第5話 モグラの世界2

 市場に差し掛かったところで、活気の沸き立ちに毎回気圧けおされる。ここは地上と地底を繋ぐ長い階段の下で、広い空間になっているのだ。


 そこでは様々な物が売買される。地上人が地底に出入りするのは自由で、商人が露店を出し高値で色々な物品を売りさばく。そのため喧騒が絶えることはない。


 地底でも日用品から装飾品、服や木材なども簡単に手に入る。ここにいると地上人に迫害されているなんて忘れてしまいそうだ。

 地上に出ればそうはいかないのだろうが、地の底で暮らしている分にはそう不便はしない。


「ルーディ、今日は何を買いに来たの?」

「首飾りよ。お客さんから今日、とても珍しい宝石を使った物がここで売られる、って話を聞いたのよ!」


 一片の曇りもない顔に、リアはがっくりと肩を落とす。


「多分それ偽物だよ……高級な物をモグラなんかに売るわけないじゃん……」

「リア~、こういうのは気の持ちようよ。そんな冷めた気持ちじゃ人生楽しめないわ」


 あっけらかんとした様子を見ていると、不思議と心が軽くなる。出会う人を明るく照らし出せるルーディを少し羨ましく思う。希望なんて何もなかったリアを救った一人がルーディだ。モグラになって日が浅い頃、地上から来たリアをモグラたちが邪険に扱う中、ルーディは何のためらいもなくリアに手を差し伸べ、地底の暮らしに溶け込めるように手引きしてくれた。その恩はまだとても返しきれていない。今のところ返せる目途は立っていないが、ルーディは気にしないだろう。


 人々の話し声が活気を作る中、大きく抑揚のつけられた演説が雑踏をかいくぐり、無許可に耳へと入り込んできた。


『――この度の事件は、光のラフィリアの再来が近い事を表している! 今こそ祈りを捧げ、共に救われようではないか!――』


 地底と地上を繋ぐ階段の真下で、大げさな手ぶりをしながら道行く人の足を止めている黒服の男がいる。大教会の関係者だ。

 階段から突き落とされた、あの日が蘇る。都合の良い時だけ綺麗な言葉を並べて、光のラフィリアを使い、モグラたちを翻弄ほんろうする。汚いやり方だ。


「何が光のラフィリアの再来だ。反吐へどが出る」

「最近はこういう活動、頻繁にやってるわね。……随分必死ね」


 呆れたように鼻で笑うルーディ。彼女も大教会の思惑は感じ取っているようだ。

 地上としては万が一、地底にラフィリアが現れ、力を与えたのだとしたら都合が悪い。力を持ってしまったら、長年の怨みを晴らすために地上に攻め入るのは目に見えている。それをさせないため大教会は今のうちに、モグラを自分たちの配下に抱え込んでしまおうと画策かくさくしているに違いなかった。


「ささ、リア。こんなところで潰している時間はないわ。こっちよ」


 数歩前で手招きするルーディに続く。リアの事情をよく知るため、さり気なく気を使ってくれているのだ。多少の申し訳なさを感じながらも、ありがたくそれを享受する。


 お目当ての店を探して人ごみの中をしばらく徘徊する。ようやく見つけたのは地面に桃色の布を敷き、装飾品を置いた露店だ。しゃがみ込んで物色するルーディの後ろからのぞいてみれば、魅力的な数々の品が並ぶ。近くで見ると光を反射して、どれも輝いている。


「幸せのお守りがあるって聞いたんだけど、どれかしら?」


 店番をしている初老の男性にルーディが訪ねれば、一番手前に置かれていた花の首飾りを指さす。花弁の部分は銀色の金属で、真ん中には小ぶりな黄色の宝石が埋め込まれている。


「これを知っているなんてお目が高いね。そこに並んでいる二つしかこの世には存在しない貴重品だ。それがなんと一つ銀貨一枚」


 説明を受けるルーディの横でリアは一人衝撃を受けた。やはり値が張る。しかし、珍品にしては安すぎる。本当に幸せを呼ぶ物だったとしたら、銀貨一枚なわけはない。ただ言えることは、ほぼその日暮らしの生活をしているリアには到底手が届かない。

 きっとルーディも諦めるだろうと、目配せをするためちらりと視線を向けてみたところ、ルーディの瞳は子供のような輝きを持って、真っ直ぐ男性を見つめていた。


「二ついただくわ。銀貨二枚ね」


 驚きに言葉を失っているリアを尻目に、ルーディは自分たちにとって貴重な銀貨を二枚、大きな手のひらの上に乗せる。愛おしむように首飾りを手に取り、立ち上がった。その顔はとても満足気だ。

