【番外編】信頼と信用 フラン4①

 町に治安部隊の詰所はいくつかあるが、公園に近い場所に位置するところが一番大きく、牢などの設備もある。通常、罪人はここか、大教会に投獄とうごくされるのだ。


 今日のお目当ては、昨日ひったくりをしてマシューが捕まえた少年。

 数時間前、カフェでリアをマシューに任せていったん大教会に帰り、改めて詰所に出向いた。一度戻ったわけはラフィリアの様子を見るためだ。こちらは目立った動きはなく、特別警戒する必要は無さそうだった。


 今は夕飯時。治安兵が牢屋へ食事を運ぶその後ろをついて歩いている。だが、透明になっているので誰にもばれることはない。

 地底ほど普及はしていないが、発光石が壁に備え付けられ、窓のない牢屋への廊下を白く照らす。重くじょうのかかった扉を開ければ、狭い個室が左手側に連なる殺風景な空間が広がる。

 それぞれの個室は下半分が分厚い壁、立った時に腰より上は格子状こうしじょうになっていて、中の様子が見渡せる。


 治安兵は、壁の下に設けられている小さな扉の鍵を開けた。異常が無いか数秒の間を置き、持ってきた粗末な料理の乗ったお盆を押し込む。

 少年はこちらに背を見せたまま反応しない。他の個室には誰もいないらしく、しばらく沈黙が落ちる。治安兵は慣れたものなのか、顔色一つ変えず罪人の生存を確認し、元のように牢部屋の錠をかけ遠ざかっていく。牢屋が並ぶだけの部屋は発光石が少なく、光が届かない場所の方が多くて陰気だ。

 フランは少年の入る牢屋の格子を両手で掴み、透明になる力を解いた。


「はぁい」


 恐怖を与えないようにとびっきり明るく声をかけたが、すぐそこに人がいたことに大層驚いたようで肩を跳ね上げ、勢いをつけてこちらに全身を向けた。

 口がぽっかり開き、目玉が飛び出しそうなほどまぶたが上がり、可哀想なくらいおびえた表情だ。


「キミ、ここから出たくない? 僕の言うこと聞いてくれたら出してあげる」


 相手が何か発する前に、こちらのペースに巻き込むのは有効なやり方だ。


「僕、キミたちのボスに会いたいんだ。案内してくれない?」


 この少年は、よろしくない組織に所属していると、これはまだ確定ではないフランの想像だが、当然のようにカマをかける。


「そっ、そんなのはお断りだ……!」

「あ、そう」


 強要はせず、興味なさそうに鉄格子から手を離す。


「じゃあキミは明日、大教会に連行されて拷問を受けるんだね。今ここでは誘拐犯が捕まっていなくて治安部隊がピリピリしているし」


 適当な出まかせに少年は血相を変えた。

 これは大当たりだ。今、この町を不安に陥れている誘拐犯の仲間で間違いないだろう。

 もちろんフランは治安部隊所属ではないので、この少年がこれからどうなるかなんて知りはしない。しかしここは物知り顔で矢継やつばやに攻めていく。


「まぁ、キミが治安部隊に拷問されても良いんだけど、僕は早くキミたちのボスに会いたいし、手っ取り早くここで決着をつけることにするよ」


 個室の中にあったバケツに水を並々と発現させる。あのバケツの衛生面が気になるが、聞き分けの悪い投獄人にかける情けなど、残念ながら持ち合わせてはいない。


「今から僕、よくある水に顔をつけるやつをやるね」


 まるで、これから作る料理の手順を教えるかのようにフランは微笑みかけた。

 その宣言に少年は恐怖を押し殺し、憎まれ口を喉から絞り出す。


「ふ、ふん! お前に俺の頭を押さえつけられるかよ! 第一、牢の外からどうやって、」

「ああ、言い忘れてた。僕、このくらいの距離なら奇跡の力で問題なく移動できるんだ」


 少年の言葉の途中でフランは鉄格子の外から中へ立ち位置を変えた。

 少年は声にならない叫びを吐息として表現し、したたか腰を打ち付けた。怯える人のお手本、というくらい気持ちのいい反応にフランは満足する。瞬間移動は力を多く消耗するのであまり使いたいものではないが、脅しには充分使える。

