第11話 衝撃

 視察団が地上へと帰ったことで、モグラたちは安堵の息を吐き、肩の力を抜いた。

 なるべく刺激しないように、といった緊張は嘘のように消え、一気にいつもの穏やかな日常が戻ってきた。

 今回の出来事がどういう結果になったのかは、まだモグラたちには知らされていない。しかし、特に大きな事件などは起こらなかったので、前向きに考えてもいいのだろう。


 今は昼過ぎ。この地底でたった一人、視察団に大切な人を奪われたリアはようやく自宅の玄関をくぐった。

 ルーディが去った後、娼館の発光石を無心で替え、行く宛も無く地底を彷徨さまよっていた。立ち止まっていたら自分の不幸に飲み込まれてしまいそうで、現実から逃れるかのようにひたすら足を動かした。


「戻りました……」


 帰宅の挨拶は自分で思っている以上にしおれていた。

 急な別れでまだ実感が湧かない。明日カンテラの点検に行ったら、いつものように明るく出迎えてくれるのではないかと期待してしまう。

 リアは発光石の入ったかごを床に降ろし、食卓の椅子にどっさりと体をゆだねた。

 たった一人の空間で長嘆ちょうたんする。うれいを帯び、陰った瞳は部屋中を映し、ある一点で止まる。物音のしないジャネットの部屋。発光石の買い付けに行くと言っていたが、遅すぎやしないかと一抹の不安がよぎる。


「ジャネットさん?」


 念のため扉を叩き、そっと中を確認した。そこにはベッドと、様々な書類の置かれている簡素な机があるだけで本人はいない。

 リアは膨れ上がる胸騒ぎに家を飛び出し、右左を大きく確認。右側に行けば採掘場方面へ一直線。脇目も振らず駆けだした足は、背後からの呼びかけで、すぐに止まらざるを得なくなった。


「リアさんかな?」


 太く低い声はゆったりとしているが、無視できない強さが含まれている。リアはぴたりと足を止め、唾を飲み込んでから体ごと丁寧に振り返った。


「リアは私ですが……。どういたしましたか? 我らが主様あるじさま


 いつも遠巻きに見ているだけだった、地底をまとめ上げる主様が自分を訪ねてきた。無礼な振る舞いをしたら、どんな目に遭わされるかわからない。

 怯えに揺れる瞳で捉える主様の姿は、いつもと変わらず凛々しく凄みがある。背はリアの頭三つ分は高く、がっしりとした体型は見る者を圧倒する。後ろへ撫で付けられた黒髪の下で光る目は、まるで獲物を見つけた猛獣のような獰猛どうもうさが一筋宿っている。

 委縮し、立ちすくんでいるリアを前に、主様はゆったりと距離を詰める。逃げ出したい程の圧迫感が襲うが、それを実行する度胸はない。


「リアさん……残念ですが、貴女の雇い主であるジャネットさんが先程、亡くなりました」

「っ……え……」


 目を静かに閉じ、沈痛な面持ちを前面に出して語られる内容に、リアはうめきのような声を発してしまった。モグラの頂点である存在に敬意を払い、上手く返事をしないといけないが、理解の追いつかない話に頭が真っ白になってしまった。


「いきなりこのようなお話しをしても、混乱してしまいますよね。事の次第を説明させてください」


 頭から血の気が引き、気を抜けば卒倒そっとうしそうな衝撃を受けたものの、主様の手前、反射的に一つ大きく頷く。それを見届けた主様は真剣な表情を作り、肩を落としてみせた。


「今朝、道を歩いていた視察団に運悪くぶつかってしまった幼子があったようです。視察団の方は大層お怒りになり、その幼子に奇跡の力を行使し、少しばかりお仕置きをしようとしたようなのです。そこへ、幼子をかばうように飛び出したのがジャネットさんだったと……」


 つまり、ジャネットは地上人に殺されたのだ。


「運悪くジャネットさんは亡くなってしまった、という話です。すぐに私も駆けつけ、我が同胞を亡き者にされ、和平の約束も決裂だと伝えたのですが、わざとでは無かった、という事ですので今回は穏便に済ませました。……実に痛ましい事故です」


 最後に付け足された言葉は口調こそ落ち着いているが、有無を言わせない強引な眼力がリアを射抜く。


「……はい……。わざわざ、現場まで出向いていただき、ありがとうございました……」


 体内を巡る情動が言葉を途切れさせるものの、失礼の無いように頭を下げた。

 主様はジャネットの死を不慮の事故とし、視察団に罪は無いという事実を作り上げ、それをリアに強要している。それに不満を述べるなんて許されない。主様の言う事は絶対だ。


「そしてリアさん、大切な雇い主を失ったところ恐縮なのですが……今住んでおられる家はジャネットさんが契約しておりまして、引き続いてリアさんが契約するとなると、金貨十枚が必要になります。三日間は猶予を与えますが、その間に支払えないならば出て行ってもらいますので」


 それでは、と切り上げ主様は足早に遠ざかっていく。カンテラに照らされる背中は、呼び止め抗議するなんて選択を忘れさせるほど、冷血で恐ろしかった。


 リアは顔面蒼白のまま、ふらつく足で数日後には住めなくなる自宅へ何とか身を押し込めた。玄関を閉めて、そのままどっかりと腰をつく。立ち上がる気力すらなく、自分の身に降りかかった悲運に茫然と虚空こくうを見つめる。人はあまりにも強い精神的な衝撃を受けると、悲しみも含め何の感情も出てこない。今朝まで元気だったジャネットがもういないと言われても、受け止めるなど到底できない。

 リアは頭を抱え、長いため息をついた。

 立てた膝にひじを置いて重い頭を支える。目に映るのは土を固めた床。リア以外、帰る者はもういない。


「……何が奇跡だ」


 ――奇跡の力は、私から何もかも奪っていく。


 家族、友達、ルーディ、ジャネット、そして住む場所は二度だ。


 ――私が何か悪い事でもした? これまで何かを盗んだことも、もちろん人を殺したことだってないのに。


 罪を犯さず、善良に生きてきたつもりだった。それでもラフィリアは自分を許さないのだろうか。悔しさ、痛嘆つうたん、そして怒り。様々な激情が一気に押し寄せる。心がそれを持て余し息がつかえる。

 しかし、どんな思いを抱いたところで、自分にはこの不遇を打破できないと知っている。そもそもラフィリアは神であり、人間にどうこうできる存在ではない。大教会を相手に復讐、なんていうのも現実的ではない。奇跡の力すら持っていないリアには、大勢の新鋭たちを倒すなんて無理だ。結局、力を持たぬ者は泣き寝入りをするしか道がない。


 仕事も失い、明々後日しあさってにはこの家も失う。そうしたらリアはどう暮らしていけばいいのだろうか。金貨十枚なんて大金は手元に無いし、数日で集められるものでもない。

 行きつく先は物乞いか娼婦か。

 どう転んでも、これまでとは全く違う環境に置かれる。どういう心境になればいいのかすら今のリアにはわからず、膝を抱えて縮こまり、外の世界を遮断した。


“キミはこの世界を変えられる。僕は、奇跡の力をこの世界から無くしたいと思っている。力を貸してくれないか?”


 ふと、数日前に会った大教会の青年の声が頭に蘇った。


「……フランって言ったっけ……」


 のぞく錆色の虹彩は、室内をほんのりと明るくするカンテラによって闇から這い上がる。

 怪しい話だ。それに乗るなんてどうかしている。

 頭の冷静な部分はやめろと騒ぐが、リアは片足ずつ静かに立ち上がった。その目は闘志に燃え、頑な決意が映っていた。

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