第35話 首飾りを求めて2
身長の倍ほどある立派な玄関扉がそっと開き、こちらを窺うように隙間から背の高い男性が姿を現した。白髪交じりの髪を撫で付け、黒を基調とした服を完璧なまでに着こなしている。これは間違いなく執事だろう。
「やあ、ただいま」
「おかえりなさいませ、フランシス様」
執事の
弾かれたように体が動いてしまったが、これでも大人しい方だ。本当であれば大声を上げ、しゃがみ込んで頭を抱えたいほどの衝動に駆られている。混乱をきたす頭で最小限の動きだけに
「あはは、この子、緊張しいでね」
フランに両肩を掴まれ、体の向きを正される。まるでどこかの国の王子のような明度の高い笑顔の奥で、さっき変な行動しないでって言ったよね? といったまぎれもない圧力がリアを責める。己の失態を何とか挽回するように、引きつる頬を必死に上げてどうにか、こんにちは、と小さく目礼した。玄関先でいきなり背中を向けるなんて、失礼極まりない態度だと今更背筋が凍る。
ここで相手を不快にさせてしまったら、ルーディに会えなくなってしまうかもしれない。それだけは嫌だった。
でも、それでも、これは情報過多だ。
(ただいまって何!? それにフランシス様って何!? ちょっと、どういうこと!? 私にわかるように説明してよっ!)
言いたい事はもっとある。ラフィリアが五百年前に力を与えたのは、フランシス・オルコットだったはずだ。それが何故ここにいる?
飛び交う思念に目を回しそうになるが、そんなリアを置いてフランは執事と話を進め、屋敷の中に案内された。
通されたのは玄関のすぐ横にあった応接間だ。ぶれることなく頭を下げ、静かに扉を閉める執事の足音が消えたところで、リアは肺に空気をはち切れんばかりに満たした。
「ちょっと! これ、どういうことよ!?」
「ここは僕の実家だよ。言ってなかったっけ?」
フランは備え付けられたソファに座り、拳を握り締めるリアの反応を楽しむように挑戦的な流し目を送る。
わざと口に出し、ちょっとした暇つぶし感覚で人の感情を弄ぶ。頭に血が上った状態で接すればフランのおもちゃになるだけだ。深呼吸を三度繰り返し、怖い顔をした。
「あなたって、いっつも自分勝手っ。私に何も教えてくれないじゃない」
「まあまあ、別に隠していたわけじゃないんだよ。教える必要も無いことでしょ? 僕の出生なんて。リアも座って」
横の座面を軽く叩く。この状況でそれに甘んじるなんて気持ちが断固拒否するが、いい加減足が疲れてきた。座り心地の良さそうなソファはリアを誘惑している。
迷ったのはほんの一瞬で、結局欲望に負けた。
腰を落とせば、リアの体重は包み込まれ、有り余る包容力を持ってして受け止められる。役割をソファに移した足は開放感に脱力した。
目の前には天板がガラスでできたテーブルと、もう一対のソファ。これからここに誰かが来るのだろうか。
「……フラン、ってフランシスの愛称だったのね」
「僕的にはフランの方が本名だと思ってるけど。……ほら、フランシスってなんか仰々しい名前でしょ?」
窓から入る陽の光に照らされ、束ねた艶めく黒髪を肩でいじりながら作る微笑は、もはや十割方嫌味だ。名前に負けていないし、何なら勝っているとすら納得させられるが、おだてる気は一切ない。渾身の据わった目で一瞥してそっぽを向いた。
しばし無言の時が流れる。何もすることがなく、無意味に手を見つめたり、足の先を動かしてみたり。心を占めるのは、やはりラフィリアの言葉。
「フランシス・オルコット」
何かの呪文のように、その名をそっと低く呟く。彼は何か知っているのだろうか、という期待を込めて。
「どうしたの? 人がフルネームで呼ぶときって大体良くない時だよね。……もしかしてリア、僕が貴族だったから気後れとかしてる? 大丈夫、身分的には国主の娘であるキミの方が上だし、これからもフランって呼んでよ」
いつもと同じ柔らかな笑みを湛えた目元に裏は無さそうだった。リアは一人で抱えてしまった大きな問題を胸に、途方に暮れる。
共有するべきだろうか、それとも黙って自分一人で事実を突き詰めるまで温めておくべきか、次第に濃くなる
