【番外編】信頼と信用 リア1

 昨夜、フランが身だしなみを整えて出かけてから、リアはずっと悶々もんもんとしていた。

 思考の迷いを代弁するように、リアは顔周りに落ちる赤みの強い茶髪を指にくるくる巻き付け、かすかな癖をつけてしまった。

 昼食の片付けまで終わり、ラフィリアはいつものように浴室へ消え、フランは二人掛けのダイニングテーブルに身を落ち着けて紅茶を飲んでいる。

 意を決してリアは向かいに座り、切り出した。


「ねえフラン。昨日の夜、あなたデートに行ったじゃない? 私、考えたんだけど、女性からしたら私がここに住んでいるのって、すっごく都合悪いよね? 私、出ていったほうが……」


 まだ見ぬフランの想い人からのやっかみを恐れ、リアの顔は硬くぎこちなくなる。もし一人で出歩いている時に水をかけられたりなど嫌がらせを受けたら、たまったものではない。

 後々、火種ひだねになりそうなことは早めに対処しておいた方がお互いのためだと、リアは真剣な面持おももちで訴える。

 しかしフランにとってその言葉がよほど思いがけないものだったのか、予想に反してリアをまじまじと見つめ返し、やがてムッとしたように視線を逸らした。


「昨日の夕食が普通のデートだったらどれだけマシなことか! 僕はね、そんな生易しいことをしに行ったんじゃないの」

「え? そうなの? ずいぶんめかし込んでたから、てっきり……」

「冗談でもそんなこと言うのはやめて! 思い出したくもない」


 子供のようにむくれる様子は照れ隠しではなさそうだ。フランにしては珍しく、はたから見ても分かるくらい嫌悪が渦巻いている。そこまで言われると一体何があったのか気になるが、聞いたところで教えてはくれないだろう。リアは曖昧あいまい相槌あいづちを打って、この話を打ち切った。


「ところでリア。キミ、そろそろ仕事して稼ぎを得たいと思っているんじゃあない?」


 むすっとした顔は清い風のごとく笑顔に変わった。切り替えの早さに感心してしまうが、その、九割方の人を虜にできそうな完璧なほほ笑みは十中八九、良くないことをたくらんでいる。


「何?」


 できうる限りの警戒をたぎらせ、付け入る隙を与えないように固く問う。

 対照的にフランは口元を和らげる。


「僕、今めんどくさい案件を抱えさせられててね。昨日、ディナーに行ったのはキーラ・ボーマンっていう、聖都ラフィリアの平和を守る治安部隊隊長の一人娘。丁度リアと同じくらいのとしかな? その子がね、僕に会いたいっていう手紙を寄こして。それが実現したのが昨日なんだけど。何だか裏がありそうなんだ。だから、キーラ様が何を考えているのかキミに探って欲しいんだ」


 聞いてもいないのに、流暢りゅうちょうに説明を始めるフラン。これには経験則からつちかった、危険を知らせる警鐘が激しく主張をする。


「どうして私が探るのよ。私は関係ないでしょ? 相手の真意が気になるなら、フランが立ち回る方が適任だと思うけど?」


 テーブルにひじをついて顔を乗せ、じっと怖い顔をしながら正論で責めれば、フランは眉を下げ、俯き気味にリアの表情をうかがう。


「僕じゃ中々上手くいかなくって。部外者のキミにしかお願いできないんだ。もちろんそれ相応の対価は支払うよ。ね? お願い」


 顔の前で軽く手を合わせ、こびを売る気満々なうるうるとした瞳で見つめられれば言葉に詰まる。確かに収入がゼロなのはどうにかしたいと常に思っていた。

 頷きたくなるような提案をされ、リアの心は揺れる。

 絶対に面倒事だが、仕事もせずただフランのお金で生きていくのは屈辱的くつじょくてきで肩身が狭い。地底では働かざる者食うべからずだったので、すっかりその精神が染み付いてしまった。

