第67話 選んだ道

 次の日、ドルフはリアの元を訪れなかった。

 これまで毎日来ていたのを止めたのは、リアに今後を選ばせるためだろう。

 リアの気持ちは決まっている。もうドルフと会うことはない。


 リアはベッドに両手を大きく広げ、仰向けに寝転ぶ。

 正直、もう疲れた。ラフィリアなんて考えず暮らしたい、それが今の率直な気持ちだった。


 地底で住む場所を奪われ、なし崩し的にフランの『奇跡の力をこの世から消したい』という計画に協力しただけだ。それについては無責任に降りることになるが、そもそもリアはラフィリアを抑圧することについて、ほぼ役に立っていない。

 だったらいなくてもどうにかなるはずだ。


 これからの生き方は沢山提示してもらった。

 一つ一つ吟味する。


 ボーマンの養子になるのは迷惑がかかるので却下だ。モグラを養子になんてしたら、これまで築き上げてきたボーマン家の信頼がまたたく間に崩れ去るだろうことは想像に難くない。

 それは駄目だ。今、ボーマンが権力者の座から下ろされたら、ラフィリアや総政公そうせいこうを止められる人がいなくなってしまう。

 しかしながら、ボーマン自身の地位を揺るがすかもしれないのに、そういう提案をしてくれたことが深く想われているようで嬉しかった。


 そっと目を閉じ、しがらみの先にある本心に耳を傾ける。

 この都市にいたのでは、ラフィリアがいる。それでは安心して暮らせない。

 だとするとボーマンに相談し、国内の辺境ないしは国外へ行き、そこで暮らす。それがリアの求めているものだ。

 初めのうちは金銭などボーマンの世話にならなければいけないが、のちに自分で仕事を探し、質素でも自分の力だけで暮らしていけたらいい。幸い、リアはモグラとして貧しい暮らしをしてきたので、並大抵のことなら我慢できる。


 リアはベッドから体を起こして窓の外を見つめる。ようやくここから出られるのだと、心が軽くなる。

 自分は知らず知らずのうちに、色々なものを背負い込んでしまっていたのだ。必要のない事まで全部。これからは自分の幸せだけを考えて生きても、ばちは当たらないだろう。


 思い返せば、ずっと不相応な事に巻き込まれていた。苦難しかなかった。

 新天地では名前を変えるのも良いかもしれない。まったく違う自分として生きるのだ。

 明日、ボーマンにこの国を出たいと言う決意をする。傷に響かないよう慎重にベッドから起き、新たな生活には何が必要か考える。


 そこでふと、これまで使用していなかった椅子の座面に置かれているバッグが目に入った。それはオルコット邸に行った日に身に着けていたものだ。

 中には五百年前のフランシスの手紙と、フランの手紙が入っている。これを見た日は嫌な思い出として残ってしまった。

 もうリアはラフィリアの件からは降りる。ボーマンにお願いして処分してもらおうと二通の手紙を手に取った。


 なんとなく中身を開き、もう一度目を通す。フランシスの手紙には、随分と大層な事が書いてある。だが、今のリアには酷く他人事だ。『救世主』なんて言われても、結局何もできなかった。自分は特別だと奮い立たせて来たが、そんなことは無かった。力を持たぬ、ただのモグラだ。


 フランの手紙には、少しだけ後ろ髪を引かれた。しかし、本人が今どこにいるのかすらわからないので、どうしようもない。

 ごめんね、と心の中で呟いて封筒にしまおうと半分ほど戻したところで、この封筒のおかしな点に気が付いた。

 一見ただの封筒だが、中にもう一つポケットが付いている。ふたの折口に合わせて少しだけ開いた隙間がリアに見つけて欲しがっているように、控えめだが主張している。


 そこには二つ折りの便せんが入っていた。あの日には見つけられなかったものだ。

 フランが書いたのだろうかと、リアはそれを開ける。すると予想通り、柔らかなフランの文字が目に入って来た。



『リアはこれを見つけちゃったかな。

色々書いたけど、本当は僕、子供の頃に五百年前のフランシス・オルコットの本と手紙を見て、自分に負わされた運命が怖かったんだ。でももう一人、僕と同じ運命を背負わされた可哀想な人がいると知って、不謹慎だけど心強かった。


リアって名前で、奇跡の力を持たない子がこの国を騒がせた時、すぐにわかった。僕と同じ人だ、って。

キミの存在があったから、僕はどんな事があっても今日まで生きてこられた。


ずっと昔、まだキミが国主様と暮らしていた頃に遠目から見たことがあって、何も知らない幼気いたいけなリアを一人にしておくのは気が引けちゃってね。


でも僕はラフィリア様に目をつけられているし、元より大教会のお荷物。


キミと接触して何か変わればと思ったけど、僕の行き着く先は結局同じだったみたい。

自分なりにあらがって来たけど、多分もう無理だ。僕は大教会に殺される。


でもね、リアに会えて良かった。

少しの間だったけど、キミの奇想天外な行動にはずいぶん楽しませてもらったよ。


この先はキミの思うようにしなよ。僕やラフィリア様なんか忘れて生きて。

キミの今の立場からすると前途多難だとは思うけど、この国からは出た方がいい。


最後に、キミを巻き込んでしまってごめんね。お詫びはできそうにないけど、それも許してくれると嬉しいな。

じゃあ、リアの健闘を祈るよ』



「……こんなの……こんなのずるい……」


 一体、いつからフランはリアと離れてしまうことをわかっていたのだろう。

 何もかもわかって、結末さえも見通していたのに、フランはリアに一縷いちるの望みをかけて手を伸ばしたのだ。ひとりではできないことでも、二人なら何かが変わるかもしれない、と。


