第50話 揺らぐ心2

 突然景色が変わり、頭が混乱する。さっきまで近距離にいたアードルフがいない。忙しなく辺りを確認するが、ここは路地のようで人っ子ひとりいなかった。

 自分と主様の二人だけが静まり返った町のすべてのように錯覚し、怖気おぞけが走る。


「私から今のラフィリア様について説明しますね」


 リアの心情などお構いなく、正面の主様は話を進める。暗闇にそびえる大きな影を左手で指し示す。


「ラフィリア様は今、大教会にいます。私からあなたに聞きたい事があるんですよ。あなた方はラフィリア様の封印された力を取り戻してくれましたが……あとひとつ、まだ見つけられていませんよね。実はそのあとひとつが一番重要なのです」


 演説をしているような主張にリアは頷くだけ頷いて、傍観者に徹する。


「未だに見つかっていないひと欠片、ラフィリア様最大の力の源、いわば核のようなものです」

「核……?」


 幼少期に奇跡の力関係の勉強はさせてもらっていないので、いまいちピンと来ない。わずかに眉をしかめると主様は、そうです、とゆっくり頷き続ける。


「わかりやすく言うと、力が湧き出す泉と、それ溜めておく大きな桶のようなものですかね。それが無いので短期間に多くの力を使ってしまうと、しばらく大きな力を使えなくなってしまうんです」

「じゃあ、地上人たちが今もラフィリアから力を引き出して、奇跡の力を使っているのは何で……」


 奇跡の力はラフィリアから力を借りて使用している、と本人から聞いたので頭に疑問がよぎる。


「さすがにラフィリア様は神でありますので、核が無くなったとしても人間に引き出されるくらいの力は常時生み出され、いつでも保有しておりますよ」


 リアの質問を愉快そうに笑い飛ばす。


「とは言ったものの、平和条約締結の場で力を使いすぎてしまったので派手な動きはできないのです。……まったく、困ったものです。まだまだやることはあるのに」


 口では困ったという割に、その顔は切羽詰まったようには見えない。一旦言葉が切れ、リアに会話の主導権を渡された。


「やること、とは何ですか?」


 ラフィリアの目的。人間界で何を成し遂げようとしているのか、それは一番知りたくて、一番答えを聞くのが怖い事だ。


「それは、リアさんが私たちに協力すると約束してくれてからお教えしますよ。あなたからは他の人間とは違う力を感じるのです。どうです? 私たちと一緒にラフィリア様の核を探してくれませんか? 大教会の方々は今もなお、大勢がラフィリア様を慕っておりますよ」


 主様は闇夜に浮かぶ大教会内に連なる建物の影に目をやる。

 平和条約締結の場で沢山兵たちを殺されたにも関わらず、まだラフィリアに傾倒するなんて、地上人は何を考えているのだろうか。

 それは崇拝ではない。ただ、圧倒的な力に屈しただけだ。


 ラフィリアは強い。人間は無力だと思い知った。それでも、やはり主様の誘いに乗ることはできない。神であるラフィリアはこの世界にいるべきではないと強く思う。

 あんな力を持った存在がいたら、いずれ世界がラフィリアの手の内に入ってしまう。

 リアは反抗的に眼差しを強め、態度で拒否を示す。

 主様はリアを殺すなんて容易いだろう。この対応でどうなるのか、緊張に心臓が跳ねる。


 沈黙が流れ、やがてその中に微かだがリアのものでも、主様のものでもない足音が混ざり始める。こちらを目指しているのか、音はどんどん大きくなる一方。

 こんな場所に誰が、と間近に迫るその人を探し、視線を主様から外したのと同時に建物の陰から姿を現したのはアードルフだった。


「リアから離れろ!」


 声と共にリアは強引に突き飛ばされた。離れろと言う割に、こちらを動かすのは矛盾してはいないかと、たたらを踏んで転ぶのを耐えながら釈然としない気持ちを抱えてしまった。しかしながら、主様もアードルフもそのことについては触れない。


