第14話 懺悔の日1

 懺悔ざんげの日、まだ露天商もいないくらい早い時間だというのに、階段前市場は人でごった返している。

 心配そうな視線、好奇な視線、同情の視線。それらの線は只一人、リアに集約している。

 女神、光のラフィリアへの祈りを捧げるための正装である白いローブを身に纏う姿は、見る人によって解釈は異なる。

 リアの事情を知る人は、雇い主を失い、家もなく、みじめで可哀想な娘だと安っぽい同情を投げて寄こす。自分より下の者をあわれんで自己陶酔し、満足そうな顔がいくつも視界の端をちらつく。

 そんなうざったい目から逃れるようにフードで顔を隠す。


「さあ、出発だ」


 群衆に、今から地上での懺悔に行くと知らしめるため、たっぷりと時間を取った休憩は主様あるじさまの声で終わりを告げた。


 リアたち代表を迎えに来た大教会の黒服の男が一人、物言わず階段に足を掛けた。続けと言わんばかりの背からは、モグラに対しての嫌悪感が滲み出ている。

 そんなあからさまな態度にも気を悪くせず、主様は颯爽さっそうと地上への一歩を踏み出した。その左右には一人ずつ護衛が付き、追いかける形でリアとクラリスがいる。その更に後ろにも護衛が配置され、暗い階段をカンテラの光で照らし出している。


 リアは胸元で揺れる花の首飾りを指先でもてあそぶ。これは少し前、ルーディから貰ったものだ。まったく同じものをルーディも持っている。

 これを買いに市場へ行った時には、日常が粉々に壊され懺悔の日の代表になるなんて、夢にも思っていなかった。貧しくも楽しかった日々が懐かしい。毎日、灯り売りとして発光石を交換し、ルーディやジャネットと他愛もない話で盛り上がる。それがどんなに幸せだったか、失くした今になってようやく気付かされる。

 どうしようもない後悔の念に、自然と伏し目がちになってしまう。その先には銀でできた花。真ん中には黄色の宝石が埋め込まれ、カンテラの光を反射しリアの気持ちとは裏腹に、のんきな光を見せる。


「お姉さん、緊張してるの?」


 辛気臭しんきくさい顔をしていたのか、気遣うように見上げるのはクラリスだ。彼女もリアと同じ白いローブに身を包んでいる。


「ちょっとね」


 クラリスの言う緊張とは少し違う気がして、リアは曖昧にはぐらかす。

 大教会に行ってフランに会うと決めたものの、本当にそんな上手く事が運ぶのかと懐疑的かいぎてきになる自分がいる。それに加え、これが終わってしまったら帰る場所もない。

 さらにリアを気重にさせる要素はまだある。懺悔の日を取り仕切るのは国主だ。つまり実の父。自分の姿を見てどんな反応をするだろうかと思うと、とてつもなく怖い。


「……神様の前で懺悔するんだもんね。緊張しないわけないよ。でも大丈夫。わたしもいるよ。手を繋ごう」


 リアの落とした歯切れの悪い沈黙をラフィリアへの畏怖いふと取ったクラリスは、そっとリアの手を握った。

 その温かさはごくわずかだ。しかし、気を許せる人を失った今、リアの波立った心はその温もりを得てなぎに近づいていく。

 もう動き出してしまった運命は止まらない。それならば後ろを振り返る事も、未来に悩む事もせず、今最善の選択を繰り返していくしかない、と勇気をくれたクラリスの手を握り返した。


「クラリスのおかげで上手くお祈りができそうだよ。そうだ、クラリスは大教会に行くのは怖くないの?」


 本当の事を話すつもりはなく、リアは本心を大切にしまい、逆に問いかけた。


「わたしは大丈夫! ラフィリア様に負けない魔法の言葉を知っているから!」

「魔法の言葉?」

「そうだ! お姉さんには特別に教えてあげるねっ」


 周りの大人に聞こえないように、といった風にクラリスは階段を登りながら器用に体を伸ばしてリアに耳打ちを始める。おろしたてで不自然な白さを放つブーツが器用に横向きで階段を登っていく。


「――キクストリラシ」


 聞いた事の無い言葉だった。ささやく声は楽しそうに弾む。

 意味を理解しようと返事をすることも忘れ、眉間に皺を寄せるリアを見てクラリスは堪えきれず、ふふっと可愛らしい笑い声を上げた。


「わたしにも意味は分からないの。でも何だか面白い響きだよねえ」

「ちょっと間が抜けた印象だね」


 差し当たりのない返しになってしまったが、クラリスは上機嫌のまま口元をほころばせている。護衛が持つカンテラの光が階段を登っている振動で絶えず揺れ動き、クラリスの瞳に影と光を交互にみせる。


「この言葉を知ったから、お姉さんはラフィリア様に負けないよ。頑張ろうね」

「うん……ありがとう」


 進行方向に顔を戻せば少し先に閉ざされた、ごく一般的な木製の扉がリアを待ち構えている。あまりにも簡素なそれは印象に残っていて、十年前、今と同じような純白の正装を纏い、落とされた忌々しい記憶が蘇る。

 背中を押され、闇に放り出された体が硬い階段に叩きつけられて息が途切れた。そんな中、扉は軽い音をたてて閉められ、失われた光。何度も何度も体を打ち付け、上下もわからなくなり転落していく勢いのまま、リアは死ぬんだ、とすべてを諦め全身の力を抜いた。


 しかし、今こうして自分の足でここまで戻って来た。


 リアたちを長い階段の一番上まで連れてきた大教会の男が扉の前で何かを呟き、取っ手に触れればゆっくりと開かれていく。

 徐々に大きくなる隙間から白い世界が差し込めば、リアの横でクラリスが小さく歓声を上げる。地底では感じることのない植物の青々しい香りをともなったそよ風に、長い銀髪がふわりとなびく。

 発光石の白さよりも温かい太陽の光はリアを出迎えた。久々の陽気に表情が緩んでしまいそうになるが、そんな瞬間はほんの一瞬だった。

 全開になったその向こうには既に大教会の使者が三人待機しており、一様に冷酷なまでのさげすみ切った顔をしている。


「どうぞこちらへ」


 必要最低限の言葉でリアを先頭に並ばせ、白昼の下、モグラの行進が始まった。

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