第21話 地上の陰

 不規則な揺れに耐え、ずだ袋の中という不快で狭い空間から解放されるのを夢見ていれば、その瞬間は唐突にやってきた。

 何の配慮もなく物のように袋の中から出され、硬い床に全身を打ち付けた。

 半身を起こせば、喉元に冷たい感覚がピタリと吸い付く。


「騒ぐんじゃねえぞ。暴れようもんなら、お前の首を容赦なく掻っ切るからな」


 無粋な外見の男には似つかわしくないほど細身な剣が、リアの喉に押し付けられている。ぶれのない手つきは、手練てだれだと証明するには充分だった。

 灯り取り用の火が揺れる薄暗い空間でも瞳の大半を占める凶悪な色は艶めかしく、リアを恐怖のどん底に突き落とす。

 そんな大男の後ろから、にやにやと顔を出すのはひょろっとした、いかにも下っ端という言葉が似合う男だ。


「お前をおとりにして、大教会のあの男を強請ゆするからな!」

「おい! 余計な事をしゃべるな!」

「へ、へい……!」


 調子よく胸を張ったものの、大男に凄まれて小さくなる。

 失態を犯した仲間を引きずるようにして、大男はこの小屋の唯一の出入り口を開けた。


「いいか、ここから出ようなんて考えない事だ。すぐにボスがやって来るからな」


 それだけ言い残し、バタンと閉められる扉。


「……どんな計画を立てているのかは知らないけど、私じゃおとりにはならないわよ。助けるんだったら私が攫われる時に助けてるし。あなたたちの期待を裏切って悪いけど、残念ながらフランは来ないわよーっ!」


 誰もいなくなった空間に小声で文句を垂れれば、ちょっぴり虚しくなった。

 長いため息を吐いてから、改めて自分の置かれた状況を整理する。

 自分はフランをおびき寄せるために誘拐された。だからおそらく、すぐに殺されるということはないだろう。

 だからといって、そんなに長く無事だとも思えないが。

 どうにかしてここから逃げ出さなければ、短い生涯を終えてしまう。


 首を巡らせれば、二つある窓はどちらも外から板のようなものを打ち付けられ、固く閉ざされている。試しに出入り口の取手を持ってみるが、びくともしない。鍵をかけられているのだろう。

 ここはどうやら作業小屋のようだ。床は四角に切り出された石を敷き詰められ、片隅には工作にでも使っていたのか机が置かれている。今はその上でカンテラの炎が揺らめいていた。


「どうしたものか……」


 呟きは湿っぽく、すぐ床に落ちた。

 貧民街で案の定、誘拐された自分の運の悪さに笑いさえこみ上げてくる。閉ざされた窓に背を預け、天を仰ぐ。

 今頃フランはどうしているだろうか。

 もしかしたら助けに来てくれるかも、なんて期待してしまう。

 フランはリアをラフィリアとの切り札になると見込んで呼び寄せたのだ。そう易々と手放すなんて、やっていることが滅茶苦茶だ。だが心の中の消極的な自分は、出会って数日の他人を自らの身を危険にさらしてまで助けるか、と諦めるように仕向ける。

 二つの可能性に身が焦がれる。


 そんな時、扉の向こうで物音がした。ハッとそちらを向いたリアの顔が微かだが希望に明るくなったのは否めない。軋みながら開けられた扉から入る人影に目を奪われる。


「大教会の奴と一緒にいたっていうのはお前か」


 現れたのはまったく知らない男だった。思い通りにいかない未来に肩を落とす。ここへリアを連れて来た男とも違う、金髪が薄暗い中でも存在を主張している。フランとそう変わらなそうな年齢だが、引き締まった体は鍛え上げられているのを表しているし、持っている雰囲気は対しただけで圧倒されるような凄みに満ちていた。恐らくこれが大男の言っていたボスだろう。


「あなたは……一体……」


 他人を押さえつけるような圧の強い眼光に、リアの声はしぼんでいく。

 壁に背を付けたまま、気持ちだけが後ずさりする。まるで肉食獣を前にした草食動物だ。圧倒的な力に気圧けおされる。


「随分みすぼらしい格好じゃねえか。まあいい。まずはお前の力を貰うからな」


 リアの問いには答えず、自分勝手に話を進める内容の意図が理解できず、リアはただ茫然と立ち尽くす。

 近づく男は油断しているように見せかけて、全く隙がない。

 リアの頭の前で手をかざし、


「お前……奇跡の力」

「わ、私はモグラよ」


 わずかに目を見開く金髪の男へ強気に出るが、この言葉が最適だったかはわからない。

「マジか。モグラなのになんで地上にいるんだよ。力を持たない奴は陽の下に出て来るんじゃねえ」


 舌打ちをして、あからさまに嫌悪の視線が送られる。それにリアは何も言えず、ただ唇を噛みしめた。地上ではモグラになんて価値はないのだ。


「まあいい。どんな経緯かは知らないが、お前大教会の奴といたんだろ? 充分餌になる」

「あっ、あなたは何をしているの? 大教会の人をここへ来るように仕向けてどうするの?」


 男の顔色を最大限に窺いながらも、かすれ声が口をついて出る。

 奇跡の力を貰う、だとか不可解な言葉が引っかかり、つい首を突っ込んでしまう。その好奇心は時に身を滅ぼすと分かっていても、止めるのは難しい。気丈に問うリアがモグラだからか怒りはせず、にやりと口の端を持ち上げた。


「そりゃ、俺たちを苦しめた恩を返すのさ」


 含んだ言い方をし、ゆっくりとリアに近づく。


「お前もモグラだってんなら分かるだろ? 大教会の奴らが傲慢ごうまんな連中だって事。ここは奇跡の力が弱い者が住む場所だ。奴らは俺らをここへ追いやった。何の支援もしない。だからこんな有様さ」


 吐息が掛かるほど顔が近い。リアは横を向き、ぎゅっと目を瞑る。


「働こうったって仕事もねえ。この区画から出るようなことがあれば、果物の一つだって売っちゃくれねえ。力の強い者中心で世界を回すようにした国主と大教会。それがこの世の悪だ」


 怨嗟えんさを吐き捨て、男はリアから距離を取った。それをリアは視線で追いかける。

 力こそすべて。

 リアにもよく覚えがあった。平気で娘を地底に落とした父の顔がよぎる。

 ラフィリアは人間が豊かになるようにと、自身の力を分け与えたはずだ。今この現状を知ったらどう思うのだろうか。大きな差別を産んだ元凶になった事を後悔するのだろうか。

 先ほど目の当たりにした荒れ果てた街並みがよみがえり、自分をおどす男に少しだけ同情した。

 まさか奇跡の力を持つ者の中ですら優劣ができていて、こんな打ち捨てられた扱いだなんて思ってもみなかった。幼き頃見ていた世界は綺麗な部分だけだった。何も知らず、父の言いつけ通りラフィリアに祈りを捧げていた自分を恥じれば、目の前の男に返す言葉がない。


「そうだ、お前がモグラなら特別に見せてやる」


 男はリアの気持ちなどおもんぱかりはせず、残忍な笑みで自己中心的にこの場を取り仕切り始めた。

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