第20話 一難去ってまた一難

 本日も天気は晴れ。晴天とまではいかず、空には白い雲がところどころに浮かんではいるが、太陽の光を遮るほどの厚さはない。

 時折、体を撫でるように流れていくそよ風が心地いい。


「本当にその服で良かったのかい?」


 隣を歩くフランが不思議そうに首を傾げる。


「ええ。動きやすい方が好きだから」


 呉服店や飲食店がのきを連ねる通りを歩きながら、リアはフランと目を合わせずに素っ気なく答えた。


 目覚めた翌日、フランは町での仕事があるとのことだった。特にすることのないリアはそれに同行する流れに。そのついで、という名目で真っ先に呉服店へと連れて行かれた。それもそのはず、リアは儀式用の白いローブしか服をもっていないからだ。ずっとそれでいるのは目立ってしまって仕方がない。誰かに借りを作るのは不本意だったが、当然リアに手持ちのお金などなく、フランに甘えるしかなかった。一番安い服を選んだ結果、どこか工場こうばで働く作業員のような雰囲気になってしまったので、何度もフランにそれでいいのか確認されている状況だ。

 しかし元々、地底では似たような格好をしていたので、リアにしてみればそこまで違和感はない。つぎはぎも穴も無い服はとても着心地がいい。


「キミがいいなら僕は何も言わないけど。さて、じゃあこれから僕の仕事に行こうか」


 大教会の建物を右手に見ながら先導するフランの斜め後ろから続く。地上で暮らしていた時もたまに母に連れられて町には出ていたが、ほとんどが貴族御用達の店だったので、下町を散策するのは初めてだ。香ばしい匂いを漂わせるパン屋は大きな窓を有していて、外からでもその品揃えが窺える。店内で楽しそうに商品を選ぶ人を見れば、思わず心が弾む。さらに向こうには沢山の花を店先に並べている店がある。

 地底の階段前市場とは比べ物にならないゆったりとした雰囲気で、道行く人の表情にも余裕がある。この国が平和である事の証明だ。


「そうだ、リア。キミ、大教会より北側には行った事ある?」

「……そういえばないわ」


 母と歩いたのは大教会の南側だ。特にそれで不便はしておらず、北側について関心はなかった。しかし、問われてその存在を意識してしまえば好奇心が胸に灯る。


「そこには何があるの?」


 横に並ぼうと足を速めた瞬間、フランがくるりと振り返って何かを放り投げてきた。

 咄嗟とっさに受け止めたそれは、鞘の中に入ったナイフだった。


「え……これは?」


 果物ナイフなどの台所用品ではなく、明らかに護身用の品物。小ぶりの宝石がちりばめられた鞘は値が張りそうだ。

 なんだかものすごく嫌な予感がして、すぐフランの顔に目を移せば今日の天気に負けず劣らず輝いている。


「ま、行けばわかるよ」


 それだけ言うと、すたすた歩いていってしまう。

 この時点で帰りたかったが、今のリアはフランについていかなければならない。大教会から出られたのはフランがいたからだ。一人で帰っても、中にすんなり入れてもらえるとは思えない。

 リアは腹をくくってナイフを乱暴に腰布へと挟み、黒い制服を隙なく着こんでいる細身の男を大股で追う。


 大教会でのフランの扱いは、特例と言っていいほどだった。どこへ行くにも、誰にも咎められることはない。リアがいても皆、見て見ぬふりをするのだ。本人も言っていたが、関わり合いになりたくない、といった畏怖いふがその根底にあるように感じた。

 そんな明らかに他とは違う扱いのフランだが、大教会に勤めている以上、例外なく仕事が言い渡される。今回は大教会より北にある地区の視察だと聞いた。詳しくはフランが教えてくれないので、何をするかはわからない。


