第8話 異変

 今日も変わらない地底で、リアは発光石の入ったかごを手に、見慣れた分岐を曲がった。

 すれ違う人は温顔おんがんで安堵を感じさせる。その理由は一つ。銀髪の娼婦――クラリスが奇跡の力を授かってからというもの、親指を切り取られて殺害されるという不気味な事件がぱったりと止んだのだ。

 ラフィリアの天啓てんけいだった、と関連付けクラリスをあがめる動きが強まっている。リアはそれについて懐疑的だが、わざわざ口に出すことでもないので、普段通りに生活を営んでいる。


 今はまだ昼前。今のうちに自分の持ち場である、娼館サンフラワー周辺の発光石を取り替えてしまおうと足を速める。ルーディが起き出すのは大体昼過ぎだ。何かとお願いをされたり、客の愚痴を聞かされたりと、たまに鬱陶しい時がある。今日は何となく気分が乗らないので、仕事時間を早めた。


 階段前市場は人が多く、誘惑も計り知れないので、逆方向から遠回りをする。市場から離れれば離れるほど店や住宅は少なくなり、比例して増えるのがモグラの暮らしを支える発光石の採掘場だ。道からそのまま掘り進めているので、入り口に立ててある看板を見逃すと行き止まりや、今まさにつるはしを振り上げている現場に出くわしてしまう。


 穴だらけの道を横目に進んでいくと、その中の一つが騒がしい。何かあったのは一目瞭然だ。落盤かと思い、自分が少しでも助けになれればと顔をのぞかせるが、その内部は想像していたのと違った。


 掘り進めた先は崩れてはおらず、目の届く範囲で掘削くっさくは終わっていた。恐らく、あまり良い発光石が出なかったのだろう。人が一人立つと逃げ道を塞がれてしまいそうな狭い空間には、人がみっちり入っている。五、六人はいるだろうか。後ろにいる者は背伸びをして奥の方を正視している。衝撃的な光景でも広がっているのか、目を逸らせない、といったふうに顔がこわばっている。


 その先に何があるのか好奇心を抑えられず、リアも人々の体の間から正体を探る。ちらりと見えた壁にはべっとりと赤黒いものが付着していた。それが血痕だと理解するのと同時に、周囲の人たちの会話が耳に入る。


主様あるじさまの奥様が……』

『まあ、こうなるのも仕方ないというか……』

『滅多なことを言うんじゃない!』


 ひそひそと本音も漏れる言葉に、腰を抜かしそうになった。まさか、目の前で悲惨な姿になっている人物が、会えば嫌味を言ってくる娼館ローズの女将おかみだなんて。

 これは大事件だ。娼館の女将であるのと同時に、彼女はこのモグラで一番権力を持っている主様の配偶者だ。犯人は見つけ次第、殺されるだろう。それとも、これはラフィリアの再来に関係があるというのだろうか。もしそうだとしたら、さすがの主様でも手出しはできないな、などとリアは頭の片隅で思考を巡らせながら、そっと現場を離れる。ここにいて万が一、犯人扱いされても困る。こういうことには首をつっこみすぎない方が得策だ。

 高ぶる鼓動を鎮めつつ、涼しい顔を取り繕ってリアは当初の予定通り仕事へ向かう。


 午前中の歓楽街は静まり返っている。娼婦の仕事は主に夜。午前中は睡眠時間に充てられている場合がほとんどだ。

 人が少ないと集中できる。等間隔で並ぶ灯りを前に、自然とやる気が湧き、効率よく作業をする。光度が落ちているカンテラを外し、中の発光石を交換していけば、最後には達成感が待っている。


 まばゆい発光石は、地底で暮らす人の心のり所だ。やはり人は光なしでは生きていけない。

 ここで暮らす人たちが地上に出られる日を夢見てしまうが、それはあり得ない。何度も何度も熱望した想いは、いつの間にか叶わないと諦めた。五百年も地底暮らしをしてきたのだ。今後も変わりはしないだろう。リアは手を止めず、来るはずのない未来を夢想する。

