番外編(短編)

【番外編】信頼と信用 フラン1

『フランシス・オルコット様

突然ですが、あなたとお会いしたく、今回はこのような手紙をしたためさせていただきました。

昔は家族同士で、よくお食事をしていましたよね。

一度、あなたとしっかりお話しをする機会が欲しいと思い、私と二人でディナーに行きましょう。

場所は大教会に近いレストランを希望します。

日にちや店はそちらに合わせますので、予約が済み次第、返信をお願いいたします。

キーラ・ボーマン』


 この一通の手紙が、すべての始まりだった。


◇     ◇     ◇


 光量を落としたシャンデリアが薄暗い室内の雰囲気をより良いものにし、白いきらめきを放つ高級なクロスが引かれた大きなテーブルの上では、金細工きんざいくのろうそく立てで炎が揺らめき、瞳の中に輝きを差す。

 ここは聖都ラフィリアで一、二を争う敷居の高い、超が付くほどの高級レストランだ。貴族の間でも評判は良い。


「まさかあなた、お酒が飲めないなんてね。ぶどうジュースじゃ、かっこ悪いわ」


 二人には広すぎる個室で甲高く笑う品性の欠片かけらもない目の前の女性は、結い上げた長い亜麻色の髪を揺らし、仕立ての良い深紅のドレスの胸元でこれ見よがしにワイングラスを傾け、口元へ運ぶ。


「格好がつかないのは承知です。しかし、こればかりはどうしようもなくて」


 目尻を下げ、いつもの大教会の制服ではない、かなり値の張るジャケットを着たフランは魅惑の笑みでぶどうジュースの入ったワイングラスを手に取った。


 何が面白いのか、薄ら笑いを浮かべる女性――キーラ嬢を前にしても、フランは涼しい顔を崩さない。

 この典型的わがままご令嬢、キーラ・ボーマンは大教会治安部隊隊長ボーマンの一人娘。

 ボーマン家はフランの生家であるオルコット家と同様、長年国及び国主こくしゅを支え、地位を得た名家だ。家同士親交も深い為、そのご令嬢の誘いを無下むげに断ることはできず、嫌々手紙に応じることになったのだ。


 しかし、どうしても内心は穏やかではない。数日前に突然食事に誘う手紙を寄こしたにもかかわらず、こちらに店の予約から料金の支払いまで投げ、それを当然のように享受きょうじゅしようとする厚かましさに胸の内は真っ黒だ。


 フラン的には、財布の状況はまったく痛手にならないが、自分の得にならない事には一銭も使いたくない。したがって悪い所ばかりが目に付いてしまう。

 先程から高いワインだけを飲んでいるのも気に食わない。遠慮えんりょというものを、どこかにかなぐり捨ててきたのかと、心の奥深いところで毒づく。

 食事開始から常に上から目線なのもいただけない。何をどう間違ったら、そんなに自意識過剰になれるのだろうか。


 そんな訳ありお嬢様からの呼び出しなど、裏があるに決まっている。開始早々話があると思ったが、未だ込み入った話題は皆無かいむ。メインディッシュはとうに終わり、次はデザートが来てしまう。


「本日はどうして僕と食事を? 未婚の女性が身勝手に男と会って大丈夫ですか?」


 早いところ切り上げられるよう、手紙の真意をさっさと引き出してしまおうとフランは心配そうに眉をひそめる。


「大丈夫よ。うちの親は放任だから。それに最近は誘拐事件にかかりっきりで、あたしの事なんて気にしてないわ」


 投げやりなキーラの言葉のすぐ後に扉がノックされ、給仕の男性が手際よくテーブルに皿を乗せていく。

 こんがりと焼けたアップルパイだ。

 今度僕も焼いてみようかな、なんて一瞬心がおどったものの、今はキーラの腹づもりをはっきりさせるのが第一優先だ。


「キーラ様のお父様は治安部隊の隊長ですからね。ここ最近発生している誘拐事件について、さぞ心を痛め尽力じんりょくしている事でしょう」


 三角にカットされたアップルパイの先端を少しだけナイフで切り分け、上品に見えるように口へ運ぶ。もっと庶民的なお店や家でなら二口で食べ終えて、口いっぱいに広がる甘さに幸せを感じられるのに、と少し残念になるその際も、会話の内容にそぐうように神妙な表情を心掛ける。

