第61話 変動の兆し

 ドルフと共に歩くオルコット邸の廊下は、以前来た時よりも色づいて見えた。ルーディに会いに来た時は緊張していて、ほぼ何も目に入れる余裕がなかったのだ。


「ねえ、そういえばさっきの子が私に奇跡の力を使ったと思うんだけど、あの子、どんな力を持っているの?」


 確かに体を風のような感覚が抜けていったが、何もなかったのが気がかりだった。


「あいつは俺と同じ重力を操る力だ。ま、俺よりは全然程度が低いけどな。軽くするのも重くするのも、使った相手と駆けっこしたら勝てる、くらいしか効果は無いな」

「ふうん。……私、何もなかったのよ。特に体が重くなったとも感じないし。でも確かにあの子、私に対して『お前はもう動けない』って言ったんだけど、本当に何もなかったの」

「そりゃ、あいつの力が弱すぎるから……」


 そこまで言ってドルフはハッと目を見開いた。


「リア、ちょっと試させろ」


 急に顔の前に手のひらを突き出された。片手で持つことになっているティーセットが乗ったトレイを持ってあげたかったが、そんなことを言い出す雰囲気ではない。ドルフは目を瞑り、何やら集中している。仕方がないので、おとなしく手のひらのしわをじっと見つめる。手相占いの知識でもあればこの時間を有意義に過ごせたかな、なんて思ったのも束の間、ドルフが目を開いた途端、風圧が一陣吹きすぎていった。


「リア、動いてみろ」


 言われた通りリアは廊下の端から端まで歩き、最後はドルフの前でおどけて一回転してみせた。


「……やべえ、お前最強かよ! 俺の力効かねぇ!」


 興奮し、前のめりになるドルフの瞳は子供のように輝いている。


「大教会の塀を越えた時、俺と、リアにも力を使ったはずなのに、やたら重たいと思ったんだよな!」

「重い!?」


 早口でまくし立てる内容に聞き捨てならない単語があって、リアは声を荒げる。


「違う違う! 決してお前の体重が重いとは言ってねぇよ! むしろ軽すぎだろ! 俺が言いたいのはな、力を使ったにしては重さを感じたってことだ。おかしいと思ったんだよな! なんだ、お前に効いてなかったのか!」


 やたらと晴れやかなドルフに対し、リアはいまいち釈然とせず、手放しで喜べずにいる。

 奇跡の力が効かない、そんなの初耳だ。


「でもさ、私ドルフの出した炎で火傷したよ? フランだって私にたくさん力使ってたし、懺悔ざんげの日にはクラリスが出した刃物に傷つけられたし」


 幼少の頃から、奇跡の力には数えきれないほど触れてきた。

 特別おかしかった事はない。その結果がモグラなのだから。


「だよなぁ……重力関係だけ効かない……なんてそんな局所的な事あるのか? あー! フランシス脅して詳しく聞き出すんだった! あいつは絶対知ってんぞ腹立つな!」

「あはは、物騒だね……」


 決めつけで腹を立てているドルフだが、リアとしてもフランは委細を知っていると決定づけている。あの人は本当に何も言わないのだ。必要な事ですら。


 しばらくフランについての愚痴大会になったところで、ドルフは廊下の並びにあった扉を開けた。ドルフの後に続き、リアも室内に踏み入る。扉を閉めて見回せば、部屋の持ち主はいないのに綺麗に掃除されていて、埃っぽさもない。

 表面上だけかもしれないが、いつ帰って来ても良いように整備されているようだ。

 びっくりするほど広く、色味は白とブラウンを基調としていて必要以上に華美さはないが、どこを見ても贅をつくしている。大きなソファとテーブル。それとは別に窓辺に丸テーブルと椅子が置かれている。衣装棚や本棚は木彫りの飾りが付いていたり、ベッドなんて三人は寝れそうな規模だ。


