第二章 交錯する思惑

真実の探求

第44話 ふりだし

 自分には価値がないのだと、嫌というほど思い知らされる。


「その細い腕で何ができるっていうんだ! 俺たちの仕事、舐めてんのか!?」


 光量が落ちてきた発光石に照らされる男の顔は陰影が深く、大きく開く口がやたらと印象的だった。

 言葉尻と共に飛び出す骨ばった拳は、容赦なくこめかみを打ち付ける。

 リアの体は簡単に吹き飛んだ。強い衝撃を受け、頭が冷えたような感覚に陥ったまま凹凸おうとつの激しい岩の壁面に激突し、息が詰まる。後頭部が出っ張りに当たり、左腕は尖った岩に深々と抉られた。

 体のあちこちが痛い。力なく地面に倒れるリアの目には、土で汚れた太い足が近づくのが映る。


「昨日は馬鹿な女にも分かるように、お前の仕事はここにはねえって優しく追い返してやったっていうのによ。このくそ忙しい時にまた来るなんて頭足りてねえよ、このくそアマ!」

「っあ……っぐ……」


 頭を踏みつけられれば、制御できないうめきが漏れる。


「今、俺様は気分が悪いんだ。地上の奴らが明日までに通常の一週間分の発光石を採掘しろ、ってな。ふざけんじゃねぇよ!」


 鬱憤うっぷんを晴らすかのように、リアを力まかせに蹴りつける。

 何も抵抗できず縮こまり耐える体を、発光石採掘の仕事で鍛えた筋肉が必要以上に蹂躙じゅうりんしていく。

 周りの作業員たちは止めるでもなく、せせら笑っている。


「親方、それ以上やったらその子死にますぜ」


 まるで、それを望んでいるかのような口ぶりだ。


「別に良いんだよ。こんな小娘の一人や二人死んだって。身寄りも仕事もない。そんな奴にかける温情は無駄。生きているのが罪だ」


 喉を震わせて野太い笑いを採掘場に反響させながら、この場を取り仕切る大男はリアの腕を引き、無理やり起き上がらせた。


「てめえに生きる意味はねえ。どうせ数日後には死ぬだろうよ。だがな、俺様は優しいからな。見逃してやる。さっさと消えろ」


 乱暴に突き放され、また地面が迫る。

 力の入らない足を無理やり立たせ、壁に手を付きながら、ぐらつく視界を無視してその場をゆっくりと離れる。引きずる足の感覚は鈍く、足首が腫れ上がっていてまともに歩けない。

 坑夫こうふたちの嘲笑ちょうしょうがねっとりと絡みつく。


 地底には奇跡の力を持たない、通称モグラと呼ばれる人々が住む。住処すみかの構造は、さながらモグラの通り道のように沢山の通路が張り巡らされている。壁には一定間隔に発光石が備え付けられていて、その白い光が太陽の代わりに営みを白日はくじつの下にさらしているのだ。


 リアは濃い影を落としながら、行く宛なく進み続ける。

 地上と地底の平和条約締結が行われるはずだった日から、二日経った。

 あの時の出来事をすべては消化できていない。ラフィリアとクラリス、そしてモグラの主様あるじさまによる一方的な殺戮さつりく

 光の中に消された、両親である国主こくしゅ夫妻。自分をかばった兄とフラン。


 ――どうして。


 リアの体力は限界を迎え、道の片隅にくずおれた。そのまま力なく赤茶けた地面を見つめていると、ぼんやり視界が白んでいく。先程できた腕の傷は脈打ち、血がとめどなくあふれている。頭からの流血は頬を伝い、口に入り鉄のような不快な味を舌に残す。


 ――どうして、私ばっかり。


 誰にぶつけたらいいのかわからない苛立ちを持て余し、もどかしい。

 仕事を探していただけなのだ。

 フランによってラフィリアから逃がされ、気が付いたら地底の市場に立っていた。

 リアには家も、仕事も、頼れる人もいない。

 だからこの二日、やとってくれる場所を見つけるため、沢山の店や現場を回った。元々リアは地底で発光石の管理をする灯り売りとして生計を立てていたので、育ての親であるジャネットと親交があった灯り売りを真っ先に当たった。結果はかたくなに首を横に振るばかり。それからは商店や、今のように発光石の採掘場など、手あたり次第声をかけた。しかし、誰一人としてリアを受け入れる者はいなかった。

 なんの後ろ盾もない人間なんて、いてもいなくても一緒だ。地底は裕福ではない。皆、自分の生活で精一杯だ。他人に優しくする余裕などありはしないのだ。


 これならあの場で死んでいた方が綺麗に終われていたのかもしれない、とリアは重くなった瞼を閉じる。

 体に触れる地面の冷たさが気持ちいい。


 ――キミは、生きるんだ……!