 キーラがどう出るか、数秒の沈黙があった。


「あたし、あなたが今日ここへ来るのが意外だったわ。女性を囲っているのでしょう? なんでもモグラだとか」


 こちらを射るように真っ向から視線が投げられ、アップルパイに濃い影が落ちた。

 変えられた話題には棘があり『モグラ』というところを強調し、鼻で笑う。


 リアを保護してからというもの、主に大教会関係者の間で様々な噂話うわさばなしが出回っている。事実無根じじつむこんの作り話もあるのだ。真偽しんぎの程はどうであれ、一応オルコット家出身の自分が力を持たないモグラ、しかも現国主の娘を家に置いているというだけで、大多数の興味関心を引く。


「おっしゃる通りです。僕は地底からいらっしゃった女性と暮らしておりますが、何もやましいことは無いですよ」


 素直に肯定し、淡々と事実を述べた。ここで変に否定したりすれば、別の意味を取られてしまう。

 そうしたフランの一切動じない態度が面白くなかったのか、キーラは唇を引き結び、フォークを指先で弄ぶ。


「やましいことが無い、なんて口では何とでも言えるでしょう? あなたの弟ならともかく、あなたも好色家こうしょくかだったなんて意外よ。度が過ぎた天才は、みんな女好きってことかしら?」


 挑発的な物言いにもフランの表情は変わらずいでいるが、それとは裏腹、頭の中では目まぐるしく不平不満が飛び交う。

 どうして事情を知らない赤の他人に責められなければいけないのか、それに弟と同類と言われるのも頭にくる。隠す意思のない嫌味を前に、フランは言い争いを避けるため愛想笑いで同じ土俵どひょうに乗るのを避けた。

 これ以上の言及は無駄だとアップルパイを一口。この先はキーラに任せる。


「あたし、あなたに興味があるの」

「それは光栄です」


 何の脈略みゃくりゃくもない言葉だったが、反射的に感謝が口をついて出る。

 僕はあなたに一切の興味はありません、という本心は少しも漏れてはいない。


「幼少からの知り合いなのに、お互いよく話したことがないのは勿体無いと思うのよ。だから親睦しんぼくを深めたくて」


 テーブルに肘をつき、フォークでアップルパイの形を崩しながら向けられる瞳には、見え透いた罠がある。

 あまりの行儀の悪さに、本当に貴族の娘なのかと引いてしまった。幼少期にしかマナーを教わっていないはずのリアの方が、よっぽど所作が綺麗だ。さすが国主家族だと改めてリアの株を上げたその時も、体の表面はキーラ用に作り上げた嘘偽りの皮を被り、爽やかに対応する。


「でしたら次はキーラ様のご両親や、僕の家族を交えて久しぶりに食事会でも行いましょうか。そうした方が、より両家とも絆が強固なものになるかと」


 差し当たりのない返しをすれば、キーラは不満げにパイから零れ落ちたりんごをフォークで一刺しした。


「あたしはあなたと二人が良いわ」


 強い口調にも負けるつもりはない。


「どうしてです? 二人きりで会えば、あらぬ誤解を受けてしまいますよ。それならば家族ぐるみの付き合いの方が、将来的に良い結果になると思いますが」


 柔らかな声、落ち着いた雰囲気を演出するシャンデリアの光の下で映えるような微笑を浮かべる。確固かっこたる意志を持った受け答えをすれば、キーラは小さな舌打ちと共にひと睨みし、りんごを口に放り込んだ。