 力を持たぬ者も迫害されず、太陽の下でのびのびと生きる。家族や、友達とも引き離されることはない、そんな平和な世界。


 最後のカンテラを壁にかけ、口元に寂寥せきりょうの笑みを浮かべたところで、急に後ろから肩を叩かれた。

 誰もいないと思っていたので酷く驚き、飛ぶように体ごと振り返った。


「発光石を一つくれないかい?」


 手を差し出しているのは、黒い服を着た青年。見間違うはずなどなく、それは大教会の制服だ。リアをここへ落としたまわしき人物と重なる。


「地上人様が私たちに何の用ですか?」


 顔は嫌悪感に険しくなり、言葉はとげとげしい。意識せずともこんな態度を取れてしまうのは、未だにあの日の事を許せていないからであろう。

 対する青年は気を悪くもせず、面白そうに口角を上げた。後ろでしばっている長い黒髪を横へ持ってきて、撫でるように肩の前へ垂らす。


「それ、僕以外には言わない方が良いよ。キミの首が飛ぶ」

「たとえそうだとしても、私は地上人に屈したくないの」


 大教会の者を怒らせたら、その場で殺される可能性もある。それでもリアの決意は固く、喉を通過する声は信念を象徴するかのように真っ直ぐだ。憎悪の感情さえ灯っている土色の瞳で、深い海の底のように凪いだ濃紺の双眸をがっちりと捉えた。そんな包み隠さないリアの胸中を知っても青年は態度を変えず、肩をすくめてのんびりと話を進める。


「気が強いね、キミは。でも、キミの胴体と首が離れてしまったら僕が困るから、ぜひやめてもらえるかな」


 どうして大教会の人間が困るのだろうか、とリアは思いっきり眉間に皺を寄せてしまった。地上人にとってモグラは家畜以下の存在で、誰が死んだところで気には留めない。リアは筋の見えない気味悪さに身構える。そんな反応に青年は鼻に小さく笑いを抜いた。


「あれから十年も経ってしまったから、覚えていなくても仕方ないか。十年前のあの日、真っ暗闇で鼻血だらけだったキミに手巾を渡した人物の事なんて」


 思わせぶりな態度を取る青年に、リアは忘れていた記憶を強制的に引き戻された。

 もう顔は思い出せないが、地底に落とされる少し前に会った青年は長い黒髪だった気がする。一方的に喋ってすぐにいなくなった、何とも怪しい人物が十年後に自分の元を訪れるなんて、きっとろくなことはない。


「今、僕は大教会の命令で、奇跡の力を発現させた者が地底にいるようだから、その人物を特定しろ、との事で地底に来ているんだ」


 当時と変わらず勝手に喋り出す姿勢に、リアはより警戒を強める。十人が見たら十人ともリアの目は青年を睨み付けているだろうというほど、あからさまな敵意を発しているが、それに曝されている青年は怯みもせず続ける。


「それと、数か月前に地底に来た大教会の者がとある書類を落としたらしくて、それも探して回収しろだって。完全に尻拭いだよね」


 辟易へきえきし、ため息をつく青年。そこで一旦言葉を切り、何か思いついたようにリアへ親愛の笑みを咲かせた。


「あ、自己紹介がまだだったね。まあ僕はキミを知っているんだけど。リアさん。僕はフランっていうんだ。分かっていると思うけど、大教会に勤めているよ」


 握手を求めるように手を差し出すが、その手を取るほどリアは大教会の人間を信用していない。口を引き結んだまま、好意を拒んだ。

 そんなリアの行動は想定済みだったのか、フランは腕を下ろし、語りかけるように目を細めた。


「キミはこの世界を変えられる。僕は、奇跡の力をこの世界から無くしたいと思っているんだ。力を貸してくれない?」

「はぁ?」


 突拍子もない提案に、間抜けな声が出てしまった。頭の中では思考がフル回転し、フランと名乗った大教会の青年が、どんな思惑でそんな夢物語のようなことを口走っているのか様々な憶測が右から左へ飛び交う。持ったままの光を失った発光石をいじる指が、心の中の動揺を物語る。


「どうかな? キミも奇跡の力を無くしたいと思っていたんじゃない?」


 リアの反応を面白がっているような、それでいて心の中を見透かしているような微笑を前に、いい答えが見つからない。今しがたまで奇跡の力など関係なく、誰もが平和に暮らしたいと感傷的になっていたのは事実だ。しかし、こんないかにも怪しい誘いに乗るほど馬鹿ではない。必死に心を落ち着け、発光石を握り締めた。


「……私はこの地底で暮らしているの。ここが私の生きる場所。あなたたちに協力するなんてありえない」

「わかった。もし心が変わったら協力してくれると嬉しいな。僕は大教会にいるから。いつだって大歓迎するよ」


 意外にもあっさり手を振り、背を向けた。揺れる黒髪を呆然ぼうぜんと見つめるリアの心臓は大きく跳ねている。自分が世界を変えられるなんて、どういう了見で導き出したのだろう。奇跡の力もないただのモグラに何ができるというのか。


「考えるのは止めよう」


 発光石の入った籠を持ち上げ、フランとは反対側の路地へ逃げ込んだ。

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