第40話 理不尽な世界で
ばたん、とひと際大きな音を立て扉が閉まれば、ようやく心無い視線や陰口から解放された。
「リア、ちょっと暴君すぎない?」
「ほら、早くそこ座って!」
やんわり
「キミ、僕に八つ当たりしてるよね。キミの怒りの
感情が高ぶり視野が狭くなっているリアへ、フランは簡潔で冷静に客観的観点を説明してくれた。フランの言う事はもっともだ。だからこそ、それがリアに油を注ぐ。
どうしてあんな言動をされてそんな落ち着いていられるのか、リアには到底理解できなかった。
「フランはおかしいと思わないの!? こっちは怪我人よ。あの人、あなたのこの怪我を見て、お引き取りくださいって言おうとした。なんで……」
「僕は癒しの力がある数少ない人物だからね。当然だよ。怪我をしてここに来るなんて、あのおばさんの仕事を増やす嫌がらせにしかなってない」
「でもっ……」
少なくともフランにはここを利用する権利はあるはず。それをあんな突っぱねるなんて、いくら癒しの力を持っていようと許される事ではないはずだ。困っている人がいたら手を差し伸べたいと思うのは間違っているのか。当人であるフランは感情の起伏など少しもない表情で言うのだから、リアはその先を失い、体に入っていた力が抜けてうなだれた。
「他人のために怒れるなんて、リアは優しいね。……でもね、生きていくには諦めも必要なんだ。理不尽だって思うことも沢山ある。どうして自分が、って思うことも、もちろんある。でも、それをいちいち真に受けていたら、壊れてしまうのは自分なんだ。悔しいけどね」
リアの熱を冷ますためにかけられる声は、小川のせせらぎのように心地の良い抑揚が付けられている。だが、口を引き結び、やり場のない
リアだってこの世界は、自分の力ではどうにもできないことで溢れているなんて、嫌というほど経験済みだ。これでも地底に落とされた身。同じ年代の子よりは苦渋を味わっている。希望を捨てて周りに流されながら自分を
「……もういい。さ、本来の目的。腕を出して」
ここに長居をしていたら、摘まみ出されてしまうだろう。
リアは地に落ちた機嫌を奮い立たせ、ベッドの隣に置かれていた丸テーブルに麻袋の中身を広げた。小瓶に詰められた透明な消毒液とガーゼが三枚、それに包帯だ。道具は充分、あとは人の手当てをするのが初めてであるリアが奮起するだけだ。
「えーっ、本当に消毒するの?」
「当たり前でしょ。何のために苦労してここまで来たのよ。早く」
二人はしんみりしてしまった空気を吹き飛ばし、フランの左腕に注目した。
強めに催促すれば、嫌々ながらもフランは
「うわっ、痛そう」
リアはガーゼに消毒液をたっぷりしみこませながら、床に膝を付いて
「でしょ? だからこれ以上、無意味に痛みを経験する必要はないんだよ」
「無意味じゃないし、ちゃんと上げておいて」
袖を下ろそうとするのを阻止し、リアはぐいっと肘まで一気にまくり上げた。
目の前に晒される
これは何かとリアは視線で訴えるが、フランはとぼけるように明後日の方向に目を逸らした。
それをいいことに、リアは手に持っている消毒液を浸したガーゼを、問答無用で傷口に乗せた。理由は後でちゃんと聞けばいい。
「ぎゃー! リアっ、それはあんまりだよ、痛いっ、あー、ほら痛い、キミには
手当の最中、ずっとぶつぶつ言っていたが気にせず、ついでに横に切られた傷も消毒をし、ガーゼを当て包帯を巻いた。初めてにしてはいい出来だと誇らしい。
「はい終わり」
そっと袖を元に戻して満足気に立ち上がれば、フランは大人げなく、むくれた。
「酷いよ。普通あの場面だったら、知らない傷について聞くよね? 僕、そのつもりで言い訳を用意してたのに、急に消毒し始めるなんて心の準備ができなかった」
「で、その私が知らない傷は何?」
「聞く順番が違うよ」
「私に関係ないなら話さなくてもいいけど。関係あるならちゃんと話して」
退路を塞ぐように立ちはだかり、体の前で腕を組む。
強気に出ないとフランはのらりくらりとかわすので、納得する理由をもらえるまでは何があっても動かない、という強い意思が必要だ。リアだってフランの生活すべてを知ろうとは考えていないし、知りたくもないが、ラフィリアにかかわっているのなら、当事者であるリアにも当然共有されるべきであろう。
「キミ、僕と会った時より明らかに逞しくなってるよね。……この傷、実は夜中にラフィリア様に寝込みを襲われたんだ」
「えっ!?」
斜め上を行く直接的かつ衝撃的な内容で、外にまで聞こえるくらいの大声が喉を突き抜けた。
「あ、
「いやいや、命も襲われちゃいけないでしょ! というか朝食の時、フランもラフィリアもいつもと変わらなかったよね!?」
思い返しても、不審な点はなく、笑い合って会話をしていた。裏ではそんな殺伐としていたなんて、リアには想像もできない戦いだ。
「でも本当だよ。寝てたらさ、なんか突然光の刃? みたいなのが飛んできて。何とか避けたんだけど、ちょっと怪我したのと掛布団が破けて綿が出ちゃったんだ。お気に入りだったのに」
いじけるフランからは深刻さなど
「私は今のところ攻撃されていないけど、どうしてフランを襲ったのかな……」
