地底

第4話 モグラの世界1

 モグラの国は地上にも負けず劣らず明るい。


 奇跡の力を持った地上人が暮らすその足の下で、モグラと呼ばれる力を持たぬ者は今日も慎ましく生きる。


 リアが地底に落とされてから十年の月日が流れていた。当時は長かったこげ茶の髪は肩の上で不揃いに揺れ、繊細な面影はない。地上で暮らしていた頃の記憶は薄れ、己の運命に絶望して涙する日はもうなくなった。

 首にげている懐中時計を確認すれば、午後三時を回ったところだ。


「やばい、急がないと」


 リアは手に持つかごを握り直し、身長の倍ほどの土壁に囲まれた通路を駆け抜ける。


 天井、壁、床は全て土。たまに硬い岩が顔を出している。地底は五百年という歳月をかけ、奇跡の力を授けられなかった者たちが作り上げた楽園になった。“モグラ”という名称のごとく、土を掘って固めた道が複雑に繋がっている。

 もちろん住宅や商店だってある。壁には木製の扉が付けられていて、中が洞穴どうけつであること以外は住み心地など地上の住宅と遜色そんしょくない。


 すれ違う人は穏やかに談笑し、午後のひと時を楽しむ。地底行きだと聞かされた日は悲嘆ひたんに暮れ、どんな野蛮な地かと恐れたが、実際には地上人と大差ない暮らしぶりだった。

 楽しい事、悲しい事。それは平等にやって来るのだとすぐに知った。


 細い道、広い道。うねるように続く土壁には等間隔でカンテラが設置されている。

 地上であればその中で揺れるのは橙色の炎だが、モグラの世界では『発光石はっこうせき』と呼ばれる、手のひらに乗る大きさの石が入れられている。この発光石がモグラにとっての生命線。陽の当たらない地下で、太陽のように白くまばゆい光を放つ石は日々の生活に欠かせない。


 リアの職業は、そんな発光石の管理をする『あかり』だ。

 今日も自分が担当する区画を巡回し、消えかかっているものがあれば交換したり、住民に売ったりする。


 曲がりくねる道の壁には、迷わないように先にある主だった店などの名が記された看板が掲げられている。リアはもう慣れてしまい無くても困らないが、目線にあるそれを無意識に視覚で認識する。

『娼館サンフラワー』それが行先だ。


 リアが担当する灯りは、娼館サンフラワーの周辺と室内。ほぼ毎日通い、明るさを保つために点検をしている。

 その場所は民家よりも大きな入口で待ち構える。地底では珍しい両開きの扉が付けられていて、女体の彫り物がなまめかしい精緻な金細工を施されたカンテラが扉の両脇できらびやかに輝く。

 灯りの下には彫刻にも負けず劣らず艶やかな女性が一人、壁に背を預け佇んでいた。道の先にリアを見つけると親愛を浮かべながらほほ笑み、小さく手を振った。


「リア、今日は遅かったじゃない」

「……一体何の用?」


 長い赤毛を後ろに払いながら近づいて来るのは、サンフラワーの娼婦であるルーディだ。胸を強調するようなデザインのロングドレスがとても似合っている。リアとは長年の仲で、年が近いこともあり気の置けない存在である。

 そんなルーディが、大輪の花を咲かせるように顔をほころばせている時は大体何か企んでいる。かつて無謀なお願いをされた経験が度々あり、思わず身構える。


「ま、やーね。何、その嫌そうな顔は」

「ルーディは時々、私を人だと思ってないのかと疑いたくなる時があるから」


 リアの言葉に肯定も否定もせず、ルーディはその綺麗な顔で嬌笑きょうしょうした。


「今日は簡単なものよ。ちょっと買い物に付き合って欲しいの。……ほら、最近気持ちの悪い殺人事件があるでしょ?」

「まだ犯人が分かってないよね。昨日も一人犠牲になったとか」

「本当に光のラフィリアが降臨する前触れなのかしら?」

「そんなのあるわけない」


 自分でも驚くほど吐き捨てるような強い語気になってしまい、慌てて笑顔で取り繕う。仕事が終わるまで待ってくれるようルーディに声をかけた。

 入口横のカンテラはまだ強い光を放っているので、その横や向かいに付けられているものを外し、持ってきた籠の中にある新しい発光石と交換する。籠を地面に置き、被せてある布を取れば眩くて目がくらむ。手際よくリアは次々と交換していく。


 今、地底で起きている事件。それは右手の親指を切り取られ、殺されるという奇妙なものだった。右手の親指は光のラフィリアに祈りを捧げる時、地面にこすりつけるための指だ。それを取るというのはラフィリアから何らかの啓示けいじだ、と地上人もモグラたちも騒いでいる。ラフィリアに見捨てられたリアはそれに人一倍嫌悪し、苛立ちを覚える。

 しかし真相はどうであれ、ルーディを一人で出歩かせて危険な目に遭わせるつもりはない。素早く作業を終了させ、地底で唯一の市場へと歩調を合わせた。

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