第47話 再出発

 目の前に立つ青年はフランの弟だった。


 確かにルーディが言っていた通り、フランと顔立ちは似ている。髪の長い方がフランで、短い方がアードルフ、なんて言ったら本人たちは怒りそうだ。大きな違いはその目。アードルフは三白眼さんぱくがんのせいか粗野な雰囲気をまとっている。制服の詰襟つめえりをきっちり止めず、着崩しているのもイメージ通りだ。

 フランが王道の王子顔なら、アードルフはちょっとわるっぽい王子で、これはこれで人気がありそうだと一人得心とくしんする。実際、この場にいる女性陣の半数以上がうっとりと熱視線を送っている。しかし、リアは多少顔がいいからといってほだされたりはしない。一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくを見逃さないように、最大の注意を払いながら口を開いた。


「アードルフさんが、モグラの私に何の用ですか?」


 隙を見せず、挑発とも取れるくらい鋭い声音で訊ねる。

 どうしてフランの弟が自分を探しているのか、それが分からなければ次に進めない。


「不本意だが、お前を引き取りに来た。さっさと支度しろ。……おい女将おかみ、こいつの身請みうけ金いくらだ」


 取り出した高そうな革財布からのぞくのは紙幣だ。女将をはじめとした皆から、どよめきが広がる。それもそのはず、地底では紙幣などお目にかかることはない。

 地上と地底で通貨は同じだが、地底では硬貨しか出回っていない。紙幣が必要になるほど高額な物は売られないということだ。したがってこの国の通貨は『シトロ』というのだが、それを知るモグラは少ない。

 お金に気を取られ、話しの進行を忘れている女将に代わり、リアが非難の声を上げる。


「ちょっと待ってよ! 話が分からないし、私、娼婦じゃないわ!」

「あ? じゃあタダか。ラッキーだな」


 悪だくみをする時のフランとよく似た、にんまりと悪い笑顔でアードルフは問答無用、リアの腕を引っ張り出入り口へ向かう。


「ちょっと待って! ちゃんと説明してよ!」


 まだついていくとは言っていない。しっかりと理由を聞いて納得してからでなければ、いくら地上に行けそうだとしても話に乗るつもりは無い。

 フランよりもほんの少しだけ体格の良いアードルフは、抵抗するリアなどもろともせず、思うままに引きずる。

 どうしてこの兄弟は承諾を得ずに自分だけで物事を進め、物理的に人を引っ張るのだろうか。自分勝手にもほどがある。

 女将や娼婦たちに助けを求め目配せをするが、皆、人間が近くに来た時の鳥のひなのように静かで微動だにしない。頼れるのは己のみだ。


「ちょっと! 待って! 私に分かるように説明してっ!」


 近くのテーブルに乗っていた栓の開いていない酒瓶を逆に持ち、自分を掴んで離さない憎たらしい腕をひと思いに殴った。


「いってえ!」


 ごつ、と鈍い音がしてリアは自由を得た。捕まる前に素早く距離を取って、酒瓶を剣でも構えるように体の前で両手に持つ。

 さまになっているような、なっていないような、傍から見たら滑稽こっけいかもしれないがリアは必死だ。


「痛ってえな! まじふざけんなよ調子に乗りやがって!」


 怒気をはらんだ声と共に、アードルフの手のひらから炎が溢れ出した。瞬間的に手から立ち上った炎は、近くにあった椅子に小さな火種をもたらした。煙を上げ、またたく間に布地の部分を侵食していく。


 悲鳴が上がり、我に返った者から消し止めようと布で叩いたり、炊事場へ向かったり。混乱が混乱を呼び、娼婦のドレスのすそに燃え移り逃げ惑った事でソファにも引火してしまった。

 まさに阿鼻叫喚あびきょうかんだ。


 リアは一旦アードルフの対応を放棄して酒瓶を床に置き、つけていたエプロンを脱いで火を叩く。

 なんて酷いことをするんだ、とアードルフを背中越しにきつく睨み付けると当人は立ち尽くしていて、目を泳がせていたように見えた。リアの視線に気が付くと凍てつく眼光に戻り、冷たさを秘めた言葉で威厳を取り繕う。