 図々しく生きるか、ここでフランの思い通りに動くことになるか。究極の二択を迫られる。


「仕方ない……その怪しげな話に乗るのは今回だけだからね! 報酬は多めに設定しておいてよ!」

「さっすがリア! ありがとう。早速だけど、中央公園に最近できたカフェの前に行って欲しいんだ。ちょっと待って、地図描くね」


 あれよあれよと話が進んでいってしまう。もしかしてこれは、初めからこうなる筋書きがフランの中で決まっていたのでは、と勘繰りたくなる手際の良さだ。

 フランはペンと紙を用意し、さらさらと書いていく。手渡されたそれをリアが確認する前に忙しなく話し出す。


「そこで、とある人と待ち合わせしているんだけど、その人に従えばいいから。じゃあよろしくね。待ち合わせは午後二時だから、今から行けばぴったりだ」


 ささ、早く早く、と椅子から立つよう促され、流れるように背中を押され、急き立てられるように住居塔を追い出される。少しの配慮もなく、ばったりと背中のすぐ後ろで玄関扉が閉められた。その風圧でリアの短い髪が頬を撫でる。

 準備くらいさせて欲しいが、フランには何を言っても無駄だと諦め、塔の一歩外でじっくりと紙に目を通す。聖都ラフィリアで一番大きな公園内の『カフェ星くず』の前で待ち合わせらしい。

 簡単な地図と、とても綺麗な字で店の名前が書かれていて、それがまた腹立たしさに貢献する。だが、リアに退路は用意されていない。唐突に始まった仕事にリアは空を見上げ、気持ち入れ替えるために新鮮な空気を肺に取り込み、ゆっくり吐き出す。ふうっ、と最後のひと息まで出し切り、軒先から芝へ足を踏み出した。


 フランの住居からは研究棟を経由しないと外へ出られない。道中すれ違う人は皆、リアを好奇の目で注視する。数人で話しながら歩いていた女性たちは、こちらに聞こえるようにあからさまな嫌味をささめく。


『モグラは地上に出てこなくていいのに。自分の立場をわかっていらっしゃらないのね』


 くすくす、と耳につく不快な冷罵れいばを跳ね除け通り過ぎる。反応を示したらこちらの負けだ。似たようなやり取りを数度繰り返し、ようやく敷地の中と外を繋ぐ大きな門を潜ることができた。数え切れないほどの悪意から解放され、リアはしばし脱力した。


 公園の場所は大教会から東。散歩がてら徒歩でも苦にならない距離で、沢山の自然に囲まれ気分転換にうってつけの場所だ。公園内には丁寧に剪定せんていされた木々や花壇、そして芝生しばふが広がり、この町に住む人の憩いの場として機能している。午後ののんびりとした空気を堪能しながら、リアは迷うことなく指定されたカフェの前にたどり着いた。カフェの入る建物は五階建てで、一階部分が店舗になっている。テラス席が遊歩道に面していて、景色を楽しむ公園にぴったりだ。白く塗られた壁に汚れは無く、太陽の光を照り返し少しまぶしい。