「本当に性格が悪い……これを見ちゃったら私、一人だけ逃げるなんてできないよ」


 フランはいつも自分のことを言わない。どんな時でも平気な顔をして、己に待ち受ける最悪の最後ですら諦めて受け入れようとする。

 だけど、本当は違う。人並みに弱く、これをリアに見つけて欲しかったのだ。心の内を知って欲しかったのだ。でも面と向かっては言えないから、あんな隠しポケットに入れたのだ。フランらしい。

 彼は今もたった一人、逃れられない運命の中で苦悩しているのだ。虐げられ、人の温かみを与えられないまま。


「……もう少し、頑張るしかないじゃない」


 下腹部の傷口にそっと手を当てる。この命はフランやドルフ、それにボーマンが繋いでくれたものだ。自分には味方がいないなんて卑屈になっていたが、そんなことはない。皆、それぞれの立場でリアを想ってくれていた。


 ルーディのことは完全には消化できていない。それと向き合い、自分の中に落とし込むには、ずっと長い時間がかかる。

 しかし、リアには信用に値する人たちがまだ、こんな近くにいた。

 独りではないのなら歩いていける。

 自分が何を成し遂げられるのかはわからないが、せめて五百年前からの忌まわしき運命の結末を見るまではここを離れられない。

 フランを探し出してもう一度、ラフィリアに立ち向かう。強い意思を胸に、扉の取っ手に手をかけた。


 ボーマンはリアの怪我が良くなるまでの間、何かあった時のためにと大教会には行かず、この屋敷で仕事をしている。

 それもボーマンの優しさだ。どうして今まで気が付かずにいたのだろうか、と少しだけ自分を責める。


 リアは背筋を伸ばし部屋を出て、廊下を一直線に進む。

 執務室は、使わせてもらっている客間のすぐ近くにある。軽く扉を叩けば、間を置かずに返事があった。

 臆することなく姿を現すリアに、ボーマンは書類をめくっていた手を止めた。何か言われる前にこちらが主導権を握る。


「私、大教会の塔へ帰ります。ボーマン様にはたくさんご迷惑をおかけしてしまい、感謝してもしきれません。いつか必ず恩返しをいたします」


 開口一番、挨拶も忘れ、自分の中での決定事項をはっきりと述べた。深く頭を下げるリアにボーマンは驚き、椅子から腰を浮かせた。


「リアさん、それはつまり、まだこの国の騒動に身を置く、ということなのかい……?」

「はい。昨日と今日、ゆっくり考えました。私はこの国で、ここ聖都ラフィリアで、なすべきことがあります。それを投げ出して逃げることはできません」


 一度決めた事はやり通す。真っ直ぐで揺るぎない瞳には、他の介入を許さない強さが秘められている。


「そうかい。リアさんには本当、驚かされるよ。その強い意志がこの国を変えると思わせる。あなたがそうと決めたのならば、私はあなたの決定に従い、最善を尽くさせていただきます」


 ボーマンはわざわざリアの前までやって来て、君主に忠誠を誓うかの如く胸に手を置きひざまずく。


「ありがとうございます」


 いつもならそんなうやまった態度を取られると慌てるが、この時ばかりはそのへりくだりを受け取った。これからは強くあらねばならないからだ。


「ボーマン様、明日ドルフを呼んでくれますか? ドルフにもちゃんと話をしないと」

「わかりました。……とはいえ、リアさんの怪我はまだ完治していないだろう? 無理をしては治りが遅くなる。良くなるまでは、この屋敷にいてくださいね」

「……お気遣いありがとうございます。それは甘えたいと思います……」


 今しがた真面目な顔でかっこいいことを言っておきながら、リアはそれをへにゃりと崩し、力なく笑った。治りかけているとはいえ、まだ傷口がずんずんと痛む。

 そろそろこの疼痛とうつうとも決別したいとリアは切に願うのだった。


◆     ◆     ◆


 明くる日、ドルフにも自分の考えを披露した。ドルフはリアが別れの挨拶をするために呼んだのだと思っていたらしく、途中まで話が噛み合わなかったが、最終的にしっかりと誤解は解け、ドルフのそれはそれは晴れやかな笑顔で面会は締めくくられた。

 自分がそばにいるというだけでこんなにも喜ぶなんて、本当に犬みたい、とリアは頬を緩ませた。

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