「リア、キミ何か隠し事をしている?」
急に黙り込んで目を逸らす姿を見たら、誰だって気になってしまうだろう。我ながら人を騙すとか、嘘をつくとかそういうのが苦手すぎると苦笑いが漏れる。
こうなったら、ラフィリアから聞いた話を包み隠さず話してしまおうと決心したその時、応接間の扉が小さく叩かれた。
その一拍後、姿を見せたのは初老の男性。その後を追うように、控えめそうな女性が顔を出す。
「お久しぶりです、父様、母様」
さっと立ち上がり、フランは
二人が着席し、フランとリアも元の場所に腰掛ける。これからどんな話が出るのか気が気ではない。フランを覗き込んで先の展開を予想したいが、妙な挙動をして怪しまれるわけにはいかない。じっと前を見据え、意識的に口角を上げる。
「まず紹介いたします。こちらがリアさん」
「……リア・グレイフォードと申します」
その名乗りに、場の空気が凍りついた。それは国主の娘だからか、それとも国主の娘として生まれたのにもかかわらず、奇跡の力を持たずモグラに落とされた者の名だからか。
リアの言葉を引き継ぐ者は誰もいない。夫人は明らかに青い顔をして口を引き結んでいる。それを気遣うように背に手を回す家主は、妻思いの良き夫像そのものだ。
まるで自分が悪いことをしたような後味の悪さだった。リアなど気を使う価値すらない、といったほったらかしの態度に胸が
この頃はフランといたので忘れていたが、地上人のモグラに対する風当たりが変わったわけではない。卑しく
久しぶりに直面したモグラに対する一般的な反応に、リアの威勢はしぼんでいく。
ここから、この会合をどう進行していくのか見当もつかない刺々しい空気。それが突如、隣で動いた。
「手紙に書いた通り、リアさんと婚約しました。本日は会っていただいて、ありがとうございます」
場違いも甚だしいくらい明るく告げられるのは、リアには初耳の情報だった。泥沼に頭まで沈んでしまったかのような絶望が一気にかすんだ。
自分はいつ、この男と婚約したのだろうか。幽体離脱でもしていて、その時に約束をしてしまったか。婚約とは結婚の約束だ。正気でそんな提案を受けるわけがない。激しい感情の浮き沈みの中で驚きを感じる部位が欠落したらしく、逆に冷静だった。
ルーディに会うための口実だと理解できるが、フランとはそんな役なんて嘘でも演じたくない。しかし、逃げられない。
「聞けば弟のアードルフの婚約者も地底出身と聞きまして。それで今回、お願いを手紙にしたためさせていただいたわけですが、了承いただきありがとうございます」
「ふ、フランシスの決めた人も地底出身とは驚いたよ……。これから何かと付き合いが深くなるかも知れないからな。ぜひそちらのお嬢さんとルーディ嬢との親睦を深めていただくことは意味があると私も思うんだ……」
追い立てられるように早口で言い切るその顔には汗が流れ、久しぶりに会った息子だというのに喜びの欠片もない。明らかに怯えが混じり、フランを刺激しないように気を使っている。
「ありがとうございます」
フランの方も家族にしては隙がなさすぎる。まったく気を許さず、他人行儀な様子だけ見れば、この二人が親子だとは誰も思わないだろう。
早く帰って欲しい、と本音が透ける振る舞いで執事を呼びつけ、リアをルーディの元に案内するように言い付けた。
とうとうこの時が来た、とリアは軽く会釈をして席を立つ。皆の頭を見下ろし、ソファを回り込んで執事の待つ廊下へと向かった。
「いってらっしゃい」
扉が閉まる寸前にフランが一言、そう呟いた。たったそれだけの短い言葉だったが、様々な思惑が渦巻いていた。
今回の目的は、ラフィリアの力が封印されたと思われる首飾りを手に入れること。しばしルーディと話はできるが、気を許しすぎてはいけない。
改めて釘を刺されたが、フランがリア一人にその大役を任せたのは、彼なりのリアに対しての信頼なのだと、少し誇らしくなった。
「いってまいります」
リアの返事は滑り込むように、閉じられる隙間からフランの元へ届けられた。
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