ラフィリアの力とフランシスの力
第60話 オルコット邸へ
二度目のオルコット邸訪問は、前回とは違う緊張に背中を押されながら敷地を
立派な門扉を開ければ白い石畳が出迎え、手入れされた庭が左右に広がっている。土地の広さや構える屋敷の豪華さが、権威ある者の邸宅だと無言の圧を放っている。
この十年地底で暮らしていたリアは、醸し出される気品にどうしても
「いいか、リア。今回は俺が帰るとは誰にも伝えてねえから、なるべく人と会わないようにするぞ」
「えぇ……っていうか、もうすでにあっちに庭師の人とか執事さんとかいるし、何ならこっち見てるよ」
ドルフに耳打ちし小さく指さした先、左手側にある庭の片隅で大きく伸びた木を綺麗に整えている職人や、丁度こちらへと歩いていた執事にばっちり目撃されている。リアはその視線から逃れるため、苦笑交じりに軽く会釈をした。
そんなにこっそりしたいのであれば、せめて裏口から入るくらいの配慮はしなければならなかったのは明白だ。一言相談してくれれば当たり前の助言ができたのに、と喉までそんな非難が出かかるが、真正面から突き進むのは非常にドルフらしい、と自分を
しかしながら、彼の計画性の無さに先行きが不安になり、ここをどう切り抜けるのか横目で盗み見る。どうやら彼なりには訪れる時間など綿密に熟考したつもりだったらしく、いきなり使用人に見つかったことに対しショックを受けているようだ。瞳が大きく揺れ、立ち尽くしている。
頼りないドルフを前に、ここは自分が上手くフォローしてあげねば、と庇護欲を掻き立てられる。
穏やかな足取りでこちらに向かって来る執事は、かつてフランとここを訪れた際に玄関で出迎えてくれた人だった。背が高く、白髪交じりの髪を後ろに撫で付けていて清潔感のある初老の男性だ。
見つかってしまったものは仕方がない。ここは開き直って堂々としていようと、リアはにこやかに挨拶を買って出る。
「こんにちは。本日は突然訪れてしまい、申し訳ございませんでした」
物言わぬ木のようになってしまったドルフを隠すように立って
「お気になさらないでください。……アードルフ様、おかえりなさいませ」
ゆったりと包み込むような低音は心地良く耳に入る。ドルフのみならず、リアに対しても慈愛に満ちた
「別に、俺はここに帰るつもりはなかったんだがな!」
「そうおっしゃらずに。わたくしはアードルフ様の元気なお姿を見られるのを楽しみにしておりましたよ」
執事の男性は親し気に屋敷内へ誘ってくれた。ドルフの意地を張った態度にも動揺一つしないで、口元を
この人は古くからオルコット家に仕えているのだろうか。ドルフに対して恐れや気後れがまったく無い。
「リア様も揃っておいでになられて、わたくしは嬉しい限りですよ。ここにフランシス様がおいでになれれば良かったのですが」
玄関扉をゆっくりと開け、寂しそうに笑いながら
室内は色味こそ落ち着いた茶色や白でまとめられているが、取り巻く情調は自然と背筋を伸ばさせるような緊張感を持っている。ロビーに入ると、とても大きなシャンデリアがひと際目を引く。天井も意匠を凝らした装飾が施され、目を楽しませる。
はしたないとは充分承知だが、物珍しさからあちらこちらに首を巡らせ、いらぬ妄想を繰り広げてしまう。
もし自分に奇跡の力があり、地底に落とされる事無く
「おい、リア。お前、考えてる事ぜんっぶ顔に出てるからな」
「えっ……!?」
そんな変な顔をしていたつもりは無いが、地底にいた頃から親しい人たちに、考えていることが手に取るようにわかる、とは言われていた。一体、どの程度までこの壮大な空想を解読されてしまったのだろう、とドルフの顔を恐る恐る見れば意地悪そうに、にやっと口角が上がった。
「親愛なるリア様、ようこそ我が家においでくださいました。さ、こちらへどうぞ」
手を取られ、普段のドルフからは想像できないほど
