【番外編】信頼と信用 リア4①

 式典当日、キーラは朝から出席のため準備に忙しく、リアとは顔を合わせずに家を出ていってしまった。


 この日、リアは一日自由を言い渡されたので、人の多い公園の式典会場周辺を何の気兼ねもなく徘徊している。本当は混み合う場所に行くつもりは無かったのだが、昨日またしてもキーラを経て届けられた手紙のせいで、人ごみに揉まれる羽目になったのだ。

 憎たらしいほど整った文字で『式典の日、会場に来て欲しい。少し話しがしたい』というようなことがつづられていたのを思い出せば、沸々と怒りが再熱してくる。

 時間や場所など、一番大切な情報は封筒の中や便箋びんせんの裏など念入りに探しても、どこにもなかったのだ。呼び出すだけ呼び出して、何が目的かがまったく見えてこない。


 会場になっているのはカフェ星くずの遊歩道を挟んだ向かいだ。式典用の正装を纏った大教会関係者が所狭しと整列している。

 大きな特設舞台上の片隅に用意された椅子にキーラが腰かけ、その後ろにフランが控えていた。真っ赤なドレスで着飾ったキーラは美しく、本来目立たない役割である護衛のフランも負けず劣らずの眉目秀麗びもくしゅうれいさを際立たせる身なりの良さで、本日の主役である治安部隊隊長の荘厳そうごんなマント姿がかすんでしまっている。実際、この場に集う一般国民の大半が注目しているのはキーラかフランだ。


 そこかしこから上がる小さなときめきの声に、リアは内情を知らない人々に羨望と切なさが混じった気持ちを抱える。両者、見た目だけでは帳消しにできないほど性格が悪い。


 うれいをおびながら背伸びをし、人の肩の間から顔を出せば、舞台の上で治安部隊隊長ボーマンが声高々に聖都ラフィリアの平和を誓う、と長々口上を垂れている。どう見てもフランはリアと合流できる雰囲気ではない。

 壇上に上がれと? などと怒りは時間を追うごとに肥大していくが、リアは理性を捨ててはいない。式典が終わるのを待つことにする。


 隊長のありがたい言葉を聞こうと人々は特設会場の近くに集中し、滞留する川のように足を緩める。もみくちゃにされ自分の意思で動くこともままならず、カフェ星くずのテラスの前まで流され、遊歩道を泳ぐように移動すればカフェの入口に差し掛かり、タイミングよく扉が開く。そこには、ここ数日で何度も顔を合わせた女性店員が手招きしていた。

 旧知の仲の友人を迎えるような、明るく親しみが込められた表情につられて軒先で足を止めれば、給仕用のお盆の上に小ぶりのグラスを乗せ、それを差し出された。


「今日は式典で人が多いでしょ。お客さんは私の知り合いだから、サービスです! どうぞ!」


 コーヒーの中に浮かぶ氷が涼しい音を立てる。

 この店員は、前にフランがもの言いたげな目をした人だ。リアは迷った。自分の目には悪い人には見えない。しかし、上げかけた腕を降ろし、身体の前で動かないように握り込んだ。


「すみません、お気遣いはありがたいのですが、今、喉は乾いていなくって」


 人の好意を突っぱねるのは心苦しいが、リアは咄嗟とっさに断った。


「あ、そう? じゃあ中でケーキ食べる?」


 店内へ誘おうとする店員から距離を取り、強制的に頭を下げる。


「すみません、失礼します!」


 リアは逃げるようにカフェの前から飛び出した。

 行く宛はなく、人の波に流されていると、次は器用に人の間をすり抜けてこちらに手を振るフランの後輩、マシューと遭遇した。


「リアさん。もしかしてフランシスさんに会いに来た? あいにく今は離れられないので、俺と一緒に終わるのを待ちましょうか。俺もキーラ様の護衛なんですが、周辺全体を任されてますので、リアさんがいても問題ないですよ」


 舞台を間近で見れる来賓席らいひんせきの横にある木陰に誘われるが、どうにも気が進まない。強引でもなく、不自然なところもなく、うろたえるリアを気遣って優しく手が差し出された。


「すみません、失礼しますっ……」


 どうしても直感を裏切ることができず、リアはあからさまに逃げた。ただの善意だとしたら大変申し訳ない。その場合は終わってからしっかり謝ろうと自分をなだめ、人の多い遊歩道の雑踏に紛れ込む。

 無計画に歩き回るほどフランから離れてしまい、隊長の朗々たる演説が遠くなる。一旦ボーマン家の屋敷へ戻るのが得策かと気を抜いた一瞬、手に提げていた小ぶりのバッグを力まかせにひったくられた。突然の事で手を離してしまい、頭が真っ白になる。あの中にはキーラから預かっているお金がある。大金は入っていないが、盗まれたなんて知られたら一体どんな嫌味を言われるか。

 体は本能的に犯人を追おうとするが、思考がそれを止める。


 ――なんか私、本格的に狙われてる?