今夜は自分の命に危機が訪れるのかと思うと寝るのが怖い。
「多分、僕の力を確かめたいんだよ」
確信めいた響きに、リアは気になっていたことを聞くいい機会だとフランの横に腰掛けた。
「あなたの力、水、転移、癒し、透明、あと一つあるのよね? それって何? ラフィリアには四種類って言ってなかった?」
「よく覚えているね。記憶力がいいのは罪だなぁ」
フランは小さく唸り、眉を寄せて難しい顔をしている。それはフランがリアに心を許している証。気を許していない相手であれば、彼は感情の乗らない笑顔でしれっと誤魔化すのだ。
「……キミにだったら話してもいいかな。あ、これは絶対にラフィリア様には知られたくないんだけど。と言っても大教会でも知ってる人は知ってるし、漏れちゃうのも時間の問題かなぁ……。僕の五個目の力にして、最大の力は奇跡の力を無効化する力だよ。まあ、ラフィリア様を覆っていた結界には効果無かったし、微妙な力だよね」
独り言のような前置きを経て密やかに伝えられたのは、リアにとって初めて聞く力だった。
だから先刻、オルコット騎士長は不自然に力を発動できなかったのか、と腑に落ちた。かつて貧民街で捕らえられ、その親玉と対峙した際も、似たような事があったな、とようやく絡まっていた糸が解かれてすっきりする。
「その力こそ、僕が恐れられて
どうにもならない現実を前にした時に形作られる、自嘲を含んだ笑みがそこにはあった。
「どうして? 凄い力じゃない。さっきの騎士長、フランのお兄さんかな? フランを敵視していたみたいだったけど、何でフランがラフィリアを
大抵の人は一種類なのに奇跡の力を五種類も使えて、しかも威力まで高いなんてラフィリアから祝福を受けた人物である以外に言いようがない。どこを間違えば罰当たりになってしまうのか。
純粋に首を傾げるリアをフランは沈痛な面持ちで一瞥してから、真っ直ぐ前を向いた。その横顔は愁いを帯びている。
「リアの言う通り、騎士長は僕の兄だよ。あんな見苦しいところをキミに見せてしまって、悪かったと反省してる。僕が罰当たりって言われる理由だけど、それは僕の持つ力に起因してるんだ。奇跡の力を無効化する、すなわち女神ラフィリアの力を打ち消す。これが神に対する反逆だと。あの人、昔からあんな感じなんだ。いけ好かないよね」
「酷い……たったそれだけの事でこんな乱暴をするなんて、言っちゃ悪いけどあなたのお兄さん狂ってる」
一度は収まった怒りがまた暴れ出す。奇跡の力を使って人を何の
「あはは、そうだね。……でも大教会の人間、いや、地上の人間は大体それに同意しているよ」
怪我を負った左腕を無意識にさするフランはどことなく覇気がなく、語る言葉はまるで自分自身に言い聞かせているようだった。
「ここにいる人は僕を避けるだろう? それは僕の力に敵わないのと、ラフィリア様の力を打ち消すなんていう神に背くような僕を良く思っていないからなんだ。僕はこんな力は嫌いだ。だから、極力使いたくない」
吐き捨てられたのは、長年体内にため込んだ憎悪だった。彼が抱えてきたものはリアが考えていた以上に重く大きく、かける適切な
類い稀なる力を持ったからには夢を追いかけることなど許されず、大教会に押し込められたが、そこでも不当な扱いを受ける。まったく救いがない。
力を持たず、見放され地底に落とされてからも、その経緯のせいで周りから一線を引かれていたリアと、どちらがましだろうか。
「でも、これだけは言える。私はフランの力があったから今、生きてるの。
行動を共にするようになってから、フランが力を使ったのはリアに対してがほとんど。随分お人好しだ。
指摘すれば思い詰めたような険しさが消え、ほんの
「意外とそうかも知れないね。まあ、最近は特にラフィリア様に手の内は明かしたくないから、余計力は使わないようにしていたんだけど。とにかく、ラフィリア様には気を付けて。恐らくまだキミの重要性に気付いていないはずだから、襲われはしないだろうけど、少しでも変な事があったら言ってね」
自分の重要性、それを改めて口に出されれば身が引き締まる。自分はラフィリアに唯一対抗できる可能性があるのだ。ラフィリアを復活させた際、結界をすり抜けた自分の手を伝う感覚は忘れられない。もしもリアの特異性に気付かれてしまったら、どうなるのだろうか。殺されるのか、奴隷にされてしまうのか。はたまたはたまた別の展開が待つのか。どのみちリアの良いようにはならないだろう。
ひたすら無力感に苛まれるが、それでもリアは
「そろそろ出鼻をくじかれた買い物に行きましょうか。パン屋のおじさま、待っているかもしれないわ」
「そうだね。明日の平和条約締結の後にある食事会にパンを提供するらしいから、どんなものか聞いておかないと」
大量に注文したスコーンの受け取り時間はもうすぐ迫っている。
個室から出て、近くにいた職員にありがとうと一言だけ声をかけ、好奇の視線を分厚い扉で遮った。
重役が一堂に会する地上、地底の平和条約締結の日まで、あと一日。
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