第12話 打開

 地上にある大教会に行く。

 目的は定まった。


「とは言ったものの、どうやって地上に行ったら……」


 一人になってしまった食卓の椅子に、しなだれかかるように座り、天を仰ぐ。固めた土がむき出しの天井のずっと上には、地上世界が広がる。へだてている地層は分厚く、地表なんてどう考えても拝めない。


 テーブルに肘をつき頭を抱えながら、ありったけの知識を使い打開策を探る。

 モグラが地上へ出るのがほぼ不可能なのは、地底に住む人なら誰でも知っている。階段前市場にある、地上と地底を結ぶ唯一の階段の前には、地上人が奇跡の力を使い施した仕掛けがある。そこを通過しようとするモグラにのみ反応して、地上側に知らせるというものだ。

 どうにかしてそれを掻い潜ったとしても、地上側の出口には大教会の者が常駐している。見つからずに突破するのは不可能だ。


「いっそのこと、商人でも襲ってそのまま変装して地上へ……なんて無理か」


 自分で口にした冗談を、ため息交じりの笑いで否定する。

 リアは腕っぷしに自信があるわけでもなく、商人も地上人だ。もちろん奇跡の力を持っている。勝負の行方は日の目を見るより明らかだ。


「どうしよう……あと三日しかないのに……」


 三日後には家を失ってしまう。纏わりつく切迫感によって潰されるようにリアはテーブルに突っ伏した。

 お金も無く、力もない。足掻あがきたくても、それすらできない。

 万策ばんさく尽き、未来に絶望する。いっその事、死んでしまおうか、なんて思考が後ろ向きになってしまう。

 毎日毎日しっかりと仕事をこなし、他人には極力迷惑をかけないようにしていたのに。地上にいた時だって、ラフィリアに祈りを欠かさなかったのに。


「……ラフィリア……に祈り……」


 リアはハッとして顔を上げた。


懺悔ざんげの日はあと一週間後……まだ代表が決まったとは聞いていない……」


 それに気が付くと体が勝手に動いていた。力強く床を蹴り、玄関を開け放つ。

 向かうは主様あるじさまの住居。代表になれたとして、大教会に行き、その後どうやってフランと会うのかなんてわからない。普段のリアなら無謀だと、実行になんて移していなかっただろう。しかし、大股で歩く足は止まらない。

 どうせ野垂れ死ぬなら、やれる事をすべてやった後でいい、と決意をその身に宿し、カンテラの光をどんどん後ろへと流していく。

 地底を牛耳ぎゅうじる主様の屋敷の前には、筋骨隆々の男が二人、その扉を守っている。


「リア・グレイフォードです。今朝亡くなった灯り売り、ジャネットさんの元で働いていた者です。先程、主様からその件についてお話を頂きました。不躾ぶしつけではありますが、今一度、主様に会わせていただきたいと思います」


 自分でも驚くほど淀みなく言葉が出てきた。物怖じしないリアの気迫に男二人はしばし目配せをし、一人が室内へと消えた。


「只今、主様に確認を取りますので、しばしお待ちを」


 もう少し押し問答があるかと構えていたが、意外とすんなり平和的に運び、大人しくその場にとどまる。屋敷の前に立つリアを見た通りすがりの人々が、興味深げな様子で何事かと探ろうとする視線が気にならないわけではないが、毅然きぜんとした態度は意地でも崩さない。

 待つ間、手持ち無沙汰になれば少しだけ恐怖が脳内をちらつく。もし、もう代表が決まっていたら。主様に断られてしまったら。また一から地上へ出る方法を考えなければならなくなる。

 しかしそんなものは無いに等しい。たった一つの可能性にゆだねるしかない状況に、リアは唇を噛みしめた。


「リアさん。主様が中に入るようにとのことです。どうぞこちらへ」


 扉の開く音に巡る思考を一旦停止させ、手招きする男に続き、運命を動かした。


 屋敷内部に入るのは初めてだ。ここが地下だと忘れるほど、見るからに質の良い深紅の絨毯じゅうたんが玄関ロビーから伸びる左右の廊下に続き、豪華なカンテラは闇など見出せない程に明るさを提供している。

