第36話 首飾りを求めて3
リアは一人、執事にいざなわれるまま屋敷の奥へと進む。知らない場所に知らない人。心細かった。同じ建物内にはフランもいるし、不本意ながらその婚約者として来ている身だ。命の危険に晒されるというようなことはないと思うが、先程フランの両親から向けられた軽蔑の眼差しがリアの気持ちをどん底に落とす。モグラに対する地上人の態度はおおかたあんなもの。モグラにも対等に接するフランが変わっているだけなのだ。やるせないが、今はまだどうしようもない。いつかこの世界から奇跡の力を消し、皆が大手を振って出歩けるようにするためにここへやって来たのだと、自分を奮い立たせる。
執事が足を止め、流れるような手つきでノックをすると扉越しにも聞こえやすいよう、少しだけ声を張り上げた。
「ルーディ様。お客様をお連れいたしました」
その名前に心臓が跳ねる。とうとう離れ離れになった親友と会えるのだ。今になって緊張を自覚し、体がこわばる。どんな顔をすればいいのか、何と声をかければいいのか。大切な
そっと開けられる扉。執事は優しく丁寧な所作で中に入るように示す。心の準備ができていないが、そんなことは言っていられない。リアは白に近いベージュのスカートを揺らし、一気に部屋へと入った。
ごゆっくり、と閉じられる扉を背に、しばらく立ち尽くす。
そこは陽の光が良く入る、大きな窓のある部屋だった。掃除が行き届いていて、ちょうど正面には大きなテーブルがある。その上には沢山の菓子が綺麗に並べられ、さらに奥には応接間にあったものと同等か、それ以上値の張りそうな白いソファが置かれている。そこに、長い赤毛をゆったりと横へ流すように整え、首まで詰まった濃い青色のドレスを着た女性が座っていた。
「ルーディ……」
懐かしい名が唇から漏れる。
地底にいた頃と服装は違えど、確かにルーディだった。疑っていたわけではないが、ここへ来るまで本当に視察団に連れて行かれた親友はいるのかと、心のどこかで夢の話のように感じていたが、ようやく現実となった。
「り、リア……?」
ルーディは掠れる声で呟きながら腰を上げた。見てはいけないものを見てしまったかのように真ん丸に見開かれた目は、リアに吸い付けられるように離れない。
しばらく無言のまま二人は見つめ合った。お互いこの状況を受け入れるのにしばらく時間がかかる。決して居心地の悪くない沈黙を破ったのはリアだ。こみ上げる想いと共にルーディまでの十歩ほどを駆ける。
「ルーディっ!」
途中、慣れることのできなかった靴が宙を舞うが、リアを止める要因にはならない。バランスを崩し、倒れそうになるところをルーディが受け止めた。
「リア!? リアよね!? どうしてここに……!?」
ルーディの胸に顔を埋めたまま、返事をすることはできなかった。意思とは関係なく
ここまで本当に色々あった。ルーディが連れていかれ、育ての親だったジャネットが視察団に殺され、家と職を失い
今ルーディといられる時間は限られている。泣いて無駄にしている場合ではない。リアは必死に息を止め、目元を腕で強く擦る。
「……ルーディ、私、ずっと会いたかった」
涙でぼやける視界でも、ルーディが穏やかに微笑むのが分かった。
「あたしだって、リアに会いたかったわ。……あたしにお客様が来るって言われて、凄い不安だったのよ。でも蓋を開けてみたらリアだった。緊張して損したわ」
地底にいた頃と変わらないルーディの軽い口ぶりに、また目頭が熱くなる。
「せっかくだから、お菓子食べましょ」
地底では食べられないような、見た目にも凝ったお菓子が所狭しと並ぶ。ルーディがソファに身をゆだね、花の形をしたチョコレートをつまんで口に入れた。
かりっと小気味のいい音を立ててかみ砕く様子を見ていると、反射的にお腹が空いてくる。リアもルーディの隣に座り、同じ物を手に取った。
「美味しいっ! やっぱり金持ちは贅沢だね!」
それを皮切りに、リアとルーディの口と手は止まることを忘れたように食べては話し、笑っては舌鼓を打つのを繰り返していた。
ルーディが地上に行ってからの出来事をリアは改めて口に出す。ルーディは真剣に聞き、時に涙を浮かべてくれた。そうして心に積もった泥を一つ一つ掻き出していけば気持ちが晴れていく。ここまでがむしゃらに走って来たが、ようやく落ち着いて整理ができた、そんなすっきりした思考で、リアは切り出した。
「ルーディ、私とお揃いの首飾りって持ってる?」
胸元に提げていた花の首飾りを軽く持ち上げれば、ルーディはもちろん、と壁際に置かれた引き出しから迷わず取り出して自身の首にかけた。
「これがどうしたの?」
座り直すルーディにリアは体を向けて頭を下げる。
「お願いなんだけど、それ、しばらく私に貸して欲しいの」
「何で? これただの首飾りよ? ちゃんと理由を話してくれたら考えようかなー?」
手のひらで隠すように包み込み、いたずらっぽい笑みでリアを翻弄する。
ここまで、ルーディにはラフィリアについて少しも話していない。それを知らないのだから、怪しまれても仕方のないことだ。急に自分の首飾りを欲しいなんて言われたら、リアでもその理由を尋ねるだろう。
どうするのが正解か言葉に詰まる。ルーディは親友であり、信頼できる人だ。わけを話せばきっと首飾りを渡してもらえる。誰にも言わないで、と念を押せばきっと他言はしないだろう。フランにはルーディに話さないと誓ったが、近しい人を前にその決意はろうそくの火のように揺らめき、途中で消えかかる。
