第55話 始まりの朝
ドルフと出会い、この国やラフィリア、そしてフランについて話を聞いた翌日、リアが目を覚ましたのは昼近くになってからだった。
久しぶりの陽の光に、地上へ戻って来たのだと改めて実感すると同時に、こんな悠長に寝ていた自分が少し恥ずかしくなった。
リアはクローゼットから適当な服を見繕い、素早く着替える。ドルフはまだこの塔にいるだろうかと、部屋を出て階上の居室を目指す。
階段を登り切り居室の扉をそっと開け、中の様子を窺うも人の気配は無い。
どうしたものかとリアは首をひねる。この塔から勝手に出歩き、ラフィリアについて情報収集していいものか、そもそもリアが一人でいたら問答無用で警備兵に捕まり、昨夜の二の舞になるかもしれない。
地上においてリアの立場は弱い。しばらくはドルフと共に行動するしかなさそうだが、本人がどう思っているのかはまだ確認できていない。万が一、ここを出て行けと言われたら人並みに生活する当てがなく、お先真っ暗だ。
ここで待とうか、ドルフを探しに行こうか逡巡し、扉を開いたり閉じたり落ち着かない。結局、リアは居室に足を踏み入れた。
真っ先に目に飛び込んで来たのは、二人掛けのダイニングテーブルの真ん中に置かれた花瓶だった。可愛らしい水玉模様が描かれたガラス製の花瓶には、
「わあっ……! ドルフが置いてくれたのかな?」
椅子に腰かけ、綺麗な花を間近で楽しむ。地底で生花はあまり売られておらず、ほんのりと香る甘く青い芳香は、珍しさも相まって気分を上向きにさせる。
もしかして、昨日ドルフから聞かされた話に気落ちしたリアへのお詫びに、可愛い花を買って来たのかと想像すれば、ドルフのいじらしさにほっこりした。
あの怖い顔で花屋さんに行って、可愛いお花をここまで持ってきたのかな、と想像すれば、不釣り合いすぎて笑いが込み上げてしまう。
それから程なくして扉が開き、思った通りドルフが戻って来た。その手には紙の箱が
ドルフはダイニングテーブルについて花を見ているリアに気が付くと、どことなく不安げなまま箱をテーブルに置いた。
「その、昨日は俺の言い方が悪かったかも知れねえけどな、俺もフランシスもお前を邪険に思ってないのは本当だ。……お前が何好きか分からなかったから、適当に買ってきたんだ我慢しろ!」
最後は投げやりに終わらせ、開けられた箱の中はやはりケーキだった。
「ありがとう。私、お花もケーキも大好きよ。昨日は私もいっぱいいっぱいだったから、変な事言っちゃったかも。ごめんね」
「お前が謝る必要はねえよ。全っ部ラフィリアのせいだ」
軽く頭を下げれば、ドルフは大げさに抑揚をつけてラフィリアを非難した。
「ドルフの話を聞いてしっかり考えたの。私は、私を
この運命を
リアの決意を間近で見届けるドルフは神妙な顔の後、これまでで一番穏やかな笑みを
「俺がお前を全力で守ってやるから、安心しろ」
聞いているこちらが恥ずかしくなるくらい
「えっとだな、その、特に深い意味はないからな……! これは……目的のためであって、決してお前個人に強い感情を持っているわけじゃなくって、あ、それは違う、じゃなくて、リアはラフィリアに対抗できる唯一の存在で……」
口調が強くなったり弱くなったり、速くなったり遅くなったり。ドルフの頭の中は忙しそうだ。テーブルに肘をつき頭をかきむしる姿は、誰が見ても苦悩を隠しきれていない。体は言葉より正直だ。
「あはは、ありがとう。頼りにしてるね。ね、一緒にケーキ食べましょ」
ドルフがひたすら可哀想な展開になるのを回避するため、リアはケーキをのぞき込みながら立ち上がり、台所へ向かう。昨日のコーヒー薄すぎの件があるので、飲み物はなんとしても自分で
「ドルフは紅茶とコーヒーどっちを飲む?」
「俺、コーヒーのが好きなんだ」
髪がぼさぼさのままリアに続き、食器棚から真っ白な皿を二枚手に取って当然のように呟くドルフ。それにリアは、なるほど、と大きく息をつきにっこり微笑んだ。
「あなたって頻繁にここへ来てたんだ」
リアがフランと暮らしていた時は一度も見かけなかったが、それ以前はここで二人は会っていたはずだ。
「たまにな、たまに」
食器棚の引き出しには、紅茶の茶葉とコーヒー豆が常備してある。フランはほぼ紅茶しか飲まないのに、どうしてコーヒー豆があるのか不思議だったのだが、ドルフのために置いてあったのだと一つ謎が解け、胸がすいた。
ドルフの炎の力を借り水を沸騰させて、今回はしっかりと味のあるコーヒーを淹れ、二人でショートケーキを食べる。
朝食がケーキという贅沢は地底では考えられず、恵まれているなぁ、なんて感慨深くなっていると、先に食べ終わったドルフがコーヒーを
「これからお前に会って欲しい人がいるんだ。治安部隊隊長のボーマン様って知ってるか?」
「ええ、とってもよく知っているわ……」
かつて、ちょっとした事件の際にお世話になった方だ。ボーマンには娘がいるのだが、彼女には随分泣かされた。ちょっぴり嫌な思い出として残っている。
「なら話が早いな。ボーマン様は今、この国の重鎮として混乱を収めている。……うちの親父である
「そんな偉い人と私が会っていいの……? ラフィリアがこの国に降臨した今、国の方針はラフィリアと共に生きるっていう感じでしょ?」
どこかで聞いた噂を口にすれば、ドルフはコーヒーを一気に飲み干してカップをソーサーの上に戻し、話に専念するよう前のめりになった。
「この国について簡単に説明してやる。
実の父親に対し酷い言いようだが、ドルフの気持ちはよく分かる。自分はラフィリアを崇拝する家族から見放された身だ。
「ボーマン様はそれとは違うの?」
国で二番目の権力者なんていったらラフィリアの下、奇跡の力をありがたがって生きている可能性が高くないかとリアはケーキの端、最後の一切れを刺したフォークを口に運びながら訝しむ。
「ボーマン様は昔から他の大教会の奴らとは違って、奇跡の力による差別について良く思ってないんだ。だから何かと俺らの事を気にかけてくれてる、ありがたーい方なんだぞ」
確かに思い返せば、リアにもフランに対しても軽蔑や
リアはコーヒーを飲み込んで、口中の甘味を洗い流す。
「ボーマン様は信用してもいい人、って事?」
「ああ。現に俺はボーマン様に色々と融通を利かせてもらってんだ。リアを探しやすくするために、地底との階段を守る兵に話をつけてくれたりと、世話になってる」
「それじゃ、一度お礼を言いに行かないとだわ。ぜひ、連れて行って」
「よっし、決まりだな。午後は執務室にいるはずだから、もう少ししたら行ってみようぜ」
ドルフは空になった食器を持ち、台所へ向かう。腕まくりをし、率先して洗い物を始める姿からは昨日の怖さは感じない。リアに打ち解けてくれた結果のようだが、他人に対してももう少し態度を柔らかくした方が良いのでは、といらぬ心配をしてしまう。あんなにとげとげしていたのでは誤解をされ続けるだけだ。
自分が隣にいるときは上手いこと好印象を残せるよう、さり気なく気を回そうと目の前の切り花にそっと誓った。
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