第13話 クラリス

 主様あるじさまとの面会を終え、執務室まで案内してくれた男が玄関まで送ってくれるというので、その背と一定の距離を保ち、長い廊下を引き返しながらリアはこれからの事をぼんやり考える。

 一週間後、懺悔ざんげの日の代表として地上に出て、大教会の大聖堂でラフィリアに祈りを捧げる。その際、大教会の関係者は基本全員出席するはずだ。その中からフランを見つけ出し、どうにかして接触をはかりたい。

 そんな時間があるかなど冷静になってしまえば、動けなくなりそうなほど望みは薄いが賭けるしかない。なんとしてでもフランと出会わなければ今の状況は打破できない。


 ――会えたとして、何か変わるのだろうか。


 心に芽生えたうれいは連鎖して思考をむしばんでいく。フランはいつでも歓迎すると言っていたが、それは本当だろうか。内心モグラである自分なんて馬鹿にしているのではないか。会えたとしても邪険に扱われ、突き返されるかもしれないし、そもそも会うことすら叶わないかもしれない。

 結局何も変わらず懺悔の日を終え、また地底でモグラとしての生活が待っているだけではないか。

 帰って来た先にあるのは家も職もなく、待っていてくれる人もいない惨めな自分だ。

 ふさぎこむ気持ちに比例して視線は下降の一途をたどる。


「――お姉さんっ!」


 可愛らしい声が後ろから投げられ、足を止めた。リアを先導していた男も今まさに開けようとしていた玄関扉から一旦手を放す。

 振り向いてみれば、こちらに駆けて来るのは銀髪の少女だ。

 奇跡の力を授かり、一躍いちやく時の人となったクラリス。現在は主様の保護下にいて、リアにはもう手の届かない人物が何の用なのか内心いぶかしむが、それはおくびにも出さない。

 長い銀の髪は以前にも増して艶を放ち、着ている服は娼婦の時とは比べ物にならないくらい、しっかりとした布が使われている高級品だ。ひるがえるスカートを気にすることなくリアの前で軽やかに止まった。


「お姉さん、代表になったんだね! わたし、話を聞いちゃった」


 頬を染め、弾む息でにっこりする。

 以前娼館で女将にいたぶられていた時とはうって変わって、親しみやすい可憐かれんな印象を受ける。人は生活する環境でこうも変化するのか、とリアはひっそりと驚嘆きょうたんした。

 どこか楽し気で、興奮しているようなその顔にリアはどことなく引っ掛かりを覚えるが、その理由を納得するまでこの少女を詰問きつもんするつもりはない。

 せっかく声をかけてくれたのだからとリアは会話を決め込み、しっかりと向き合った。


「そうよ。私じゃ不満?」

「ううん。お姉さんはわたしに話しかけてくれた人だったから、ちょっとびっくりしちゃって。とっても良いと思う! 今年の懺悔の日はモグラにとって大切な日になるんだよ! この前、地上から来た視察団の人たちと沢山お話したんだぁ!」


 大きな手ぶりをし、臨場感たっぷりに教えてくれる。


「そんな大切な代表になれたなんて、光栄ね」


 心にも思っていない喜びを表現するために笑顔の仮面を被り、リアは対応する。

 クラリスという、奇跡の力を持ったモグラが誕生して初めての懺悔の日だ。例年とは明らかに状況が違う。地上でどのような対応をされるのかは未知数だ。


「わたしも当日、一緒に地上へ行くの!」


 リアの胸の内などまったく探る気のない、人懐っこい笑みを見ていると固くなった顔の筋肉が緩んでいくようだ。無垢な感情を前に、意図せず相好そうごうが崩れていく。

 懺悔の日はこれまでも代表と主様、そして護衛も共に行っていたので、奇跡の力を持つクラリスの同行も何ら不思議ではない。


「わたしね、地上に行くのは初めてなの。『太陽』がどんなものなのか、とっても気になる。空に浮かぶたった一つで、数えきれない程の発光石と同じくらいの光を放つのでしょう?」


 カンテラの光を映す土色の瞳は、より一層輝きを増す。


「そうよ。大きくて、明るくて、とっても温かいものなの」


 昔を懐かしむリアを、羨望せんぼうの眼差しで無邪気に笑うクラリス。高ぶりを抑えきれないようで、すぐにまた口を開いた。


「楽しみっ! 早くその日が来ないかなぁ! ……あ、お姉さんの前でこんなにはしゃいじゃってごめんね?」


 楽し気な顔から一転、リアの顔色を窺うように上目遣いをした。それはきっと自分の感情を出すと娼館の女将の気に触れて、激怒されていた過去からの経験だろう。そんな姿を哀れに想い、リアは背の低いクラリスに合わせるよう、膝を曲げた。


「楽しい時は楽しいって言っていいんだよ。クラリスはこれまで大変だったんだから、今を目いっぱい楽しんでね」


 地上もきっと素敵だよ、と付け足して居住まいを正し、玄関をまたいだ。


「ありがとうっ! お姉さんも、あと少ししかないけど好きな事いっぱいしてね!」


 屈託くったくのない笑顔で大きく手を振るクラリスに優しい顔で応える。護衛の男によって扉が閉められると、リアはようやく肩から力を抜くことができた。

 しかし、規則正しく壁につけられたカンテラによって影をつけられる顔は曇っている。クラリスの見送りをもう一度頭の中で反芻はんすうする。あと少ししかない、とはどういう事だろうか。言葉のあやと言われればそれまでだが、どうにも耳にこびりついて離れない。明確に言語化するのは難しく、気のせいだと心に落とし込み、代表になれた喜びにだけ焦点を当てた。


 きっと上手くいく。


 そう暗示をかけて、リアは意識的に足取りを軽くし帰路についた。

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