【番外編】信頼と信用 リア4②

 まさかの犯人にリアは息を呑む。


「おっと、この姿では都合が悪いな」


 もう一度指を鳴らすと、次はキーラと共にいた金髪で美形の青年がそこにはいた。


「えっ……」

「便利な力を授かったんだ、俺は。ラフィリア様に感謝だな」


 呆気あっけに取られた隙をつかれ、がっちりと腕を掴まれた。抵抗するが、あっという間に両腕を拘束され、逃走を封じられた。

 誰がどう見てもただ事ではないが、運悪く周りに人はいない。


「お前にどんな力があるか楽しみだ。何せオルコット家の悪名高あくみょうだかい次男がご執心しゅうしんしているからな」

「フランがなんて言ったのか知らないけど、私にはなんの力もないわ!」


 本当の事なのに取り合ってもらえない。マシューは奇跡の力を二種類使用できるらしく、風の力を使いリアの腕もろとも上半身をきつく締めあげた。


「なんの力もなくたって、お前には使い道があるさ。オルコット家を大教会の中心から失墜しっついさせたい奴はたくさんいるだろうからな。逃げようとしたら死なない程度に痛めつけるから、変な気は起こさないことだ」


 マシューの利己的な態度に、リアは首をひねらずにはいられなかった。

 フランが古くから続く名家の出身なのは最近知ったが、自分を揺さぶりに使ってまでこき下ろしたいくらい位の高い家柄なのだろうか。本人は従者も使用人もつけず、庶民的に一人暮らしを満喫まんきつしているというのに。


 そんな疑問を口にする暇はなく背中を乱暴に押され、無理やり歩かされる。

 行き先はカフェ星くずだった。店の裏側にある勝手口から素早く中へ押し込まれる。

 入った先はキッチンで、すぐ近くには先程リアにコーヒーを勧めてきた女性店員が待ち構えていた。リアを見ると小さく歓喜の声を上げマシューと残忍な笑みを交わし、愉悦ゆえつに顔を歪ませる。

 まさか、このカフェの店員は全員マシューの仲間では、と怖い結論に至ったが、現状でリアにできることはない。


 なすすべなく、店側からは入れない階段を登らされ、三階の一室へ乱暴に突き飛ばされた。たたらを踏んで転ぶのを耐えると、マシューはそこでリアの自由を奪っていた風の力を解いた。それが運の尽きだ。リアはこのまま大人しくしている気などさらさらない。ためらいなく全力で扉の前のマシューに体当たりをした。油断していたマシューは受け止められず、無様に尻餅をついた。


 転がるような勢いで廊下に飛び出し、階段を駆け下りたところ、階下から姿を現した仲間らしき男と視線が絡まった。慌てて上階へ進路を変更し、とにかくこの場から逃げる。薄桃のドレスのすそが邪魔で、腕で手繰たぐりながら豪快に段を飛ばし、上を目指す。怒鳴り声を肩越しに聞き、追い立てられ逃げ場がないと分かっていながら階段をすべて登り、その先にあった扉を乱暴に押し開けた。


 外気に触れる頬が冷やされ、髪をき上げる。

 だだっ広いそこは、手すりなど一切ない屋上だった。

 どうしよう、と荒い息のまま辺りを見回すが、助けになりそうなものは何もない。

 都合よく外階段でもあってくれたら、と希望を捨てず右へ左へさまよう。しかし、絶望が判然としただけで終わった。


「あんた、意外と根性あるのね」


 ここにいないはずの声に振り向けば、長い薄茶色の髪をうざったそうに押さえるキーラがいた。


「き、キーラ様……? なんで……」


 カフェのテラス側に移動し、眼下に視線をやる。ここからは見えないが確かに式典へ出席していたし、まだ終わっていないはずだ。今もなおボーマンの力強い演説が風に乗っているのだから。


「驚いた? 式典にいるのはね、私の偽物よ。マシューの力は姿を変えられるの。だから、フランが守っているのは全くの別人。間抜けよね!」


 胸の前で腕を組み、高圧的に笑うキーラはリアに長く恐怖を味わわせようとするかのように、少しずつ追い詰める。


「ずいぶん元気なお嬢さんだな。油断した」


 わざとらしく腰をさするマシューは金髪男の姿ではなく、大教会の制服を着た本来の姿に戻っていた。


「キーラ様、それにマシューさん、これはどういうことですか?」


 強がって毅然きぜんと問うが、頭の中は混乱をきたしている。

 大教会に勤めているはずのマシューは、かつてキーラと共に怪しい地下へ消えた金髪の男と同一人物で。


(つまり、マシューさんとキーラさんは、組織的になにやら悪いことをしている……ってこと?)