 これは確かに、フランが今暮らしているあの塔は牢屋というに相応ふさわしい。ダイニングテーブルなど、この部屋の丸テーブルの大きさもないただの木製だ。

 そこでリアは、はたと気づく。こんな部屋をあてがわれるような貴族のご子息に、食事の支度をさせていたなんて打ち首では、と今更ながら背筋が凍る。なんて失態だろう、本来であれば自分がお世話をしなければいけなかったのでは? と目を回す。


「おい、リア。あいつは好き好んで、お前の面倒見てたんだから気にすんな。別にお前をメイドにしようなんて思っちゃいねえよ」


 ドルフは何故かリアの心と会話を繋いだ。

 そのまま流れるようにソファへ座り、ティーポットからカップへお茶を注ぎ始めた。それにリアはまたもや慌てる。


「えっと、私がやります!」

「お前面白いよな。座っとけ」


 奪ってまでお茶の準備をするのも違う気がして、ドルフに言われた通り、しおらしく隣に腰を落ち着ける。ソファは肌触りが良く、すべすべとしていた。生地の名前は知らないが、一瞬で気に入った。


「何とかここまで来れたから、もう邪魔は入らないだろ。今日は総政公そうせいこう様も騎士長様もこの屋敷にはいないからな」


 ドルフはカップを手に持ち、リアにも飲むように誘う。窓からはよく晴れた空がのぞき、ひと時の安らぎを運ぶ。

 濃厚で深い味わいの紅茶だ。ドルフとの間にゆったりとした空気が流れる。


「さっきのガキのこと、俺から詫びさせろ。本当にすまなかった。お前は何も悪くねえのに、一方的に酷いこと言って。気にするなよ」


 心地良い雰囲気を壊すことなく、ドルフは静穏でいて真直に謝罪する。その顔はリアを想って心を痛めるように悄然しょうぜんとしていた。


「いいの。ののしられるのには慣れてるから。伊達だてに十年もモグラをやってないわ」

「……お前のその気丈さが、俺の心をえぐるんだがな……」

「え? ごめん?」


 ソファにもたれ掛かって顔を上に向けてしまったドルフに、リアはとりあえず謝っておいた。ドルフは何だかんだ、優しくて良い人だ。

 彼は自分の気持ちに正直すぎるから、今も必要以上に気落ちしてしまっている。元気付けるために、リアは飾らない率直な胸懐きょうかいを明かす。


「悪意を向けられれば確かに嫌な気持ちにはなるけど、あなたやフランを筆頭に、少ないけど私を認めてくれる人もいるわ。だから私は何度だって立ち直れる」


 ドルフを真似て、リアも勢いよくソファに背を預けた。背もたれに頭をつけたまま、ドルフにとびっきりの笑顔を見せつけた。


「お前は本当、のーてんきだよな」

「何それ、馬鹿にしてる?」

「逆に褒めてる。お前で良かった。……さ、本題だな。ほら、手出せ」


 柔らかく微笑むと、ドルフはズボンのポケットに手を入れた。リアが片手を差し出すと、そこに落とされたのは鍵だった。

 リアが問いかける前にドルフはソファから腰を上げ、ベッドのかたわらにある文机の元へ歩む。


「ほら、ここにフランシスがお前に伝えたい事を入れといたんだってよ」


 机の一番真ん中にある引き出しには鍵穴がある。リアは椅子を大きく引き、机と椅子の間に立って鍵穴に鍵を差し込んだ。

 なんだかすごく緊張した。フランが自分に見せたいものとは何なのか、見当もつかない。それに、フランが重要なことを自分に教えてくれるのだろうか、と疑いが強い。ここまで来てしょうもないものだったら、さすがに落ち込む。


 色々な感情がない交ぜになり、うるさいくらい跳ねる鼓動を手に感じながらリアは鍵を開け、取っ手をそっと引く。


 そこには一冊の本と封筒が置かれていた。

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