 男の案内で入口から左の廊下をゆっくりと進む。リア的には走っていきたいくらい気持ちが急いているが、先を行く男はまるでリアを焦らすかのように一歩一歩、足音を絨毯に染み込ませているため、それにならうしかない。

 行く先に扉があればその都度ここか、と胸を高鳴らせるが、男は見向きもせず一定の速度で奥を目指している。

 何度かそれを繰り返し、気持ち的にもつらくなってきたところで男が足を止めた。他の場所と変わらぬ木製の扉を軽く叩く。


「主様、連れてまいりました」


 とうとう主様と面会ができる。リアは無礼の無いよう背筋を伸ばし、その時を待つ。


 ――入ってくれ。


 中から聞こえたのは間違いなく主様の肉声だ。扉越しで、くぐもってはいるが、海の底を思わせる低音は聞き間違いなどするはずはない。


 男が音を立てずに扉を開ければ、真正面に主様はいた。


 どうやら執務室らしく、大きな机には書類が積まれ、後ろの棚は沢山の本がきっちりと整列されている。

 ここまで来て気後れしてしまい、二の足を踏むリアに男が中へ入るよう促す。もたもたしていたのでは主様の怒りを買ってしまうかもしれない、とリアは我に返り、緊張で震える足に気付かないふりをして、執務机の前にその身を置いた。


「リアさん。家賃を払いに来たのかな?」


 リアの脳内を見透かそうとするかのような視線は、鋭利な刃物のようで当たる先端が痛い。それに対し、口から出る声は甘さを含み、人を安心させるかのような深さを感じる。そのアンバランスさが奇妙で、よりこの人物の特異性を際立たせている。


「主様、私を、懺悔の日の代表にしてください」

「ほう?」


 質問の答えになっていない上、主張を端的たんてきに語るリアに主様は眉を跳ね上げた。しかし、そこに怒りの感情はなく、口元は面白いものを見るように微かな笑みに形を変えていた。


「突然このようなお話し、申し訳ありません」


 リアは深く頭を下げた。しばしの沈黙。

 計画は失敗してしまったのかと、冷や汗が手のひらをじんわりと侵食する。今更ながら礼節を欠いた自分を後悔し始めた時、書類が机の上で擦れる音がリアを救った。


「……良いでしょう。今年はまだ決まっていませんでしたし、リアさんがやってくれるのであれば歓迎しますよ。とても適任だと思います」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」


 主様としっかり顔を合わせてから、もう一度感謝を込めて頭を下げた。

 これで目標に一歩近づいた。それが嬉しくて、つい声が弾んでしまう。


「懺悔の日は一週間後、それまで特別にリアさんには今の家を使ってもらいましょう」

「そのような配慮まで……ありがとうございます!」


 家を追われてから懺悔の日までの数日間、どこで暮らそうかと頭を悩ませていたが、その問題も解消され、単純ながら心が軽くなった。


「当日の朝、正装への着替えなど準備のために迎えを寄こします。それまではくれぐれも夜逃げなどされないよう」


 目元は緩み、柔らかな口調ではあるが、その奥底には対する者を委縮させるような重みが隠されている。


「もちろんです。主様に恥をかかせるような真似はしません」


 底知れぬ恐怖に引きる顔面を取り繕いながら、お手本のような答えを返す。

 改めて一礼をし、短いお礼を述べてから、張り詰めた執務室を後にした。廊下に出て、待機していた男が丁寧に扉を閉めれば、どっと気疲れが襲い、長い息を吐いた。

 一連の騒動で抱いていた暗澹あんたんたる思いのほとんどが晴れ渡り、今は希望さえ見出している。

 まだまだ問題は山積みだが、長い道のりの第一歩目を踏み出せた感覚に、リアは身の引き締まる思いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る