 リアがテラスの横に立ち、そういえば待ち合わせをしている人の特徴を聞いていなかったと思い当たり、途方に暮れ始めたところで二時を告げる時計塔の鐘が鳴り響いた。


「半信半疑だったけど、本当に来たのね」


 辺りをきょろきょろ見回していたところ、右側から歩いてきた同じくらいの歳の女性と目が合った。

 リアを認知して話しかけているので、この人が待ち合わせの人物で間違いないだろう。

 長くつややかな亜麻色の髪をなびかせる姿は、堂々としていて意思が強そうだ。


「あたし、男からたくさんプレゼントをもらってきたけど、人間は初めてよ」

「はい……?」


 口元に強気な笑みを浮かべ、はっきりとした声は聞き間違いをする余地はない。

 この人は今、プレゼントに人間を貰った、というようなことを口走らなかったか? とリアは挨拶も忘れ次の言葉を待った。


「あたしはキーラ・ボーマン。あなた、名前は?」


 人々の寵愛ちょうあいを受けて当然、とばかりに高らかに笑うのは、観察対象のキーラであった。

 リアは自分の置かれた状況を理解せざるを得なかった。自分はキーラへの贈り物だったのだ。

 本当は今すぐ引き返してフランを問い詰めたい。どうしたら人を物のように扱うなんて残酷なことを思いつくのだろう。

 まさに極悪非道、人の心は一滴たりともない悪魔め! と知りうる限りの罵詈雑言ばりぞうごんを心の中で浴びせかける。

 あまりのことにリアは棒立ちのまま答えられずにいたので、それが気に入らなかったのか、キーラは靴の底を打ち鳴らし一歩迫る。


「名前。あたしはあんたの名前を聞いているのよ」


 低く、怒気のこもったおどしにリアは迷いと共に唾を飲み込む。


「……リア・グレイフォードと申します」


 尻すぼみになるのは、名乗りに対するためらいがあるからだ。リア、という名前は珍しくもなくありきたりだが、グレイフォードは国主一家の姓だ。それはここに住む者であれば誰でも知っている。そして、現国主の娘である自分は力を持たず、モグラとなり地底に落とされたことも有名な話だ。もう十年も経ち、町民の記憶は薄れかかっているが、大教会の関係者ならば忘れることはないだろう。


 リア自身、この姓を名乗ることに少なからず抵抗はある。家を追い出されたというのに、いつまでもすがっているようで後ろめたいが、他の姓も思いつかないので、ずるずるとそのままにしている。

 軽く頭を下げてから視線を戻すと、そこには意地悪に唇を上げてこちらを見下す顔があった。


「これはこれは、リア様でしたか。無礼な振る舞い、お詫びいたしますわ」


 わざとらしい言い回しに対抗するすべは持ち合わせておらず、目を伏せやり過ごそうとする。しかし、キーラの追撃は止まない。


「国主様のご息女であるリア様が、そんなみすぼらしい服を着せられて、挙げ句の果て、男に良いように使われて捨てられるなんて気の毒ですわ」

「この服は私の趣向ですので」


 基本リアはパンツスタイルを好んでいる。ドレスも嫌いではないが、いかんせん機動力が落ちる。地底で初めてスカート以外を履いて感銘かんめいを受け、フランに助けられてからもそれは変わらない。それに今着ているものはキーラが言うようにみすぼらしくはない。婦人用のズボンは少なく、既製品はほぼ無いため定期的に呉服店に連れていかれ、特別に作ってもらっている。生地も厚く、控えめだが金糸の装飾もあり、恐らく値が張る上質なものだろう。

 それを馬鹿にするなんてキーラには失笑してしまう。

 しかし、現状キーラの元にプレゼントとして送り込まれたのは紛れもないので、何も言えない。


「あんたの出自がどうであれ、今はあたしの使用人よ。しっかりこき使ってあげるから」

「よろしくお願いします」


 滝のような勢いの嘲笑ちょうしょうはいっそ清々しかったし、予想通りだったのであまり衝撃は受けなかった。本当は言い返したかったが、ここに自分が来た目的は忘れていない。舌先まで出かかった言葉を飲み込んで、頬を引きつらせながら必死に笑顔を貼り付ける。

 高飛車たかびしゃな性格を隠しもしないキーラとの生活はどのようなものになるのか、出会って数分の今から先が思いやられる。


「あたしの命令に背くような真似したら、売っ払うからくれぐれも注意することね」


 言い捨てるなりきびすを返すその背を、リアは静かに追いかける。

 遊歩道を彩るように造られた花壇には背の低い花が群生していて、時折吹くそよ風により頭を前後に揺らしている。何だか皆で手を振りリアを送り出しているかのようで、ちょっぴり切なく感傷的な気持ちになった。しかし、フランに怒りをぶつけるまでは折れるわけにはいかない。気合を入れるため小さく自分の頬を叩き、きりっと前を向いた。

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