そういう顔ができるなら、普段からもう少し愛想を良くすれば人からの印象は良くなるのに、とか、自分が考えていたことは本当に全部筒抜けだったんだな、これからは表情に注意しなければ、など様々な想いが交錯したところで、リアは一言ドルフに突き付けた。
「ごめん、私が馬鹿だった。鳥肌が立つから、そういう対応はしなくて大丈夫」
強制的にドルフから距離を取り、この話題を終わらせる。
「アードルフ様、本日はどのようなご用件で?」
気を利かせてくれた執事が、小さく笑いながらドルフに確認する。
「フランシスの部屋に本を読みに来たんだ。あいつの部屋、やたら本がたくさんあるからな。……俺は飲み物の用意してくるから、リアはここで待ってろ」
「お飲み物でしたら、わたくしが運びますが……」
「いや、いい。俺が持ってく」
ドルフは急く気持ちを抑えられないのか、言葉の途中で背を向けて廊下の先を目指し始める。
それを追うために執事もリアに一礼し、小走りしていった。
ドルフが飲み物を持ってくると聞いて、ぬるくて薄いコーヒーを覚悟したが、あの執事がついているのであれば、それはないだろうと胸を撫で下ろす。
二人が慌ただしく去った後のロビーは静かだ。右も左も値が張りそうな絵画や調度品が置かれた玄関ロビーにリアは一人、ぽつんと取り残されてしまった。来客用のソファや椅子が置かれているものの、何となく座るのは気が引ける。かといって、うろついていたのでは不審者に間違えられてしまうかもしれない。妥協案として、巨大な玄関扉の横にぴったりと背を付け、ドルフが戻るのを待つことにした。
ここはラフィリアと手を組んでいる当主の家だ。当然、リアの事は良く思われていない。本来、立ち入ることさえ許されないであろう場所にいるのは居心地が悪い。
人の足音が近づく度、リアは身構える。このロビーまで姿を現した者はいなかったが、何度目かの軽い足音は途中で速度を緩めず、その存在を確かなものにしていく。
誰だろう、と顔を上げれば左側の廊下から出てきた人物と視線がかち合った。手に木製の剣を持ち、たった今稽古から抜け出して来た、という風貌の少年だ。
その栗色の癖毛にリアは見覚えがあった。地上に来てすぐ、フランと共に行った貧民街の牢に捕まっていた男の子だ。
何か声をかけた方が良いのかと壁から三歩ほど離れたところで、少年がリアめがけて走り込み、充分にあった間合いが一気に詰められた。
「この薄汚いモグラめ! 成敗してくれる!」
明らかな敵意だ。手に持った木製の剣を振り上げる構えは一切容赦がない。
「ちょっと! いきなり何!?」
リアは咄嗟に身を
「お前が父上の代わりに怪我をすれば良かったんだ! 無価値な人間め! 僕の力を思い知れ!」
剣を持っているのと逆の手をリアに突き出し、小声で何かを呟く。
奇跡の力を使われる展開だが、この少年がどんな効果のものを使用するのかは知らず、事前に対処のしようがない。あまり攻撃性のない力であるように祈りつつも、怪我をする覚悟はしっかりと決める。間を置かず、リアの体を風が頭上から足にふわっと通り過ぎた。
「これでもうお前は動けない! おとなしく観念しろ!」
ソファを回り込み、自身の勝利に頬を紅潮させた少年は、大きく剣を振りかぶる。
しかしリアとて子供相手で木製とはいえ、あの剣で思いきり殴られたくはない。リアのすぐ後ろ、ソファの横に掛けてあった絵画を手に取り、振り下ろされる剣を裏面でひと思いに横凪ぎにした。瓶に生けられた花の絵が、少年の手から木剣を吹き飛ばし、
予想の
すぐに少年と距離を取り、絵画を体の前で構える。一抱えはある絵画を反転させ、少年に絵柄を見せる形にした。綺麗なお花の絵で興奮を落ち着けられるのではないか、といった思惑だ。
「お前……なぜ動ける……!? 僕の力が効いていないのか!?」
よほど衝撃的だったのか、少年は立ち
