第71話 自分の価値

 連れていかれたのはハリスの自室だった。

 あれよあれよという間にお茶の準備が進められ、まるで初めからリアが来ると決められていたかのような対応に不快感がつのる。

 小洒落た薔薇の描かれたテーブルには心が躍るような茶菓子や、良い香りを漂わせる紅茶が置かれる。


 それよりも気になるのは、この部屋の一部に溶け込む大量の本だ。壁面に備え付けられた本棚にぎっしり詰まっているのは、ラフィリアや奇跡の力についての書物。この五百年間のすべてを網羅しているのではないか、というほど様々な切り口の題名が並んでいる。


「お好きなものを見ていただいて結構ですよ。俺はラフィリア様について個人的に興味があってね。調べているんですよ」


 リアの視線に気付いたハリスが甘く笑う。


「オルコット家のフランシス様も、ラフィリア様をとても崇拝していたようですね。一度、しっかりとお話ししてみたいものですね。何せ彼は奇跡の力を複数持つ天才ですから、さぞラフィリア様に祝福されているのでしょう」


 穏やかな断定に怒りが一気に湧き立つ。

 フランはラフィリアに祝福などされていないし、むしろ迷惑をこうむっている。まったく事情を知りもしない他人にそんな軽々しい言葉をかけて欲しくなくて、リアはハリスを牽制するように睨み付けた。

 リアの明らかな敵愾心てきがいしんにもハリスは動じず、困ったように手をひらひらと振るだけだ。


「すみません。別に彼の事を悪く言ったつもりはなかったんです。俺はね、彼を尊敬しているんですよ。総政公そうせいこう様から聞いたのですが、フランシス様は中身の書かれていない本を幼少の頃から大切に持っていたとのこと。実はね、うちにも真っ白で中身が書かれていない本があるんですよ」


 まさかここでその話題が出て来るとは思わず、リアは小さくうめき、目を見開いてしまった。しまった、と後悔した時にはもう遅い。ハリスの目は恋人を前にしたような熱を持っているものの、その奥にはこちらを鋭く観察する狡猾こうかつさが見え隠れし、リアの反応に好感触を得て笑みを深くした。


「あなたも興味がありますか?」

「い、いえ……私は何も……」


 会話の流れを完全に握られてしまった。しどろもどろに返すリアにハリスはさらに踏み込んでくる。


「そう遠慮なさらないで。中身がすべて真っ白の本、と言って笑わなかった人はあなただけだ。俺と話が合いそうで助かった」


 こちらに興味があるのだと信じさせるためか、テーブルへ腕をつき、前のめりになる。

 一人で話を進めるハリスからの上手い逃げ方が分からず、だんまりを決め込むしかない。これでは相手に乗せられるだけだ。もっと深い話に達してしまうことだけは回避しなければ、と即興で口実を考えようとするが、焦るほど浮かばない。

 その間にも熱っぽい視線が絡みつく。


「俺はあなたと婚姻を結びたくて、今日ここへお呼びしたんですよ」

「……はあ?」


 何言ってんの? といった意味合いの本音が漏れ出てしまい、慌てて口をつぐんだ。失礼な声音こわねに気分を害したのでは、と背筋が凍るが、まったく気にしていないのか演技なのか、朗らかなままだ。


「あなたには、立場がないでしょう?」


 嫌味なほどに滑舌がいい。

 威勢よく否定したかった。だが、実際には言われた通り。たった今、総政公によって住む場所と支援者を失ったばかりだ。もしかして、それも総政公とヘイズ家の計画の内だったのかもしれない。


「あなたはモグラである以前に、国主こくしゅ様のご息女だ。うちは新興の商家ですし、正直な話、多少の悪評を受けても地位を得たいんですよ。……総政公のお手伝いをしてね」


 テーブルの上に乗せていた手を握られ、ねっとりと撫でられる。ぞっとして反射的に振り払ってしまったが、後悔はない。


「……言っている意味がわかりません」


 見かけがいい人は性格が悪い、そんな裏付けがまた一つ増えた。


「ヘイズ家は地底におろす物品をすべて取り仕切っている。あなたがモグラであることは、今後地上と地底の友好を示すため有利に働く。ラフィリア様は慈悲深い女神であり、地底の民も平等に扱う、その方が好印象だ。そうなった時、地上人とモグラが仲睦まじいとなれば、両者の印象は少なからず変わるでしょう」