 一人で得意になっていると、情けなく地面でもがく少年が震える瞳で下から威力の弱い息を吐いた。


「お前が、中へ入って来たところでっ、その、細い腕で、俺の頭を押さえつけられるのかよ」


 細切れの強がりはみじめだ。

 上がらなくなった腰を引きずり、後ろに下がる少年に一歩近づく。


「そんな乱暴なことはしないよ。僕はね、」


 人差し指をピンと立てて小さくそれを回すと、バケツにたゆたっていた水が空中に浮く。そのまま指を少年に向ければ、水は少年の顔に密着する。


「キミに触れる必要はないんだ。だから、キミがどこへ逃げても無駄だよ。あ、でもこれだとバケツに水を出した意味がなかったね。それに僕が牢屋に入った意味もないや」


 酸素を断たれ、悶える少年と、それを我が子の成長を見守るかのように微笑ましく眺めるフラン。

 どちらが悪かと問われれば、間違いなく後者だろうというのはフラン自身も承知している。だが改めるかどうかは別の話だ。


「苦しいかな。別に僕はキミが死んじゃっても、自分でキミらのボスを探そうと思えば探せるんだけどね。……もう一回だけ聞くね」


 両手を叩けば少年の顔で水が弾け、水滴が周辺に飛び散った。もちろんそれを浴びたくはないので、自分には被害の及ばない範囲を想定しての威力だ。

 激しくき込む少年の前にしゃがみ込み、愛の告白をするかのように甘くささやく。


「僕を、ボスの元に連れて行ってくれない?」


 髪から水を滴らせる少年は自尊心じそんしんを保つためか、一度フランを睨み付けてから震える足で立ち上がった。


「わかった。お前を連れて行く」

「うん。ありがと」


 少年を囚われの身から解放するのは簡単だ。この場からそのまま詰所の外まで奇跡の力で移動してしまえばいい。本当は少年を掴み一度で済ませた方が力の節約にはなるが、あの水を被った少年に触りたくはない。まずは自分が外に出て、それから力を纏わせておいた少年を呼び寄せるという方法を取った。


 少年にとって一日ぶりの野外だというのに、当の本人は何の感慨もなく足早に夜の町を急ぐ。フランはその後ろに黙ってついていく。もし途中で逃げたり別の場所に連れて行ったりしたら、それ相応に対処しようと準備はしている。

 人通りの少ない道を進み、少年はどうやら大教会より北側、貧民街の方へ向かっているようだった。


 広大な土地を有する大教会の様々な建物を左手に見ながら、少し前にリアと密会した時に聞いた、キーラと金髪の男が地下に消えたという話が意識しなくても思考に浮上する。

 キーラは反抗期で片づけられない問題に、どっぷり沈んでしまっているのかもしれないとボーマンを憐れんだ。


 建物が入り組んだ路地を抜けた先は、道がしばらく一直線に伸びていた。左右にある建物は酒場が多いのか、灯りが漏れ大きな笑い声が絶え間なく混ざり合う。

 ここまで足を止めなかった少年が、不意に右手側に逸れた。


「ここだ」


 人に聞かせる意思のない独り言のような呟きを残し、焦り、危うく転げ落ちそうになりながら地下の闇へと姿を溶かす。灯りも無く、月も照らさない階段は足元がおぼつかない。一段ずつ慎重に降りた先には一枚のドアがあった。

 少年がそれを押し開けると、橙色の光と共に大勢の喧騒けんそうがフランを迎える。


 中をのぞけば、元は酒場だったのだろうが、今は犯罪グループの根城、といった雰囲気で殺伐としている。雑多に置かれたテーブルの上には食べ物の乗った皿と長剣などの武器が共存しており、その粗雑さを際立たせていた。

 突然の来訪者に室内すべての注目を一手に引き受けるが、そんなものフランには取るに足らない。戸口で相手の出方を鋭く探りながら、事件が動く予感に少しだけ気を引き締めた。

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