「追いつくのが早かったですね。しかし、あなたに私は倒せないですよ。敵わないと知りながらも挑む。その威勢だけは褒めてあげます」


 特別注意を払う必要すらない、といった強者の余裕を前に、アードルフは悔しそうに押し黙る。反論の余地もないほどに圧倒的な力の差があるのは、余程の身の程知らずでないならば感じ取ることができる。


「今回は争うつもりはありません。リアさんとお話しできましたし、私は帰ります。それでは、また」


 リアだけを見つめ、主様はほほ笑みを残して煙のように消えた。

 辺りに気配は無い。

 月明かりが照らす、人通りの途絶えた路地に残されたのは、リアとアードルフのみ。


「お前さ、モグラのあるじに言われたこと、真に受けるんじゃねえよ。忘れたのかよ、平和条約締結の場を。あの後すぐに俺も現場に行った。あれは正気の沙汰じゃねえ」

「……あなただって、人を殺したじゃない」


 助けてくれてありがとう、そんな本来言わなければいけない言葉よりも先に口を突いて出たのは非難だった。


「だから、あれはモグラの主が俺の力を使ってやっただけで、俺は殺してねぇよ」


 謝罪すらなく、うんざりしたように返すアードルフの態度に、リアの黒い憎悪がせきを切ったように溢れ出す。


「私の大切な人だったのに」


 もしその場にアードルフがいなかったら、未来は変わっていたかもしれない。もう決して戻ることのない遠い過去を悔やむ。


「だから、俺じゃねえっての!」

「あなたが力を使われなければ、あんなことにはならなかったのに!」


 寝静まる夜の町に反響するリアの哀傷は、アードルフを責め立てる。


「俺の気も知らねぇで、勝手なこと言ってんじゃねえよ!」


 怒りのまま掴まれた右手首は、アードルフの手からにじみ出る炎を直に浴びる。熱い。

 しかしリアが臆することはない。腕があぶられたまま、やり場のない怒りや悲しみを全体重に乗せ、体当たりとしてアードルフにぶつけた。

 リアの行動を予測していなかったのか、アードルフは勢いを削ぐことも受け止める事もできず、すぐ後ろにあった建物の壁に激突した。放された腕はひりひりとして、患部を確認せずとも火傷をしたと疑いようもない。


 リアはなりふり構わずその場から遁走とんそうする。どうやらアードルフは頭を打ったらしく、地面に倒れ込んだようだ。黒い服に黒髪なので宵闇に紛れ、詳しい実態は不明。普段なら自分の行いを多少は悔いるが、今はそんな慈愛の心は持てない。


 路地から飛び出すと視界が開けた。ここは地上と地底を繋ぐ階段がある建物の横のようだ。目の前には、広大な大教会の建物たちが月明かりを照り返し、青白く無言の圧を放っている。

 これからどうするべきだろうか。

 頭の中は様々な思考で入り乱れている。

 ラフィリア及び奇跡の力をこの世から無くしたい、それは揺るがない。そのためにアードルフに従うか。はたまた別の道か。

 幸いここは地上。地底にいるよりもラフィリアの動きは探りやすい。

 今後の当て所も決められないまま、リアはただひたすら走る。


 夜の町は寂しく、ぽつんと立っている街灯の光などではリアの心の闇は照らせない。風を切る体は熱く、呼吸が音を立てる。

 そのうち疲れて息が切れ、足を止めた。少しだけ落ち着き、リアは燦然さんぜんと輝く月と星を仰いだ。


「大教会に行った方がいいのかな……」


 ラフィリアは大教会にいると言っていた。それならば本拠地に出向いて確認する方が一番早くて確実だ。しかし、こちらから不用意にラフィリアに近づくのはいかがなものか、と頭の片隅では冷めた思考が行動を止めにかかる。


 迷ったのはほんの数秒。リアは足音を殺し、ゆっくりと歩み出した。

 一体自分は何がしたくてどこに向かっているのかわからないまま、それでも進むことを選ぶ。きっといつか信念に状況が追いついて来ると信じて。

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