 地上の貴族とモグラが婚姻を結ぶ。すなわち、それ自体が地上と地底の友好の証たり得る。

 オルコット家としてはモグラを迎える事はできないが、ヘイズ家を使いその目的を達成するのだ。


「俺はあなたを悪いようにはしない。夫人として、ここでそれなりの暮らしをさせてあげる。労働なんてしなくていいし、毎日上等な料理を食べて、綺麗な服を着て、趣味を楽しむことだってできる。これ以上恵まれた環境は無いと思うが」


 淡々と説明する内容は悪くない。むしろ好待遇だ。涼しい青の瞳はリアを誘惑する。


「私には勿体ないです」

「謙遜はしなくていい。俺はあなたに興味がある。嘘は嫌いなので、すべて正直に話しました。それを踏まえて、あなたを大切にすると誓います。少なくとも、フランシス様やアードルフ様といて貞淑ていしゅくさを疑われるような暮らしよりは、地位も名誉も天と地の差だと」


 細めた目は、リアがどう出るか楽しんでいるようだ。

 やんわりと断ったのでは相手に言いくるめられてしまう。リアは顔を上げ、毅然きぜんとした態度で胸を張る。


「何を言われても、私があなたの元へ行くことはありません。私には、なすべきことがありますので」


 甘い生活を提示されて易々とついて行くほど意思は弱くない。ここまで散々つらい目に遭い、失うだけ失ってもう何も持っていない。第一、奇跡の力を持たず地底に落とされた時点で、好感度などそれこそ地に落ちている。今更、周りからどう思われようが構わない。

 体の奥底から沸き上がる嫌悪を止めることなどできず、澄ましたままのハリスをねじ伏せるように激情にぎらつかせた瞳で強く睨みつけた。


 みんな自分勝手だ。奇跡の力を持たなかったというだけでさげすんで、モグラとして地底に落としたのに、情勢が変わって利用価値が出たから丁寧に扱うなんて都合良すぎだ。リアの気持ちなどまるっきり無視した対応に従う気など、さらさら無い。


「リアさん。思い通りにならない人生で、どんな選択が最良かをよく考えて生きるのが賢いやり方ですよ」


 苦笑するハリスの穏やかな顔がより一層憎たらしい。


「私、帰ります」


 少し強めにテーブルへ手を付き席を立つ。帰る場所などないのに、どこへ行くつもりなのかと、理性がひとなぎの冷風を吹かせるが、そんなものどうでもいい。これ以上ハリスといたくはない。無礼を承知で背を向けると、椅子が床を滑る音がして腕をきつく掴まれた。

 強引に後ろへ引かれる。このままでは胸に抱かれてしまう。そうなってしまえば、リアの力で拘束を解くのは難しい。考えるよりも先に体が動く。地を蹴り、不安定ながらも飛び上がった。


 直後、頭を揺さぶる衝撃が走る。その一拍後、ハリスの力は緩み、今まさにリアを抱きしめようとしていた腕を弛緩させ、ばったりと仰向けに倒れた。


「や……やった……」


 喜んでいいのか悪いのか。リアは鈍痛のする頭のてっぺんをさすりながら、気絶したハリスを見下ろし、自分でやった事にも関わらず動揺して両手で口元を覆う。

 どうやらリアの頭はハリスの顎に直撃したらしく、脳震盪のうしんとうを起こしてしまったらしい。

 顔の側にしゃがんで口と鼻へ手を持っていき、息があるか確認をする。ここで死んでしまっていたら、いくらなんでも後味が悪い。手のひらに微かな風を感じ、心の底から安堵の息をついた。


 このまま去ってしまっていいものか迷う。気絶させてしまったと誰かに申告するべきか。出迎えられた時の様子だと、この屋敷の者はリアの動向を気にしている。今も誰かが聞き耳を立てているかもしれない。正直にこちらから謝った方が印象は多少良いだろう。

 廊下の様子を窺おうと立ち上がったところ、扉が勢いよく開いた。


「リアっ! ……え……」


 必死の形相をしたドルフは慌ただしく押し入ってきたかと思えば、床に倒れるハリスを見つけると途端に言葉を失い、リアそっちのけで釘付けになった。

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