リアも襲撃された相手を前にどう出るべきか苦慮し、両者は完全に
「リア、待たせたな……って何この状況!?」
「あ、ドルフ遅かったね。私、なんかこの子に襲われて、ちょっとこの絵画を借りて応戦しちゃって」
待ち望んだ救世主の登場に、舌がもつれそうになるほど早口で説明を終えた。
それを聞かされるドルフの表情は完全に固まり、リアの言葉はすべて耳を素通りしてしまったのでは、というほどに困惑している。
それもそのはず、リアのために急いでティーセットを乗せたトレイを持ってきたドルフの目に飛び込んだのは、足元に転がる木製の剣、
ここで何をしていたのかを経験則で計ることは不可能だろう。
「絵画は戦いの道具じゃねえ……」
ドルフも混乱しているらしく、正論をこの異様な場に落とし、次の行動を忘てしまったかのようにその場で動きを止めてしまった。
ドルフの登場により、襲撃事件は新たな局面を迎えるかと期待したが、結局皆で見つめ合っただけだった。
このままでいる訳にもいかないが、リアはこの少年の素性も何もかも知らないので、場を取り持つことはできない。ドルフに目配せをしたところ、先に動いたのは少年だった。
「おっ、おのれ、このばけもの!」
拳を握り締め、果敢に飛び掛かる少年をリアは絵画で押し返す。
「おいクソガキ! 調子乗ってんじゃねえ! ぶっ殺すぞ!」
そこでようやくドルフが我に返り、近くのテーブルへ荒々しくトレイを置いた。食器が、がちゃりと音を立てる。
リアの押し出しにより、背中から絨毯の上に倒れた少年を押さえつける手からは、炎がちらつく。
「やめろ! 異端児! 父上に言いつけて、お前などこの家から追い出してやる! お前も、そこの
声変わり前の子供特有の甲高い声が、それに似合わない侮蔑をすらすらと述べる姿は
「お前は」
気丈に騒ぐ少年を床へ縫い付けるように押さえていたドルフは、今までで一番低く、冷淡でいて怒りを秘めた声で言い放ち、少年の胸倉を掴んで立ち上がった。ぶら下がる少年の足は地を求め、さまよう。
「お前は、他人のものさしでしか善悪を測れない愚かでクズな人間だ。これ以上リアを傷つけるようなことをしたら、ただじゃ済まねえからな。とっとと失せろ」
床へ投げ捨てられるように解放された少年は背中を強打したが、すぐに起き上がり心底怯えたように眉を下げ、木剣を拾うこともせず一目散に逃げだしていった。足音が小さくなるほどに、安堵が大きくなる。
ドルフの作り出したひりついた空気を解いたのは、外でもない本人だった。はあっ、と詰まっていた息を大きく吐いてリアを振り返る。
「ほんっとクズだな。騎士長様もその家族も」
「今の子、お兄さんの子供だったのね」
「あんな奴、兄じゃねぇよ」
心底嫌そうなドルフに、かつて貧民街であの少年を含む人質を解放したいと言った時の、超絶不機嫌なフランが重なった。騎士長の子供だったからだと、いまさら合点がいった。
「さて、色々あったが本来の目的。さ、行くぞ」
テーブルの上からティーセット一式を持ち直し、ドルフはリアを
「えっと、この絵画はどうしよう……」
床に下ろし、足に立てかけていた絵画を持ち上げて主張する。
「元の位置に戻しとけ。……それにしてもお前、強いのな。一応あいつ、まだ子供とはいえ騎士長様の息子ってんで、剣術は熱心に教え込まれてるはずなんだけど、まさか、まったくの
肩を震わせるドルフに合わせ、茶器がトレイの上で小刻みに動いて小さく音を立てる。ドルフは堪えきれず声を上げて大笑いを始めてしまった。その横でリアは、そそくさと絵画を壁に掛け直す。
ドルフは笑うけれど、こちらは必死だったのだ。攻撃されたら、それを防ごうとするのが本能というもの。これは当然の行動だと、リアは昂然と胸を張って自分を正当化することにした。
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