 大教会の裏側までやって来ると、その敷地に沿うようにあった道が無くなり、細い道が枝分かれしていた。

 いつもと反対から見る大教会が新鮮で、思わず足を止めて見上げる。フランが住んでいる塔は木に隠れるようにして先端だけが覗き、正面からだと全体が見える大聖堂も他の建物に隠され、屋根の一部しか見えない。見慣れた場所であっても角度を変えるだけで全く知らない物になる様に感激して、リアはしばらく見入っていた。


「リア。口開けて阿保面あほづらしてないで、しっかりついてきてね」


 少し先で呆れたように小さく笑うフランからの指摘に、顔は赤くなる。文句の一つも言ってやりたいが、実際呆けて立ち止まっていたのだ。口をつぐみ、遅れを取り戻した。

 行く先はお店などなく、住宅街だった。道行く人もまばらで大教会の南側より庶民的な雰囲気だ。

 フランは目的地へ脇目も振らず向かっていく。石で作られた家から木造、そしてだんだんと家とは呼び難い、使い古されてところどころ朽ちている小屋のような建物に景色は変わっていく。それに伴って道は舗装されたものから、ところどころ石が歯抜けになり土が顔を出す。

 先程渡されたナイフと、広がる荒廃した街並みに、リアは思わず強い口調でフランを呼び止めた。


「ちょっと……! ここでどんな仕事があるの?」

「こんなところじゃ言えないよ。僕に割り当てられる仕事は面倒かつ重要なものばっかりだからね」


 周りを目で指して訴えるが、フランは苦笑するばかり。答えになっていない返答にリアは悶々としてさらに詰め寄る。


「ここはどう見ても普通じゃない……! 一緒にいる私にはどんなものか教えてくれてもいいでしょ!?」


 一言で言ってしまうと、ここは貧民街だ。道端には無数の酒瓶が転がり、少し先にはぼろきれのようなものを纏う人が転がっている。

 まだ太陽が出ている明るい時間だというのに、何となく灰色がかったような印象。地底も治安が良かったわけではないが、ここはそれ以上に黒いものが渦巻いている。明らかに近づかない方が賢明な場所だ。

 フランに渡されたナイフだけでは頼りなさすぎる。リアは剣術など一切習っていない。そんな素人が、いざという時に何ができるというのか。


「私、南側へ戻ってるから。フランの仕事が終わったら合流する」


 こんな危険な場所へ、ろくに説明もされず連れてこられたことについて怒りが湧き、フランが何か言う前にきびすを返し、一気に走り出した。

 早くこの場から逃れたくて気持ちだけが急いてしまう。足場が悪く、路面の欠けに足を取られ派手に転んでしまった。無意識についた手のひらに鈍い痛みが走るが、啖呵たんかを切った矢先の失態に恥ずかしさがこみ上げ、すぐに立ち上がろうと腕に力を込める。そこで急に黒い影が体に落ちた。

 え? と思って顔を上げた時には、もう体が何者かの手によって持ち上げられていた。

 訳が分からず混乱するリアの視界はぐるりと回り、次の瞬間にはどさりと狭い空間に入れられた。縫い目の荒い隙間から光が差し込んでいる。

 足が顔の近くにあり、腕は足の下をくぐる。これは大きな麻袋の中に入れられている、と理解した時には、知らぬ男たちの野太い笑い声とたたえる言葉が足音に混じって降りかかる。


 これはどう考えても誘拐だ。


 やっぱりこうなった! とリアは憤り、何も言わず危険の中に放り込んだフランを恨む。こういう場合、責任をもって助けるのが筋だと怒りの度合いは時間を追うごとに増していく。

 しかし、外から聞こえる音から推測するに、フランはこの誘拐犯をみすみす逃がしている。


 ――ほんっとうに、あいつ何考えてるの!?


 リアの入った大袋を背中にでも担いでいるのか、不規則な揺れが襲う中、今後の不安よりもフランへの憤懣ふんまんたる気持ちを募らせる。

 体の自由を奪われた今、リアは大人しく袋の口が開かれる時を待つしかなかった。

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