話してしまいたい。
話して一緒に共感してもらいたい。一人で抱えるには重すぎる。分かち合いたい。楽になりたい。
「実は……」
――ラフィリアを復活させたんだ。それで、奇跡の力を消してもらうためにその首飾りが必要で。
「……ごめん、詳しいわけは話せない。こっちの要求ばかりで、そんなのわがままだってわかってる、でも、」
「いいわ。持っていきなさい。リアはほんっとうに隠し事するの苦手よね。それじゃ何かあるってバレバレだわ」
苦笑交じりに、首飾りはリアにかけられた。胸元で揺れる花は二つ。
「……あたし的にはね、リアには危険な事をしてほしくないけど、あなたが決めたなら最後までやり遂げるのよ。それと、その首飾りはあたしのだから絶対返しに来る事。いい?」
「もちろん。ありがとう……」
ルーディの優しさに固く閉じていた涙腺が緩むが、必死で堪える。上を向き、強く目を瞑れば親愛の情がこもった笑い声が聞こえる。
変わらないルーディとのひと時は、これまでの苦悩を綺麗に
ルーディが返事をすると、扉の向こうから現れたのはフランだった。
臆することなく室内を歩み、テーブルを挟んで立ち止まった。
「こんにちは、キミがルーディさん?」
「そうです。あたしがルーディですけど」
「僕は今現在、リアの面倒を見ているフランです。よろしく」
食べ散らかしたお菓子の上で握手を交わし、すとんとソファに戻ってからルーディが独り言のように口を開いた。
「リアの言ってたフランさんって、思った以上に整ってるわねー」
「ルーディ! 駄目よ、顔面に惑わされちゃ! こう見えて性格は最悪」
「え、そうなの?」
疑惑に眉を
「お腹に悪魔飼ってるのかって疑うくらいよ」
この屋敷に来てからも終始からかわれ続けたお返しとばかりに、ルーディには見えないよう、にんまりと口の端を持ち上げた。
「キミさ、本人を前にいい度胸してるし、そもそもいわれのない悪評をばらまくのやめてくれるかな?」
リアとの戦いから降り、芝居がかったため息をついてからフランは皿の上に残っていたクッキーをつまんだ。
「うん。美味しい。キミたちはこんなもてなしを受けて羨ましいな」
次はチョコレート、そして薄い黄色をしたマカロンを次々と胃に収めていく。まるで自分に出された物のような態度は謙虚さが足りない。
「……フランさんって、アードルフ様と顔の作りは似てるけど、雰囲気が全然違うわ。もうちょっと怖い人を想像してた」
フランの様子を窺うように発言するルーディには、明らかに怯えが混じっていた。まだ見ぬ、フランの弟だというアードルフがどんな人物なのか俄然興味が湧く。リアが何か言うよりも早く、フランが大げさに肩をすくめた。
「あいつ本当に性格悪いからね。ルーディさんにも迷惑かけてるよね。ごめんね」
口調は柔らかいが、うんざりとため息混じりだ。ルーディへの一言の中に様々な意味が込められているが、当然リアには推し量れない。
「ルーディ、酷い扱いを受けているの?」
二人の中で完結しそうなやり取りへ、無理やり押し入ろうと口を挟んだ。ルーディが困ったり悲しんだりしているなら全力で助けたい。
「――そうでもないわよ。ちょっとワイルドだけど、何とかやっていけそうだわ」
リアに目を落とす前のごくわずかな間の中に、確かに憂いがあった。
「そんな……」
「リア。そろそろ帰ろう」
そんなわけない、とルーディの嘘を暴こうと前のめりになるが、それを遮るようにフランは落ち着いて言い切った。アードルフの話題を強制終了させるように扉を開け、三人だけの空間に風を流した。
「待って、ルーディの話を」
きっとフランはルーディの強がりをわかった上で、この場から退く選択をしたのだ。
自分から言わないのであれば、無理には聞き出さない。本人の意思を尊重する、それが彼の優しさだ。
でも、リアはルーディにつらい思いはして欲しくない。
「リア。行くのよ。あなたには何かやることがあるんでしょ? あたしは大丈夫だから」
ここに残る、と言い出しそうなリアの迷いを温かく包み込んでルーディはそっと道を示した。
リアにはラフィリアに奇跡の力を消してもらう、という途方もなく大きな使命がある。せっかくあともう少しのところまでやって来たのに、こんなところで問題を起こして万が一にもそれが潰えてしまったら、また最初からやり直しだ。
奇跡の力を消せば、結果的にルーディを救うことになるかもしれないと自分を納得させ、名残惜しくも重い腰を上げた。
「……ルーディ、また、絶対来るからね」
「今日は本当に楽しかった。次に会う時まで元気でいるのよ」
「うん。ルーディこそ」
静かに挨拶を交わし、ルーディの元を離れる。必ずまた会いに来ると心に深く刻み込んだ。
「フランさん。リアはすっごく不器用だけど、とっても良い子よ。どうか……よろしくね」
「もちろん」
引き留めるようにルーディが早口で告げたのは、リアへの飾らない思いやりだった。それを受けるフランは、自信を持った強い意思を灯す瞳ではっきりと即答し、リアは嬉しさと恥ずかしさで赤面してしまう。自分には何もないのだと思っていたが、それは間違いだった。くすぐったい気持ちのままルーディに手を振り、首から下がる二つの花を両手でそっと握り込む。ここへ来た時より強く、前向きになった心を実感しながら扉をくぐった。
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