 いつになく真剣な顔のフランが脳裏によみがえる。

 せっかく助けてもらったのに、誰にも見向きもされず地底の片隅でひっそりと野垂のたれ死ぬ。

 現実は無情だ。

 体は少しも動かない。

 次に生まれて来る時は平凡でいいから一人にならず、家族や友達に囲まれていたい。

 そんな願いとともに、リアは眠るように意識を手放した。




 土の匂い、近くを通り過ぎる人の足音が不意に頭を覚醒かくせいさせた。

 目は開いた。映るのは土の地面と壁。

 結論から言うと、どうやらまだ死ねなかったらしい。


 リアはゆっくりと上半身を起こし、壁に背を預ける。平らではないので椅子のように座り心地は良くない。朦朧もうろうとしたまま、数度呼吸を繰り返す。

 なんとなく、倒れる前よりも体が軽い気がする。


「あれ……怪我……」


 腕を胸の前まで持ち上げてみても痛みはなく、なんと傷が塞がっていた。

 上質な厚い生地で仕立てられた生成きなり色のそでは無残に裂け、血で濡れている。しかしその下の肌は綺麗なまま。いぶかしさから服をまくり両腕を確認してみると、細かな傷はしっかりと刻まれていた。

 体中鈍痛があるのは変わらず、各所で殴られた不揃いの青黒いあざも生々しく残っている。

 中途半端な状態に首をひねるが、考えたところでこの絶望からは救ってくれない。リアは事実をそのまま受け入れることにした。


「よく分からないけど、なんか頭も冴えるし、まだ諦めるには早いってことかな」


 多少気分が良くなり、おのずと気持ちも前向きになる。

 あとは口をゆすぎたい。血の味が広がり、気持ち悪くて仕方がない。

 ここから給水所までは少し距離がある。億劫おっくうだがのども乾いているので、行かない選択肢はない。体に負担をかけないよう、投げ出していた足を少しずつ折り曲げ、その途中、すぐ顔の横にあった壁のくぼみに水が溜まっていることに気付いた。


「あれ? さっきまであったかな? ……まあいいや、使えるものは使わなくっちゃ」


 どうするか悩んだのはほんの数秒で、リアは手ですくって口に含む。ひんやりとしたそれは変な味などはなく、飲んでも問題なさそうだった。一口目は吐き出し、口の中を清める。次は恐る恐る喉をうるおす。とても澄んでいて、給水所の水よりも美味しかった。

 久しぶりに飲む水は体に染み渡る。微々たるものだが、今のリアにとってこれは大きな活力だ。気合いを入れるため、鋭く息を吐いてから手の甲で口元を拭い、壁を支えにしながら立ち上がる。

 足にかかる体重を恐れていたが、想定より痛みが少ない。不思議に思い足元に目を向けると、右足首の腫れが引いていた。走るのはまだ無理そうだが、しばらくは歩いても問題なさそうだ。絶望的な状況に変わりはないが、わずかな幸先の良さを力にしてリアは地底の中心部を目指し、着実に時を動かしていく。


 ここは採掘場近辺なので、時折忙しそうに走る坑夫とすれ違ったり追い抜かれたり。誰もぼろぼろのリアを視界に入れようとはしない。

 次の行先はもう決めている。

 力強い瞳に発光石の輝きが反射して、真っ直ぐその道を照らし出す。




 今は昼下がり。地上であれば、太陽が一番高い位置から少しだけ傾いたそんな時分。

 静まり返る歓楽街の一角で、ひと際豪華な女性像を店の前に飾った娼館の戸口でリアは覚悟を決め、両開きの扉を静かに押し開けた。

 カラン、と客が来たことを知らせる鈴が鳴る。

 中は薄暗い。


「まだ営業前……ってリアじゃないかい! こりゃたまげた」


 待合を兼ねた玄関ロビーの左手にある机で、帳簿に書き物をしていた女将の上げた顔は迷惑そうだった。しかし、こちらを認知すると驚きに目を丸くし、頓狂な声で椅子から立ちリアの前に近づく。