 断言はできない。カフェの店員やマシューから漂う言いようのない違和感、そしてひったくり。まったく関係ないかもしれない。

 勢いで数歩飛び出る足をそのままに、犯人を追いかけたその先は罠ではないかとの懐疑かいぎが払しょくできず立ち止まった。しかし、取られっぱなしではキーラに顔向けできない。取り返さないわけにはいかず、リアは意を決してバッグを持ち去られた路地へと駆けだした。


 遊歩道から一本入ってしまえば、今日は特に静かだった。皆、式典が気になるらしく、こぞって会場に面した遊歩道に集まっているからだ。建物の間を抜ければ、すぐに公園らしく広大な芝が一面を緑に彩る開けた場所に出る。左右前後確認してもリアのバッグを盗った人影はない。少しの迷いが決定的な時間を与えてしまったようだ。どうしようかと右往左往していると、後ろから良く知った声がかかった。


「ようやく見つけた。さっきキミの姿を見かけてね」


 フランだ。リアが通った建物の間の暗がりから現れ、陽の光の下で照らされる姿は黒髪のつややかさを際立たせる。式典用の正装は黒地に金の刺繍ししゅうが入り、いつもと違う印象を与えている。

 知っている顔の登場に気が緩む。自分でも知らないうちに精神を張り詰めていたのだと気づかされた。


「フラン。場所を離れていいの?」

「マシューと交代したんだ」

「私、誰かに狙われているかもしれないの。思い過ごしならいいんだけど、なんか私を捕えようとしているみたい。今はキーラさんから預かったお金を盗まれて、ここまで追ってきたんだけど見失って……」


 自分の感覚だけに頼った言葉に、歯切れが悪い言い方になってしまう。本当は決定的な証拠が欲しいが、あいにくそんなものは見つけられていない。

 フランなら、きっとそれを引き出すための指針を示すはずだと期待する。

 知らずに足元をさまよっていた視線をフランに戻せば、こちらを気の毒そうにのぞき込む紺色の瞳があった。


「それは大変だ!」


 リアの予想に反し、フランは大げさに体をけ反らせた。

 なんとなく、いつもと会話のテンポが違うような引っ掛かりを覚える。

 その正体はわからないが、目の前にいる以上、話を止めるわけにはいかない。


「お財布にはあまり入っていないんだけど、盗まれたなんて言ったらキーラさんから嫌味の嵐よ。私、犯人を探さないと」


 キーラの見下す冷たい眼光が容易に想像できて、今からうつだ。

 はぁっ、とため息をつくリアにフランは熱っぽく訴える。


「財布なんてどうとでもなる、おそらくリアさんの勘は当たってるよ。キミを狙っている人がいる」

(ん? リア、さん?)


 聞きなれない敬称に、言葉が続かなかった。

 リアの戸惑いに気付かず、熱意を持ってフランは畳み掛けるように続ける。


「僕がキミを守るから着いてきて。まずは安全な場所に行こう」


 ドラマチックに両手を取られ、胸の前で握られた。気持ち悪さに血の気が引き、鳥肌が立つ。それはごく短い時間であり、リアが全身全霊で拒絶する前に手は離されたので平常心を捨てずにすんだ。


「キミに何かある前に会えてよかったよ」


 言葉がつのるほどに疑念は確信に変わる。リアはもう一押しを手に入れるために、一歩も動かない。

 会場とは反対側に体を向け、足を踏み出す得体の知れない黒服の男。

 誘うように数歩進み、リアがついて来ないと見ると足を戻しリアの前に立った。


 さあ、早く。

 差し出される手。

 それはリアを絡めとる蜘蛛の糸のようだ。


「あなた誰? フランじゃない」


 疑いようもなかった。他人に化けて人の心を強請ゆすろうなんて卑劣極まりない。取り繕うことも忘れ、睨みつける。


「何を言ってるんだ、キミは。疑心暗鬼になってるのはわかるけど、僕まで疑わなくてもいいだろう? ここにいたら危険だ。今も誰かが狙ってるかもしれない。僕はキミが心配なんだ」


 説き伏せるような早口は、やはりフランではない。もう少し間延びしているような話し方をするのがフランだ。

 腕を掴もうとする手から逃れ、少しずつ後退する。


「一つ教えてあげる。フランは私を案じないわ」


 強い口調で断言すればフランの姿をした誰かは、意味が分からない、といったように眉を寄せた。自分でも威張いばって高らかに宣言する内容ではないと思うが、本当の事だ。


「あの人、基本的に他人に興味がないの。だから、必要以上に情はかけない。あなたは重すぎるのよ!」

「ずいぶん酷い言いようだ。僕だって人間だ。いつもはそうでも今回は危険すぎるんだ」


 この期に及んで、まだフランのふりを続けるつもりらしい。苛烈な押し問答が繰り広げられる。


「私をキーラさんの奴隷に差し出す非情な人間がそんな善人なこと言うはずないし、フランなら着いてきて欲しい時でも、言うなりさっさと一人で歩いてるし! 私を待つなんてあり得ない!」

「そんなのは時と場合によるだろう?」

「こんな無駄なやり取りをしている時点でフランじゃないの! フランならとっくに諦めて別の手を考えてるか、強引に私を引っ張り回してるっ!」


 そしてダメ押しの一言。


「第一、フランは私を呼び捨てにしているのよ!」


 負けるものかと気迫を込めて目に力を入れる。すると男の態度が一転、もう言い逃れはできないと悟ったようで、無表情のまま指を鳴らした。

 突然煙にかれ、数秒して晴れたと思ったら、そこにはフランの後輩だと言っていたマシューが立っていた。

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