 まいどあり、と陽気な挨拶を背にして、ルーディはリアの前に首飾りの一つを差し出した。


「これはリアに。お揃いよ」

「お揃いって……こんな高価な物もらえないよ!」

「いいの。あたしが買った物だし、どう使おうが勝手でしょ。遠慮しないで」


 もう一度強く出され、ためらいがちに首飾りを受け取る。それはとても軽く、やはり幸せを呼びそうにはなかった。しかし、ルーディが嬉しそうに首にかけているので、リアも真似して胸元を花で飾る。ルーディのようなドレスなら映えるが、リアはところどころほつれているみすぼらしい格好だ。不釣り合いなのは重々承知だが、久々の装飾品におどる胸は隠せない。


「売り切れる前に手に入れられて良かったわ。付き合ってくれてありがとう」


 上機嫌のルーディに連れられ市場を一周し、二人は娼館サンフラワーへの帰路に着く。少し遠回りをし、あまり人通りのない細い路地を通れば、カンテラの数が少なくなり薄暗い。今いる区画は娼館が多く立ち並ぶ場所、歓楽街だ。各々おのおの、雰囲気を出そうと看板に意匠を凝らしたり、店の前に淫靡いんびな像を置いたりと個性豊かだ。


 そんな一角にある店先で、妙齢の女性がまだ十代であろう少女に甲高い声を上げ、喚いている。


「あーあ、今日は機嫌最悪だねぇ」

「あの子、標的になって可哀想」


 遠巻きにリアとルーディはその様子を眺める。くせ毛を隠すためか、後ろで髪をきっちり縛っている女性の目は吊り上がり、悪魔のようだ。対する少女はもう慣れっこなのか、くせのなく長い銀髪を女性に見せつけるよう頭を下げている。怒りをぶつける女性と無言を貫く少女。滑稽こっけいなことこの上ない。


「娼館ローズの女将はここじゃ一番厄介な人物だからね。……本当、主様あるじさまはあのばばあのどこがよかったのか」

「聞こえるわよ、リア。……まあ、あたしもほぼ同じことを思っているけど」

主様あるじさまと結婚してから余計、態度がデカくなったよね」

「もう向かうところ敵なしね」


 二人は横目に見ながら小さく笑い合う。


 モグラたちを治める者が『主様あるじさま』だ。この地底で一番の権力者が、何故か小さな娼館の女将と結婚したのが数か月前。前から女将は扱いにくい人物だと、地底ではちょっとした有名人であったが、今では手が付けられないほど好き勝手をしている。

 機嫌を損ねれば、今繰り広げられているように烈火のごとく怒鳴られ、罵声をあびせられ続ける。


 女将は少女を思いっきり突き飛ばし、店の中に戻っていった。乱暴に閉められる扉の音が通路にこだまする。

 地面に倒れ込んだ少女を介抱するため、二人はどちらともなく駆け寄る。


「大丈夫?」


 幸いにも暴力は振るわれなかったようで、怪我は無さそうだった。手を差し出せば少しだけ視線を合わせ、素直に手を取った。


「ありがとう」


 顔を伏せ、地面を見つめたまま小さく呟くその声は無感情で、抑圧された生活を強いられているのだと手に取るようにわかる。


 力を持たぬ弱い者は、どこの世界でも強い者に従うしかない。それが唯一の生き残る方法だ。それを脱したくて足掻いても、無駄に終わることの方が多い。だからこの少女も、己の人生を諦めたのだ。モグラとして生きていくにはそれが最善だ。


「あんたのところの女将は評判悪いからね。上手く手のひらで転がしなさい」


 茶化すように手のひらを上に向ける仕草をするルーディ。わざと明るい調子をするが、その土色をした大きな瞳の奥には諦観ていかんが見え隠れする。主様にはモグラの誰も逆らえないし、その妻である女将にも物申せはしない。下手な事をすれば自分の命はおろか、少女もどうなるか分からない。こんな人生を変えたい、といくら考えても変化させるのは破滅に進む。現状維持が結局のところ一番安全だ。リアはルーディに相槌を打つように、曖昧な笑みを顔に貼り付けた。


 少女も体でそれを理解しているのだろう。無表情のまま扉の横に背を預け、膝を抱えて座り込んだ。女将の許しがあるまで室内には入れないのだろう。きっと中に入る時も理不尽な怒りをぶつけられるに違いなかった。


 リアとルーディは娼館サンフラワーへと、止まっていた足を動かし始める。二人が長居するのも女将の怒りに触れる可能性があるからだ。

 歩みを止めず振り返れば、少女は膝に顔を埋めていた。綺麗な銀髪が、小さな体を包み込む滝のように流れ落ちる。流すことのできない涙のようだ、とリアはいたたまれなくなって視線を戻し、小道の先にある光溢れる通りをひたすら目指した。

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