出ていけば、ボーマン様は釈放してもらえるのかな……。でも国家反逆罪ってつまり、私は処刑……」
急に怖くなった。手が震える。拳を握り、止まるよう暗示をかけるが、死が間近に迫っていると思うと、恐怖が感情のすべてを吞み込んでしまう。
人前に晒され苦しみの中殺されるのか、それとも誰にも気づかれず死んでいくのか。
「そんなの絶対許さねえ。こっちは何も悪い事してねえのに、なんでっ」
「アードルフ」
屋敷の正面にばかり意識を集中させていて、背後の警戒を忘れていた。
諫めるような呼びかけに振り向けば、騎士長が静かに佇んでいた。
帯剣以外の武装はしておらず、ドルフやフランと同じ黒い制服を着用している。しかし、腕や肩、胸には階級章や勲章がついていて、それらがまったく与えられていないドルフとの差を見せつけられているようだ。騎士長には本人に地位や価値がある。フランには地位はなかったが、他者を圧倒する力があった。しかし、ドルフには総政公が言った通り、オルコット家の子供、という肩書しかない。権限で総政公や騎士長に敵うはずがない。
騎士長はドルフの腕を掴む。
「お前は昔からフランシスとつるんで、自分の立場を悪くしているんだぞ。それをいい加減わかれ。今だってそうだ。そのモグラの女といて何になる。その女はお前を破滅に導くだけだ。何故それがわからない」
うんざりしたように眉根を寄せる騎士長に、ドルフは怒りを露わにする。手から漏れる炎が本人の感情を視覚的にも上乗せする。
「お前に俺の何がわかんだよ! フランシスも俺も、あの屋敷でずっと腫物扱いだったじゃねーか! 奇跡の力が強いからって、ただそれだけの理由で!」
「確かにお前の奇跡の力は、これまでのオルコット家の中でも特に強い。しかし、人間の域を越えてはいない。お前は、神をも殺しそうなほどに強い力を持った、
その言葉を聞いた途端、ドルフの足元から炎が吹きあがった。たまらず騎士長はドルフから距離を取る。今のドルフはリアが見た中で一番怒っていた。激怒、という表現がまさしく
「ふざけんな。あいつのどこがばけものなんだよ。お前らの方がよっぽどばけものだろ。神への
ドルフは地の底から這い上がるような怒気を言葉にした。荒れ狂う熱を収めようとするかのように大きく息を吸い、吐き出す。
フランの幼少期に何があったかは計り知れないが、ドルフの態度を見ればどんな扱いを受けていたのかは察せられる。
フランは決して忌むべき人ではない。確かに力は規格外に強いのかもしれない。だが、フランは他人を傷つけるためにその力を使ったりはしない。水の力を使って皿洗いをしたり、湯船にお湯を張ったり、基本的には生活を便利にする程度にしか使用していない。治癒の力でリアは何度も助けられた。騎士長や他の人の方が、よっぽど間違った使い方をしていると断言できる。
だから、リアもドルフに加勢したくて一歩踏み出していた。
「フランを悪く言わないでください。フランはあなたの思っているような人ではありません」
言い切るのと同時に、騎士長が抜き放った長剣の切っ先が首筋に突き付けられた。
情けなく震える足をその場に縫い留め、揺れる瞳ではあったが意地でも目を離さない。
「モグラに意見など聞いていない。黙れ」
それだけ言うと騎士長は剣を仕舞い、もう一度ドルフの腕を掴んだ。
「お前は今日から、しばらく家で謹慎処分だ」
丁度それと同時に軽装兵たちが数名やってきた。あっという間にリアを地面に倒し、乱暴に腕を
「くっそ! リアを放せ!」
ドルフは騎士長を振り払い、リアを拘束する兵の足元にこぶし大の火球を放つ。付近の温度が上がり、着弾と共に地面が焦げた。
「アードルフ。無駄な抵抗はよせ。お前がここで暴れて炎を出そうが、重力で足止めをしようが意味はない。お前は大教会の全兵力を相手に戦えるか? ボーマン様はたった今、身柄を拘束され、それに伴い今日付けで治安部隊の指揮権は俺に渡った。大教会騎士団と治安部隊兵を敵に回す覚悟はあるのか? それこそフランシスでもない限り、制圧するのは無理だろうな」
鼻で笑う騎士長に続ける言葉はこの場にはなかった。どんなに騒ごうが、涙ながらに訴えようが、リアやドルフの言い分が通ることはない。力の無い者には誰も従わない。
ドルフは苦々しく地面に視線を落とす。もう、この場でできることは何一つない。
「リア・グレイフォード。お前を国家反逆罪で逮捕する」
騎士長の放つたった数秒の宣言は、どんな言葉より力を持つ。人の未来を変えてしまえるほど強い力だ。
決して抗えない権威に、リアとドルフは簡単に引き離された。
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