「……お前は地上へ行きたかったんじゃねえか? 俺は地上へも地底へも行き放題だ。自分の立場を良く考えろ」


 まったく説明になっていないし、何の答えにもなっていない。結局この男は何をしたいのか、リアに何を求めているのかが見えてこない。


「一時間待ってやる。その間によーく考えるんだな。お前の返事次第で、ここの奴らの今後が決まるからな」


 アードルフは言い捨てると、店内から逃げ出すかのごとく、足早に出て行ってしまった。来た時同様、乱暴に閉められる扉。

 リアはそれを追ったりはせず、消火活動に参加しながらアードルフの行動を元に彼を分析する。あれは性格が悪いというより、凶暴でただの危険人物だ。

 風呂場や炊事場から次々とバケツいっぱいの水が到着し、赤々と燃える炎にかけていく。幸い強く燃え広がる前だったので、被害は椅子一脚とソファ一台で済んだ。


 どこからともなく安堵のため息が殺伐とした場に落ちると、さざ波のように人を伝い、居合わせた全員の張り詰めた空気が解けた。

 リアも肩の力を抜き、束の間の安らぎを手に入れるが、徐々に娼婦や下働きたちの視線が細い針のように刺さる。それは次々に集まり、太く大きくなっていく。

 皆の言いたい事は充分わかっている。

 ちらちらとこちらを見てはいるが、誰も何も言わない。


 ――何かされたら困るから、犠牲ぎせいになって出ていけ。


 そんな心の声が、耳を澄まさなくても聞こえてくる。

 完全にリアは、ここサンフラワーのための生贄いけにえとなってしまった。

 どうして自分はこうも運がないのだろうか、と乾いた笑いが出てしまいそうだ。

 香ばしいような、焦げた臭いが充満するロビーに味方は一人もいない。

 これではもう、アードルフについていくしか場を収められないとうなだれる。


「リア……あんた……」


 躊躇ためらいがちに女将が歩んでくる。いつもの威勢はボヤ騒ぎでしぼんでしまったらしく、焼け焦げて一部が炭になってしまったソファをちらりと確認し、リアを突き放す言葉の形に口を動かす。しかし、それをさえぎるようにリアから歩み寄った。


「わかっています。女将。今日までありがとうございました。この御恩は一生忘れません」


 女将が声帯を震わせるよりも早く、リアは自ら別れを告げ、深く頭を下げた。これはせめてものプライドだ。追い出されたのではない、自分から決めて出て行くのだ、と。


「身支度をしてきます」


 持っていく荷物なんて何一つないが、リアは自分に宛てがわれていた掃除用具部屋へ足を進める。一歩廊下へ入れば途端に薄暗く、ロビーの輝きが恋しくなる。背中ごしに心底安心したような大きな息が聞こえ、小さな笑いがたくさん咲いた。

 自分ははじき出される方だというのはつらい。

 しかし過程はどうであれ、これで地上へ行けることに間違いはない。きっといい方向に向かっているはずだ、と切ない気持ちを無理やりにでも奮い立たせるため両頬を思いっきり叩いた。大げさな気合入れに忘れていた頬の傷が痛み、少しだけ後悔した。





 一時間はあっという間だ。

 七割が焼けてしまったソファの無事な部分に腰掛けてアードルフの再来を待っていると、時間通りに扉が開いた。

 現れたのは間違いなくアードルフだ。

 リアの姿を見とめると、余裕の笑みを湛えて悠々と近づく。


「さあ、答えを聞こうか」


 分かりきっているのに、わざわざそれを言わせるとは意地が悪い。

 リアはできるだけ澄ましてソファから腰を上げた。


「あなたについていくわ」

「なら、さっさと行くぞ」


 アードルフはきびすを返し、ソファの前に配置してあるテーブルに金貨を五枚置くとリアを待つことなく外へ出て行ってしまう。

 小規模な火事を起こした詫びに金貨を置いていったのだろうか。

 入口横の受付カウンターで一部始終を監視していた女将の目の色が変わり、素早く回収する。いつもの緩慢かんまんな動きが嘘のようだ。それもそのはず、地底で金貨五枚は大金。誰かにられてはたまらないだろう。


 リアは女将の横をすり抜け、扉に手をかける。

 これからの未来は前途多難。不安がないわけではない。むしろ不安しかない。しかし、動き出したのだから止まるわけにはいかない。

 二週間、身寄りの無い自分を置いてくれたサンフラワーに感謝し、リアはまばゆい発光石が照らす地面を踏みしめた。

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