第41話 平和条約締結1
平和条約締結が行われる当日。
朝から町全体が浮ついているのが風に乗り、会場になる大教会へ流れて来る。
今日の決定事項によっては、これからの暮らしぶりが大きく変わる可能性がある。地上人もモグラも、無視はできない大切な一日だ。
その非常に重要な場に招待されたリアは、かれこれ数時間前からそわそわ椅子から立ったり座ったり、やることなすこと手に付かず落ち着かないひと時を過ごしていた。
フランもラフィリアも普段と何も変わらず塔最上階の部屋に集い、のんびりと窓から入る光に当たっている。リアだけが心臓を高鳴らせ、なんだか場違いだ。
平静を装って、ほうきを持ち出し床を掃くものの、頭は未来への不安を膨らめ、気が付くと同じ場所を往復していたりと、自分でも
「リア、そろそろ行こうか」
フランの呼びかけにハッと顔を上げた。険しい顔で部屋の隅をひたすら掃いていたのだと、意識が妄想から引き戻されれば羞恥で顔がほてる。
開始は正午。まだここを出るには少し早いが、フランは心ここにあらず状態のリアを見かねたのだと、余計恥ずかしくなった。
じっとしていたのでは出ない答えにからめとられ、思考が堂々巡りをしてしまうだけなので、フランの提案に否定を示す理由はない。掃除道具を片付け、簡単に身だしなみを整えてから扉の前で待つフランと合流する。留守番をしていてもらうラフィリアに挨拶をしようと振り返ったところで、窓を背にしたラフィリアの青く澄んだ瞳が二人を射抜くように冷たく輝いた。
「地底はラフィの力を持ってない人たちが暮らしてる。地上は運良くラフィの力を手に入れた人が住んでる。力を持ってる人が持ってない人を長いこと迫害していた。そして今日、その二つがようやく仲良くするために約束すると」
こちらの返事など求めていない、独りよがりのつぶやきが部屋を満たす。
初めて見る残忍な笑みが、美しい顔に怪しい魅力を顕在させていた。
「……でもさ、人間がラフィの力を使えるっていっても、ほんのごくごく僅かな力なのに、強くなったと勘違いして、本当に愚か。ラフィからしてみたら力を持ってても持ってなくても同じなのに」
こちらを試すような口ぶりに、リアは返答に窮する。明らかに感情を揺さぶろうとしているその言動に、目が泳いでしまう。
「本当にその通りですよ。僕たち人間がラフィリア様に敵うわけありませんから」
まったく無駄なく簡潔に会話の扉を閉じ、フランは代わりに部屋の扉を開けた。怒りも動揺も悲しみもない輪郭の曖昧な肯定に、ラフィリアは身動き一つしなかった。
開けられた隙間からリアは逃げるように廊下へ出たが、フランはゆっくりと丁寧な
無言のまま一つ下の階へ。そこで斜め後ろからフランに呼びかけられたので速度を落とす。
「多分今日、ラフィリア様が何か行動を起こすと思う。だから、なるべく僕から離れないようにして。キミを守り切れるかはちょっと分からないけど、できるかぎり善処するから」
不穏な内容で、しかもいつもの余裕は鳴りを潜めた、どこか焦っているような厳しい顔をするのだから、逆にリアの方が無理に笑ってしまう。
「そんな怖いこと言わないでよ」
「僕も極力、楽観的に物事を捉えるようにはしているんだけど、今回だけはちょっとそんな悠長に構えていられなそうなんだ」
重役でもないのに出席を強要された、地上と地底の平和条約締結の場。それだけで警戒するには充分。さらに、ここに来てラフィリアの挑発的な態度。気楽でいられるほど図太くはない。現実逃避をしていないで、自分を取り巻く思わしくない事実を受け止めないといけないが、認めてしまったら恐怖で足が止まってしまいそうだ。
リアには身を守る術がない。奇跡の力はもちろん、武術や剣術なども経験がない一般人だ。荒事に巻き込まれたらひとたまりもない。まさに一寸先は闇。
心許ない行先に足取りは重いが、あっという間に塔の入口まで着いてしまう。建物の外に出れば研究棟の建物へ続く扉までの間にちょっとした緑が広がる。まず目に入ったのはリアとフランを待ち構えるように立つ、大教会の黒い制服を着た男だった。こちらを確認すると大股で向かって来る。