 すべてを正確に理解できているとは思わないが、大筋は当たっているのではないか。


「あんたは誘拐されるのよ。おとなしく捕まりなさい」

「はぁぁぁぁっ!? 冗談じゃないっ!」


 ずいぶん軽々しく言ってくれる。辛うじて保っていた外面そとづらが剥がれ落ち、素の絶叫が空に打ち上げられた。


「奴隷のくせして拒否権があると思ってるの? 頭悪いわね。あんたは、あたしの所有物なんだから」

「私はあなたの所有物なんかじゃないわっ!」


 建物の端、カフェのテラスの真上に立って、後ろをそれとなく確認する。ここは式典会場の真横なので通りがかりの誰かが気づいて、それを察知したフランがこの窮地を打開してくれないか期待する。元はというと、フランによってこんな絶体絶命に追い込まれたのだ。ここで放置はないだろう、という憤慨ふんがいの気持ちも半分以上ある。


「あんた、フランをあてにしてるわけ? あいつ、あんたをあたしに贈ったのよ。そんな奴が助けに来るわけないじゃない。それに今は仕事中。大切なキーラ・ボーマンから離れるわけないわよ」


 鼻で笑い飛ばすキーラからは焦りなど見えてこない。

 リアは答えず、更に縁へ足をじりじりと引きずる。かかとが支えを無くし、空中に飛び出した。

 ここまで端に寄れば誰かが気づくだろうとの目論見もくろみは功を奏し、遥か地上からはざわつきが舞い上がる。


『おい、あんなところに人が』

『あの子、落ちそうじゃない?』


 といった辛気臭しんきくさ懸念けねんがリアを勇気づける。


「馬鹿だな。お前は自分がここから飛び降りて、俺たちの悪事を暴こうなんて浅はかなことを考えているんだろうが、ここで落ちたとしても俺たちが必死に止めたと言えば、お前の命をかけた労力なんて無駄になるだけだ。なにせ俺は、大教会治安部隊所属だからな」

「絶対にあなたたちは捕まるわ。だってフランがこの件に首突っ込んでるんだから!」


 フランは一度決めた事は徹底的にやり遂げる。今回だってここを終着点にしたのにはきっと意味があるはずだ。

 なるべく高圧的になるように胸を張れば、体がぐらついて落ちてしまいそうだ。

 キーラより後ろにいたマシューが前に出て、危うい状態のリアとの距離を詰める。相手にはまだ余裕はあるが、リアには物理的にも後が無い。緊張が走る。


「そこまで死にたいなら好きにしたらいい。……最後に一つ。お前にとってフランシスはどんな存在だ」


 どうしてそんなことを聞くのだろうと戸惑うほど、今回の誘拐には関係なさそうな不意打ちで意味の分からない質問だった。答える必要性を感じなかったが、いい言葉が浮かんだので自信たっぷり、不敵に笑いながら言い放つ。


「一番信用できなくて、一番信頼できる人よ」


 ひと呼吸も置かないで勢いよく床を蹴り、後ろ向きに飛んだ。


 とんでもなくかっこよく決めたけれど、後悔はすぐに全身を蝕む。

 落下する感覚は不快だ。尾を引く人々の悲鳴、風切り音が耳に纏わりつく。

 飛び降りたのは五階の屋上。地面は思った以上に近い。その先なんて、とても考えられなかった。


 怖いのに閉じられないまぶた。遠ざかる屋上を瞳に映していると、背中全体が柔らかい物に包まれる感覚と同時に、太陽の光を反射して生き物のようにうねる輝く透明な液体――水に体を巻かれた。

 落下の勢いが一気にそがれ、空中で停止するかと思ったところ、体を覆っていた水は突如消え去り、重力が戻った。背中を下にしたままほんの少しだけ落ち、今度は人影に受け止められた。


「重っ」


 飛び出た小さな呟きに、感謝より先に腹が立った。リアは決して太っていない。どちらかというと痩せている方だ。それなのに、そんな失礼極まりないことを軽率にこぼしてしまえるのは一人しかいない。


 今度は間違いなく本物だ。


 フランに横抱きにされたまま目が合うと、にっこり微笑まれた。そして何か声をかけられる前にさっさと地面に降ろされる。腕が疲れたのだろう。

 そんな裏事情など知る由もない大勢の群衆は、この救出劇に心奪われ、わっと歓声を上げる。


 張り詰めていた空気が安堵あんどの優しいものに変わり、拍手や喝采かっさいが飛び交う。

 今になって、かなりの人数に見られていたことに気恥ずかしさを覚え、俯き気味にやり過ごそうとする。そのすぐ横でフランはちゃっかり人々の期待に応え、見栄えのする顔で愛想のいい笑顔を形作り、それを惜しげもなく披露して小さく手まで振っている。

 一躍英雄になったフランに対し、この場でただ一人、リアは岩のようにどっしりと揺らがずに鬱憤うっぷんをため込む。


 そもそも、こんな事件になるような原因を作ったのはフランだ。何も知らない人はまるでお話の中に出てくる、いたいけな少女を救ったヒーローのように映っているだろうが、実際は人を使うだけ使って美味しいところを持っていった極悪人だ。

 文句の一つも言いたいが、人々の想望そうぼうがそれをさせない。リアは騒動の中心人物になってしまった気まずさに頭を垂れたまま、さりげなく周囲の様子を確認する。真っ先に目に入ったのは、人々の歓喜の後ろで大勢の治安兵がカフェ星くずに殺到している姿だった。

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