地上

第17話 フラン1

 光がまぶたを射す。


 ――あれ、今は朝? 今日の発光石を準備しないと……


 朝なのか、はたまた昼寝をしていたのか、まどろみながらリアの頭の中では様々な可能性が飛び交う。

 何時だろうか、もしかして寝坊した? などと徐々に意識が浮上していく。

 まだ目を開けるには至っていないが、嗅覚が真っ先に異変を察知した。


 ――なんだか、いつもと匂いが違う……。ここは家じゃない……?


 家、と思い当たったところで、怒涛どとうのようにこれまでの光景が押し寄せてきた。

 懺悔ざんげの日。

 確かに自分は懺悔の日におもむいたはずだった。祭壇の前でラフィリアに祈りを捧げ、背中に受けた強い衝撃、そして痛み。

 それに被せるようになされたクラリスの宣言。


 息を呑み、リアは大きく目を開けた。そこに映るのは知らない天井だった。白い色はどう見ても地底ではない。今は昼間なのか、柔らかな光が目覚めを待っていたかのように出迎えた。

 覚醒直後の頭では状況が理解できず、リアは反射的に勢いよく上体を起こす。


 そこから見えたのは、やはり知らない部屋だ。シンプルではあるが質の良い木製の棚や、太陽の光を取り入れる窓は綺麗に掃除されている。自分が寝かされていたのは部屋の片隅に配置されたベッドだった。リアがかつて使っていた物よりも広く、シーツは清潔な白。すぐ隣には書棚があって様々な本が詰められている。

 これは夢か、それとも自分は大聖堂で死んでしまって、ここは死後の世界なのかと思えば、恐れによって口元がこわばる。

 一刻も早く自分が納得する答えにたどり着こうと、持てる知識のすべてを総動員して思考を動かす。だから、ベッドの横に人がいることにリアは気が付けなかった。


「お目覚めかな、お姫様」

「なっ!」


 完璧に意識の範疇外はんちゅうがいからかかった声に、リアはびくっと肩を震わせ飛び上がった。その勢いで床へと降り立ち、ベッドを挟んで声の主と対峙することに。背中に当たる書棚の感覚に、自らを逃げ場のないところに追い詰めてしまったと苦い顔をする。


「キミは面白い反応をするね。そんなに警戒しなくても大丈夫。僕はキミの味方だよ」


 敵意や下心などは一切感じられない平和的笑顔をしているのは、大教会の黒い制服を着て、黒髪を後ろで縛っている男。リアが探し求めていたフランだった。

 改めて近くで対面すれば、こちらが気後れするくらい綺麗な顔だった。優しげな目元はかすかに垂れ目で、全てのパーツが完璧な位置に存在している。まるでおとぎ話の王子様だ。

 何がどうなって今ここにいるのか情報量の多さに目を回しそうになり、結論を出すことは早々に諦めた。


「ど、どうしてそんな事信じられる?」


 それでもフランに弱みを見せたくなくて、必死に言葉を手繰たぐり寄せるものの、目は左右上下泳ぎに泳ぐ。

 自分から会いに来たというのに、苦し紛れに口から出たのは的を射ないもので。


「大聖堂での怪我を治したのは、まぎれもなくこの僕だよ。あれ、もしかしてキミ、自分が背中をざっくり斬られて死ぬ寸前だったの覚えてない?」


 緊迫感のない声音で語られるのが事実だとリアは知っている。

 忘れられるわけがない。朦朧もうろうとした意識の中で、床を這う赤い液体を見たのだ。あれは勘違いなどではなく、自分の血液だったと嫌な答え合わせをすることになり、思いつめたように目を伏せた。

 何で、だとか色々な感情が湧くが、どれか一つに決めることなど今の時点ではできず、それらは水面に浮かぶ泡沫うたかたの泡のように消えた。


「その様子だと、痛みとか動きにくさとかは無いみたいだね。体の調子はどう?」


 沈むリアにかけられるのは、のんびりとした声だ。わざと話題を変えたのか、素なのかはわからないが、一定の態度を崩さないフランを前に、少しばかり平常心が戻る。


「……悔しいけど絶好調よ」


 小さく鼻で笑い、リアはフランに対抗する。相手が余裕なのに、こちらばかりが動揺していたのでは負けた気がするのだ。

 実際、本当に何ともないのだ。大怪我の後とは思えないほど普通で。痛くも無いし、貧血でふらついたりもない。まるであの衝撃が嘘であったかのようだ。


「それにしてもあなた、奇跡の力を二種類も使えるなんてね」


 普通、奇跡の力は一人に一つだ。まれに二種類使える者もいるが、そう多くはない。

 十年前、フランがリアに見せたのは水に関する力。今回、リアの怪我を治したとなると、治癒の力もそれなりの強さで備わっているということになる。


「まあ、僕は特別だから。……さ、積もる話は僕もキミもあるだろうし、食事でもしながらゆっくり話そうよ」


 フランは半身を傾ける。後ろには白くて丸い天板のテーブルが置かれていた。その上には大皿に乗せられた山盛りのスコーンと、二脚ある椅子の前には取り皿、そしてティーセットまで用意されている。

 手招きするフランに少し逡巡しゅんじゅんしたが、自分が地上へ来た目的はフランに会うためだ。ここでいつまでも警戒していたのでは本末転倒である。リアは大人しく従い、細い脚の意匠が凝らされた椅子に腰かけた。