近づく男をフランは塔の前で真正面から迎える。
「僕に何か用ですか?」
「
淡々と告げられるのは
フランの代わりにリアが、え!? と素っ頓狂な声を上げてしまったが、目の前の男は聞こえていないかのように微動だにしない。
ただじっとフランだけを食い入るように見つめている。
「どうして僕? 僕がその御三方とお話しする事など無いと思いますが」
「あなた様の意見は聞いていません。さあ、こちらへ」
「あいにく、僕はこの子を平和条約締結の会場まで送り届けないといけないので」
「その娘であれば、別の者にエスコートさせますので気にせず」
小気味よく飛ぶ会話にリアは圧倒される。両者とも一歩も譲る気配はない。
きっとこの招集からは逃れられない運命だとリアは九割以上受け入れているが、フランはまだ粘るようで、うざったそうに眉を寄せた。
「この子は僕の客人だ。僕が責任を持って連れて行きます」
「あなた様は国主様に従わないのですか? これは国主様の命令ですよ」
「ではこの子も同行させます」
「あなた様一人で、とのことですので例外は認められません。先程も言いましたが、これは国主様の命令です。
大教会の一員であれば、その頂点である国主の命令は絶対だ。それを正当な理由なく
フランは追い詰められ、苦い顔をする。この窮地を切り抜けようとしているのだろうが、どう見ても
「……では、この子はお願いします。くれぐれも手荒な真似はしないように」
「それはこの娘次第だ。……娘。すぐに別の者が来る。それまで塔に入っていろ」
物を投げるような乱雑で高圧的な双眸と、ここで初めて目が合った。
それもほんのひと呼吸の間だけで、すぐに男は研究棟へ
突然一人で放り出され、心細さを消化できないまま言われた通り塔の内部へと戻り、鉄でできた出入り口の扉をゆっくりと閉めた。手のひらに伝わる冷たさが全身を支配して負の感情を加速させていく。
――ねえ、リアちゃん。
その声は、何の前触れもなかった。
すぐ耳元で
二歩先の近距離に佇んでいるのはラフィリアだった。気配は勿論、音すらも立てずにここまで近づかれたことに
「ようやく二人きりになれた。ラフィ、リアちゃんと腹を割って話したかったんだよね」
塔の出入り口付近は窓が少なく薄暗い。ラフィリアの人好きするような笑みの実態が闇に
「リアちゃん、そんなに警戒しないでよ。危害を加えようなんて思ってないから」
面白そうに小さく声を出して笑う姿からは、敵意など感じない。しかし、気を抜けるほど和やかでもない。
「リアちゃんはモグラでしょ? 力が欲しくない?」
問うラフィリアは
リアは面食らい黙り込んでいると、悦に入った語りは先へ進む。
「生まれた時から差別の対象でつらくなかった? ラフィね、リアちゃんにも力をあげられるよ。リアちゃんも欲しいでしょう?」
優しく抱きしめられて甘く鼓膜を揺さぶる。
奇跡の力は喉から手が出るほど欲しかった。それさえあれば、ずっと幸せに生きられたはずなのだ。
本音が出口を求め暴れ出す。しかし、ここで漏らすわけにはいかない。弱みを見せてしまったら、こちらの負けは確定する。心の内を悟られないように涼しい顔を意識して、筋肉を弛緩させた。それに対してラフィリアの頬はなだらかな丘のように盛り上がる。
「リアちゃんには、ラフィの力をまったく宿していないモグラとも、ラフィの力を貸しているだけの地上人とも違う、不思議な流れを感じるんだ。ラフィの知らない力がその胸のうちで
囁きはリアの脳を侵食していく。ここで頷いたら、国主の娘としてまた迎えられるだろうか、と目の前に綺麗な幻想が映る。家族が笑顔でリアを待ち構える、そんな理想的な情景。しかし、リアは唇を噛みしめ都合の良い妄想を振り払った。
「私はっ、奇跡の力をこの世界から消したいんです。だから、いらない」
