第16話 懺悔の日3

 大聖堂の中はリアの予想通り、かっちりとした黒い制服を着こんだ者たちで埋め尽くされていた。

 入口から続く通路は、大理石でできていて鈍い光を放つ。その左右には黒服たちが座る長椅子が等間隔で並んでいる。

 明らかに外とは違う空気が流れている。少しの間違いも許されないような、張り詰めていて息苦しささえあるのだ。

 一歩そこに入れば、皆が揃ってリアへと注目する。唾棄だきする心の声が聞こえて来るかのようだ。百人以上のぎらつく視線に、リアはよろめき足を踏みかえた。


「大丈夫ですか、リアさん」


 すぐ後ろには主様あるじさまがいたようで、リアの背中を支えるように手を添えていた。


「も、申し訳ありません……!」


 大教会の者も怖いが、主様も恐怖の対象であることに変わりはない。リアは慌てて離れ、謝罪を口にする。しかし、それ以上は脇に控える黒服が許さず、耳元で『早く行け』と脅された。その氷のような冷たさに身震いするが、ここで怖気おじけづいている場合ではない。表面上だけでも平静へいせいよそおい、胸を張るようにして大聖堂に靴音を響かせる。


 規則正しい音は、黙り込んだ黒服たちの間を通り抜ける。正面には実父である国主こくしゅが祭壇で身じろぎ一つせずこちらを見据えていて、その後ろには太陽を浴び、凹凸おうとつを強調して作られた体躯たいくを綺麗にせているラフィリア像が鎮座している。

 リアは瞳だけをめいっぱい動かしフランがいないか探るが、見える範囲にその姿はなかった。この中では自由に行動などできず、このままではフランを見つけられない。やっとここまで来たのに、と焦りがリアの目元を険しくさせる。後ろにはリアを鋭く監視する黒服に主様、そしてクラリスが続いている。見えない手で押されるかのように進んでいくしかない。


 祭壇に近づくにつれ、鮮明になっていく父のいで立ち。記憶よりもしわが増え年老いた印象だが、白い法衣に身を包み、その目に灯る厳格さは当時のまま。

 父は自分を認知してくれるだろうか。

 もしかしたら、この十年で自分を許してくれているのではないか、そんな期待が頭をもたげる。

 父の表情に変化がないかと、感情がうずく。祭壇の前で足を止め、リアは確かに何かを渇望かつぼうし、しっかり父と目を合わせた。


「力を持たぬ者よ。今一度、女神ラフィリアにその怠慢たいまん懺悔ざんげせよ」


 斬り捨てるような口上は、リアの頭を真っ白にしていく。

 それは失意の底に落とすほど非情な宣言だった。父は自分を娘とは思っていない。忌避きひすべき対象のモグラでしかなかった。


 久しぶりに再会し、もしかしたら自分の帰還きかんを喜んでくれるかも、驚いてくれるかも、など、心のどこかで希望を持っていたが、そんな幻想は無残にも打ち砕かれた。

 喪失感に膝を折れば、純白のローブが床に広がる。目頭が熱くなり視界がぼやけそうになるのを誰にも悟られたくなくて、リアは幼い頃からやっていたように右手の親指を床に擦り付けた。


「……光のラフィリアよ……、我らの信仰心の無さ、怠惰を許したまえ。そしてどうか、その力を我らにも与えて下さいますよう」


 ――奇跡の力なんて無くなればいい。


 口から出た言葉と本音は相反する。


 涙で揺らいだのは最初だけ。あとは一番心のこもっていない祈りにしてやろうと、やるせなさを力に腹の底から声を張り上げ、そのままひれ伏す。ラフィリアへの祈りは体が覚えていて完璧だ。

 静かな祈りのさなか、微かに聞こえるのは黒服たちの失笑。自分より下の者を馬鹿にして楽しいのだろうか。さぞいやしい趣味だ。

 大理石の冷たさを充分に額から吸い取った後、ゆっくりと体を起こす。

 天井付近の窓から差し込む陽光に包まれるラフィリア像を目に焼き付け、リアはこの場での役目を終え、立ち上がろうと片膝を付いた。


 その時、


 尋常ではない衝撃を背中に受け、リアは前のめりに倒れ込んでしまった。

 熱い。そして徐々に広がるのは痛みだった。どくどくと全身で血液の脈動を感じる。

 何が起こったのか分からず、床の硬質さをただただ享受きょうじゅしていたのは、ほんの数秒にも満たなかった。

 誰かがリアの顔面の横に立った。

 それは少女の小さな足だ。まだ汚れていない白のブーツ。


「わたしはモグラでありながら女神、光のラフィリアの力を授かった。この尊い力を持ってして、信仰心の無き者を斬り、懺悔する!」


 幼さを残す、高く甘い声はつい先ほどまで共に笑い合っていたクラリスのものだ。強い口調で言い切れば、そこかしこから称賛しょうさん喝采かっさいがあっという間に埋め尽くす。


「……な、なんで……」


 その呟きは誰にも聞こえない。

 視界がかすみ、もはや体に力は入らない。せめてクラリスがどんな顔をしているのか見ておきたかったが、それは叶いそうにない。

 クラリスの足がせばまる視界から消え、頭の上の気配が動いた。


「その覚悟、しかと受け取った! これからは地上と地底、力を取り合ってラフィリアの元で生きていこうではないか!」


 この場の隅々まで行き渡るように放たれた国主の声明に、その場に居合わせる者は歓喜に湧き立つ。


 指が生ぬるく赤い液体に触れた。これは自分から流れ出ているものだと信じたくはなかったが、疑う余地はない。

 そういえばクラリスがどんな力を授かったのか知らなかったな、などこんな時に考えることではない疑問が脳内を通り過ぎていく。

 自分はどうしてかラフィリアに裏切られてばかりだ、と笑みをこぼす。何もかも奪われて、最後は自分の命だ。

 人々の歓声は遠く、見える景色は白んでいく。思考は刻一刻ともやかれ、意識を手放す瞬間が近い。


『――大丈夫、キミは死なないよ』


 もうほとんど耳なんて聞こえないのに、その声だけははっきりと聴覚を刺激した。

 切迫感なんてひとかけらもこもっていない、川のせせらぎのような心地良ささえ覚えるそれは、ここへ来た最大の理由。

 得体の知れない人物に安心の念を覚えるなんて不本意だが、この人に委ねるしか生きる術はないと朦朧とする意識の中、奇跡的な出会いに感謝した。


 フランに会えた、それを認めたところでリアは闇に落ちた。

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