 フランは満足そうにうなずくと、陶磁器製で細かな花が描かれたポットをお揃いのカップに傾けた。


「この紅茶、キミのために高級品を買ったんだよ。ほら、とてもいい香りだ」


 ふわりと広がる香りは、かつて国主こくしゅの娘として地上にいた頃に飲んでいた物を思い起こす。地底では久しく嗅いでいなかった、胸がすくようないい匂いだ。

 フランは注ぎ終わると自らも腰を落ち着け、紅茶を一口嚥下えんげする。そのまま真ん中に置かれたスコーンに手を伸ばし、円柱形を上下に割って取り皿に置いた。


「キミも食べなよ。大丈夫、毒は入ってないから。僕、甘いものが好きなんだ。ここのスコーンはとても美味しくてね。昔から買っているんだ」


 大皿の脇に置かれていた底の深い容器を手繰り寄せ、それに入れられているいちごジャムをバターナイフに取り、半分にしたスコーンへ丁寧に塗っていく。

 さらにジャムを追加し、スコーンの上に苺の山が出来上がってからフランはそれを一口で食べた。

 それはスコーンの味というか、いちごジャムの味しかしないのでは、と下世話な感想が頭の中で巨大化していくが、個人の自由だと思い直し、喉まで出かかった言葉を紅茶と共に飲み込んだ。


 何も考えずに紅茶を口に含んだが、さっぱりとしていて舌触りが良い。口に残るような渋さもなく、とても飲みやすかった。フランが言っていた通り、それなりの物だろう。そして何より驚いたのは、その温度だ。飲みやすいくらいに丁度よく冷めていて、目の前で小動物のようにスコーンを咀嚼そしゃくしている男を盗み見てしまった。リアが目覚めるのをわかっていてお茶を淹れたのだろうか、それとも考えすぎか。どちらとも取れるフランの飾らない態度にリアは焦れる。心緒しんしょをハッキリと態度に表してくれたらこちらも対応しやすいのに、何を考えているのか窺えないのはやりづらい。何か少しでもいいからほころびがないかと、リアは紅茶をちびちびすすりながら挙動を観察する。

 その顔は、自分では無表情のつもりだったが、人から見れば険しかったらしい。

 真正面からじっと注視されて気にならないわけはなく、フランは二個目のスコーンを手にしながら、相変わらず感情の読めない笑みをリアに寄こす。


「お口に合いましたでしょうか? お姫様?」

「その言い方やめて。リアでいい」

「承知しました、リア。僕の事はフランって呼んでくれていいよ」


 それっきりフランはまたジャムを山のようにスコーンへ盛り、食べ続ける。

 どんどん口に運ばれていくスコーンを見ていると、リアの食欲も刺激される。とうとう手を伸ばせば、フランが嬉しそうに微笑む。

 いちごジャムを控えめに塗って口に入れれば、それでもいちごの旨味が舌に広がる。外はさっくり、中はふんわりしたスコーンと、荒く潰された苺が口の中で混ざり合って味覚を楽しませる。地底では滅多にお目にかかれない物だ。


「……美味しい……」


 灯り売りの仕事はしていたが、ほぼその日暮らしで、お菓子などの贅沢品はほとんど食べられなかったため、久々の甘味に自然と言葉が零れた。


「でしょ?」


 フランは得意げに胸を張り、手に持っていたスコーンを取り皿に置いて身を乗り出してきた。


「それで、キミは僕に会いに来てくれた、って事で良いんだよね?」


 確信を持った表情を作るその紺色の瞳は面白そうでいて、真剣さも内包する眼差しを持ってしてリアにぶつかる。


「……その通り。私はフランが前に言っていた、この世から奇跡の力を無くす、っていうのに協力するために地上へ来たの」

「それにしてもキミ、ずいぶん派手な登場だったよね」


 血がばーっと出てさ、とフランはわざとリアの心を揺さぶる。一体どんな反応を望んでいるのか考えあぐね、数秒の沈黙が場を通り過ぎる。何となくここで黙り込んでしまったらフランの思うつぼのような気がして、リアは気にしていないふりを決め込んだ。


「あの場からどうやって私を助けたの?」

「僕って天才だからさ、キミをあの場から連れ出すのは簡単さ」


 即答し、取り皿に置いたばかりのスコーンを指先でつまむ。どうやらもう我慢できなかったらしく、もしゃもしゃ食べ始めた。せっかく整った顔をしているのに、台無しだ。

 冗談にしては自信満々な言い方にリアは言葉を失い、顔を引きつらせる。関わり合いにならない方がいい、めんどくさいタイプの人間だったのかと、ここへ来た自分の選択に後悔さえ覚えた。


「酷いなあ、その態度。僕がキミを助けたのに」


 口の中の物を飲み込んでから、フランはねたようにテーブルに肘をついた。


「……それは感謝してる。ありがとう」


 自分で天才と言ってしまうのは性格に問題があるが、大怪我を元の通り治してみせるのは力の強い者でないと不可能なのは事実。


「まあ、そんな冗談は置いといて」


 手に付いたスコーンのかすを払い、フランは空になったカップに紅茶を注ぐと充分に喉を潤わせた。一息ついてから、固唾を飲んで見守るリアを前にふざけている色を消して語り出す。


「今年の懺悔の日について、僕から簡単に説明させてもらうね」


 白くかすんでしまった祈りの時間の真相を目前にし鼓動は高鳴り、リアはフランの濃紺をした深い虹彩こうさいを食い入るように直視した。

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