 ここはかつて親友のルーディがいて、リアが灯り売りだった時に発光石の整備をしていた娼館『サンフラワー』だ。

 扉の前で立ち尽くすリアに女将は恰幅かっぷくのいい体を揺らし、興奮気味にまくし立て始めた。


「お前さん懺悔ざんげの日の代表になって、そのまま地上から帰らなかったらしいじゃないか! どうしたんだい、いまさら」

「私を雇ってもらえませんか」


 女将が向ける好奇の視線から逃れるよう、目を伏せて要件のみを短く伝えた。随分と硬い声だ。

 そんなぶっきらぼうなリアに女将は何を見出したのか、面白いネタを見つけたと言わんばかりに口元を吊り上げた。


「あんた、上で貴族の男に遊ばれたね?」

「違います」


 吐き捨てるように即答する。しかし女将はリアの言葉に耳は傾けず、独りよがりに体の前で腕を組み、二つ大きく頷いた。


「甘い言葉かけられて結婚ちらつかせて、そんな良い服贈られて本気にさせられたんだろう。まぁ、惚れた弱みで騙されるのも無理ないねぇ」

「そんなことじゃないです」

「貴族の男っていうもんは飽きっぽいからねぇ。女なんて人形と同じさ」


 にやける下世話な物言いに、リアの怒りに火が付いてしまう。ここで女将の機嫌を損ねたら、せっかく身を置いてもらえそうなのに台無しになってしまう。なのに、そんなのは些細なことだと思え、肉に埋もれて小さい二つの目を真っ向から睨み付けた。


「違うっ! フランはそんなんじゃない!」


 確かに扱いは雑で意地悪だった。だがリアを人として、対等に接してくれていた。

 それなのに、会った事もない女将に他の貴族と同列に語られるのは、どうしても許せない。


「わかったわかった。違う男見つければ、捨てられた傷は癒えるよ」


 いきり立つリアをなだめるように、女将は見当違いの慰めを寄こす。

 ここで女将に食って掛かっていても不毛だ。女将の中でリアは、貴族の男に捨てられたあわれな女となっている。何を言っても無駄だと悟った。


 リアは顔を逸らし、憂鬱そうに小さくため息をつく。

 フランとは恋愛なんて単純で陳腐ちんぷな関係ではない。共に神を封印から解いたのだ。たった二人きりで。言うなれば、誰にも知られてはいけない秘密を共有した戦友だ。

 ラフィリアがこれ以上人間に害を与えるのであれば、止めなければならない。もちろんそれは二人で。フランだけが背負うものではない。

 まずはどうにかして地上へ行かなければ、と決意を新たにする。


「私を、ここに置いてください」


 とにかく生きながらえなければ先はない。リアは深く頭を下げる。


「いいよ。あんたも色々あったんだろう。二週間、ここに下働きとして置いてやる。そのうちに頭の中整理して、今後について考えな」


 嘘偽りのない真っ直ぐで張りの良い声が、リアを正式に迎えた。

 一度顔を上げ、の良い笑みを目に収めてから、もう一度深々とお辞儀をした。最大限の感謝を込めて。


「ありがとうございます」


 これでしばらくは人間らしい暮らしができそうだ。


「さ、じゃあまずは風呂に入ってきな。そんな薄汚れたなりじゃ、ここには不釣り合いだからね。そうしたら、そのぼこぼこになった顔の手当だ。……あんたはお転婆てんばがすぎるよ」


 女将はリアを頭からつま先まで確認して呆れたように笑い、ロビーから繋がる廊下の奥を指さす。

 自分で確認したわけではないが、行く先々で殴られ追い払われていたのだ。きっと顔中酷い痣だらけなのだろう。


 苦労の末、何とか繋がった道はどこへ続いているのか。リアは依然として不確実な未来へ力強く一歩を踏み出した。

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