 それからキーラは何も喋らず、ただひたすら無言の食事が続く。

 結局自分を呼んだ手紙の意図は、リアについて探りを入れている可能性をぼんやりと感じただけで核心に迫るまではいかず、店を出ることとなった。

 近年まれに見るとんでもない額を支払い、無価値な人間に対して大金を使ったという事実にむかっ腹が立ちながらも、店の外に出ると心地の良い夜風が吹いていて単純ながらも少しだけ心が晴れる。


「夜道は危ないですから、自宅まで送っていきます」


 本当は今すぐ解散してさっさと帰りたいが、中々そうはいかない。大切なものを扱うように、わがままなご令嬢に声をかけるが、当人は不機嫌を隠そうともせず、無言で歩き出した。

 態度の悪さに夜風がさらっていった苛立ちが舞い戻って来るが、押さえつけてキーラの半歩後ろをついていく。

 ボーマン家の邸宅まではそんなに離れていないので、すぐ道の先にその門扉もんぴが見える。屋敷の前の通りは静かで、もう危険は無さそうだ。フランは帰宅欲を押さえ、しっかりとキーラに向き直って軽く会釈をした。


「本日はキーラ様と食事を共にできて、とても有意義ゆういぎでした。では」


 十割嘘を吐いて去ろうと半身を傾けた瞬間、キーラに腕を掴まれた。押し付けられる柔らかな感触。


「……ねえ、フラン……。まだ帰りたくないわ。あたし、今夜はあなたといたい。あなたの家に行きましょ……?」


 天体の光を受けた熱っぽい瞳で、上目遣うわめづかいに見つめられる。半開きの唇は欲情を誘うためか。からめとられる腕をねっとりと撫でられた。

 ――なんて安っぽい色仕掛けだ。

 フランは軽蔑すら覚えた。リアが気になるのはわかるが、情報を集めるにしてももっとやり方はある。


(僕を理性の欠片もない人間だとでも思っているの? さすがに馬鹿にしすぎでしょ。というか、好感度が地の底に落ちている女性からそんな風にされても、しらけるだけなんですけど。あ、もしかしてあの不機嫌態度取っておきながら、僕に好かれていると勘違いしている、幸せな思考回路をお持ちの方なのかな?

 そもそも気軽に愛称で呼ばないで欲しいし、なんなら呼び捨てにだってされたくない。いつ僕はキミとそんなに親しくなったんだい? 人との距離感おかしいんじゃないの?)


 脳内に噴出ふんしゅつする本音を全部腹の底で丸めて、相手がその気ならそれを利用するだけだとフランは妖艶ようえんに微笑んだ。


「キーラ様。そのようなことをされたり、言われるのは止めて下さい」


 人差し指を自分の唇に付けて、それをそのままキーラの唇にそっとあてがう。


「男は欲望に弱いものですから」


 指を離し、一歩後ろに下がったところでフランはまた口を開いた。


「あなたの気持ち、とても嬉しくいただきます。ですが僕は恋愛に不慣れなもので、少しずつ関係を縮めていきたいです。まずは、あなたにプレゼントをさせていただきたいのですが」

「どんな? あたし、生半可なまはんかな贈り物じゃ驚かないわよ?」


 体の前で腕を組み、偉そうに胸を反らす姿は微塵みじんも可愛げがない。


「ええ。キーラ様ほど魅力的な方であれば、引く手あまたでしょうからね。でも、きっと僕のプレゼントは気に入ってもらえると思いますよ」


 勿体もったいぶるように目を細めれば、キーラは関心を持ち、月明かりに照らされた髪飾りが鈍い光を跳ね返す。


「へぇ、一体何かしら?」

「あなただけの使用人です」


 白羽しらはの矢を立てた当人には、もちろん了承は取っていない。今ここで決めた事だから。

 面倒ごとには間違いない今回の案件だが、その中に遊びを見つけ胸が高鳴る。

 フランは穏やかな海のように微笑んだ。

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