ここで自分だけが力を授けられて満足しても、別の誰かは奇跡の力によって涙を流す。それでは根本的解決にはなっていない。
「本当に? ここの人たち、リアちゃんにきつく当たってなかった?」
「確かにそうですけど、私はその人たちに復讐したいとかは考えていないです。だから、力はいらないです」
「ふぅん。……せっかくラフィが力をあげるって言ってるのに。別にいいけど。リアちゃんは今、自分の可能性を一つ潰したんだ」
興味を失ったようにラフィリアはリアから離れ、つまらなそうに髪をかき上げる。
「本当、人間ってめんどくさい生き物だわ。自分の欲望のままに生きればいいのに周りを気にして、簡単に自分を犠牲にして。信じられない。フランもさっさとラフィの言いなりになればいいのに。あの人間、どうも他の地上人とは違う方法で奇跡の力と呼ばれてる、ラフィの力を使っているんだけど、中々力を使わなくてこっちに不利になるのか有利になるのかまるっきり分からないし」
盛大なため息とともに、これまでの
「そうだ! リアちゃんにあなたたち人間が『奇跡の力』って言ってるラフィの力について少し教えてあげるね! 気になるでしょ?」
人差し指を立てて元気に詰め寄られる。
「え、ええ……」
一秒ごと変わる表情に気圧されながらも、リアはなすがまま首を縦に振る。するとラフィリアは得意げに胸を張った。
「神の力はラフィが一時的に貸しているだけだから、みんなラフィの力を経由して使われているんだよ。力の源はラフィ、って感じ? 例えるなら、全速力で走るとして、それに使う体力は自分のじゃなくて他の人のものを使う、みたいな?」
「じゃあラフィリアさん、不特定多数に随時力を引き出されているってこと?」
この世界には奇跡の力の保有者は星の数ほどいる。恐らく常にどこかで力は使われているはずだ。ラフィリアに疲労などの変化は見られないが、この話しをしている今も勝手に力を使われているのだろうか。
「まあ、そうなるね。でも人間が使う力なんてたかが知れてるから、リアちゃんの考えているように、へとへとには全然ならないんだけど」
ここで眼光が強者の余裕を秘めたものに変わり、神と人間の差を明確に区別された。ほんの気まぐれで生かされているだけだとひしひし伝わる。生唾を飲み込み愛想笑いを返せば、ラフィリアは声のトーンを落とし、目を細めた。豊かな金髪を指に巻き付け、自分のペースを崩さず独白のような調子の話を披露する。
「で、あのフランだけど、ラフィから力を引き出すのが極端に少ないんだ。本人は気が付いてないみたいだけど、体内に自分の力の源を持っているみたいで」
「それって、フランは神なの……?」
「ううん。それはないよ。間違いなく人間のはずなのに、どうなっているのか。……まあ、どんなに優秀でも、人間が神であるラフィに
物事を煙に巻くような、暗くもなく明るくもない塔の入口は、ラフィリアの味方をするように、リアの心を闇に染め上げる。
「さ、リアちゃん。お迎えが来たようだよ。今日、頑張ってね」
扉のすぐ横にある小さな窓に視線を移したラフィリアが、わざとらしいほどに抑揚をつけてリアの目線を独占する。軽やかに後ろに跳ねながら距離を取るラフィリアは、大笑いを堪えるような力の入った顔面をしていて、ぞっとした。
自分でもどうしたかったのか定かではないが、呼び止めようと手を伸ばしたその瞬間、ラフィリアは光の粒を残し消え、同時に扉が開いてリアの影が室内に落ちた。
「おいモグラ。早く来い」
礼儀も、人としての尊厳も何もない冷酷な物言いが、背中へぶつけられる。
後戻りは許されていない運命の道筋が、リアの前に刻まれる。抗えない力に導かれるようにして、リアは黒服の後に続き心地の良い太陽の下へ繰り出す。
無機質な扉を自らの手で閉めれば、地上へ行こうと決めたあの日から自分で選び取ってきた結末への道が、いよいよ完成した。
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