第6話 モグラの世界3

 ルーディを娼館に送り届け、リアは一人自宅へと戻る。市場にはまだ大教会の人間がいる可能性があり、通りたくないので反対側から随分遠回りをした。


「ジャネットさん、戻りましたー」


 玄関を開け、声をかける室内には誰もいない。ここは自宅兼店だ。店と言ってもここで何かを売るという店舗ではなく、発光石を保管するだけなので、住宅の役割の方が強い。


 テーブルが部屋の真ん中に置かれ、入って右手側には調理場がある。

 リアは食器棚からカップを取り出し、調理場の片隅に置かれている、一抱えほどの壺になみなみ入った水をすくい、喉を潤した。


「今朝採りたての水は美味しいわぁ!」


 採水場が地底の各所に点在していて、必要な水はそこへ取りに行く必要がある。歩いて数分ではあるが、水は重たく、すぐに体力が奪われる。苦労して取りに行っても数日後にはまた行かなくてはならないと思うと、ちょっぴり憂鬱ゆううつだ。


「あら、リア。お帰りなさい」

「今日も特に問題はなかったです」


 奥の扉から出てきたのは、人の良さそうな笑顔を浮かべる中年の女性、ジャネットだ。彼女はリアの恩人であり、雇い主である。


「そうかい。ありがとうね。仕事もそうだけど、リアが無事に帰って来てくれて良かったよ」


 右足をかばいながら、ジャネットはゆっくりと食卓の椅子に腰を下ろした。数か月前に膝を悪くしてから、外回りの仕事は全てリアが担っている。それに対しジャネットは申し訳なさそうに頭を下げる。

 リアはそんなジャネットにとんでもない、と柔和に微笑むと水を一杯み、彼女の前に置いた。


「ジャネットさんは無理せず足の事を考えてくれればいいです。この家に長年住まわせてもらっているだけで、ありがたいですから」


 十年前、地底に落とされて階段前市場を徘徊はいかいしていたところ、ジャネットに拾われた。行き場のなかったリアを自宅に招き入れ、二人分の高額な家賃を主様あるじさまへ納めてくれているのだ。到底頭が上がらない。

 ジャネットの優しさには経済的だけでなく、精神的にも救われた。


 その後ルーディとも出会い、リアはささやかな幸せの中、モグラとしての暮らしを続けている。自分が役に立つことがあるのなら、積極的に手伝いたい。


「そういえばもうすぐ懺悔ざんげの日だねぇ。今年は物騒な事件も起きているし、代表に立候補する人はいつにも増していないだろうね」

「今日も地上の人がラフィリア再来について演説をしていたし、今年の懺悔の日が思いやられますね」

「モグラにとって、悪い変化にならないといいけどねぇ」


 気鬱そうに一口水を飲むジャネットに頷き返す。


 『懺悔の日』は一年に一度、モグラが地上に出て大教会にある大聖堂で光のラフィリアに祈りを捧げる儀式。

 懺悔の日の文字通り、モグラがラフィリア像の前で信仰心の無さ、そして力を持つ資格が無いことを詫びるのだ。モグラとして生きる者は決して本心ではそんな風には思ってなどいないが、地上人に従わないと問答無用で殺される。過去には懺悔中に騒ぎを起こした者もいたらしいが、消されたと伝え聞いている。

 形式上は穏便に済ませるため、下げたくもない頭を下げ、地上人の見世物になり嘲弄ちょうろうされる。誰もやりたがらない、屈辱的な役割だ。


 気が付けば、もう半月後に迫っていた。代表の選出は立候補者がいなければ主様が決定するので、指名されたら拒否権はない。モグラも数えきれない程いるので自分には当たらないとは思うが、それでも頭の片隅で一片の不安がちらつく。


「きっとラフィリアの再来なんて無いですし、今年もいつもと同じ、何事も無いと思いますよ」


 目を細め、返す言葉は自分を納得させるためのものでもあった。

 もうラフィリアによって人生を滅茶苦茶にされるのはごめんだ、とリアは怨念に唇を噛みしめる。そんなどす黒い心の内を育ての親であるジャネットに見透かされたくなくて、短い挨拶の後、自分にあてがわれた部屋の扉を開けた。

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