婚約破棄騒動~彼女が婚約者の頭を踏みつけるに至るまで~

隣のカキ

婚約破棄騒動~彼女が婚約者の頭を踏みつけるに至るまで~


「お願いします!どうか……どうか!!」




土下座で謝罪するような態勢の彼は、栄えあるストレンジ帝国の若き侯爵。




名をロイス。




「そのような事を言われても困ります。」




対して、必死な懇願を受ける彼女は、隣国。イリジウム王国の伯爵令嬢。




名をソフィア。




この二人は婚約者同士である。






「どうかお願いだから、私の頭を踏みつけてくれ!」




「嫌です。」




「何故だ!?」




「何故?普通の人間は人様の頭を踏む事など致しません。」




彼女の言う通りである。






一体何故このような展開を迎えるに至ったのか…。






それはストレンジ帝国建国まで遡る事となる。














初代皇帝は賢帝と呼ばれ、その政治手腕とカリスマは将来に渡ってさえ誰一人として並ぶ者なしと言われる程であった。




民は皆称え、どの貴族も忠実な臣下として働き、皇帝としての立場は揺るぎないものだったと伝えられている。




だが、賢帝の心には獣が住み着いていた。




その獣はふかふかの毛を持ち、年二回毛刈りを行う事で人に利する獣。羊である。




賢帝は真性のドМであったのだ。




彼は当初、その獣を隠し通す事で威厳を、威光を、そして絶対たる権威を守れると思っていた。




しかし、心に住み着いた獣は年を経る毎にメェメェと可愛らしく鳴き、彼を苛む。




獣は毛を刈り取って欲しいと、その毛を加工し服にして売って欲しいと必死に鳴くのだ。




彼は建国から10年経ったある日、心の内に潜む獣を開放し、世話係の侍女に頼んでしまった。




どうか頭を踏みつけて欲しいのだ……と。




そこで侍女が断り、その発言を口外せずに彼女の心の内に秘めておけば、この国はもっとまともだったのかもしれない……。




あろうことかその侍女は、見惚れるような美しい笑顔で、嬉々として偉大なる建国の祖たる賢帝の頭を踏みつけ、高笑いしながら太股をつねりあげてしまった。




彼女の心にも獣が住んでいたのだ。それは生きる為の狩猟ではなく、獲物を追い回す事そのものに悦を見いだすタイプの狼であった。




賢帝と侍女のやり取りは日を追うごとに激しさを増し、とうとう第三者の知る所となってしまう。




その第三者とは賢帝の実の弟、エミルであった。エミルは底抜けの阿呆であったが、兄を心の底から慕い、尊敬し、兄のする事全てが正しいのだとどうしようもなく思い込んでいた。




倒錯的な趣味を持つ二人は、ハードに過ごす日々が知れるのはマズい事だと思い、エミルを説得し口止めするが、彼はそれさえも自分では及びもつかぬ神聖な儀式だと思い込み、皇居に住む者全てに伝えてしまう。




普通なら、賢帝は全てが素晴らしいが、唯一性癖がオカシイ。で済んだ話だったのだが、賢帝への信頼は天井知らずで、全ての人々に神聖な儀式であるという認識で広まってしまった。




その後、賢帝と侍女は正式に結婚する事となる。






そして時の流れとともに神聖な儀式の意味は変容し、現在では男が頭を踏みつけて欲しいと言えば、それはプロポーズであり。女が頭を踏めば、プロポーズを受けたと解釈される。




帝国式のプロポーズは神聖な儀式でもある為、他国には秘中の秘として一切洩れる事なく現在に至る。
















冒頭に戻る。












多くの帝国貴族子弟が通うストレンジャー学園卒業パーティーの真っ最中であった。格式高いダンスホールにて執り行われたパーティーには、これから学園を巣立つ多くの卒業生が集っている。




今期卒業のロイスとソフィアの二人は、誰もが見惚れるような素晴らしいダンスを披露し、ダンスを終えた彼は誰も違和感など抱かぬような極自然な振る舞いでホールの床に膝をつき、彼女を見上げ、そして……。










「どうかお願いだから、私の頭を踏みつけてくれ!」




ホールに居る誰もが、彼らの行く末を見守るように温かな視線を向ける。




その空気を訝しく思いながらも彼女はハッキリと告げた。




「嫌です。」




瞬間、ホール内がややざわめき立つ。会場内で、婚約破棄か?いや、焦らしているのでは?などと囁きが聞こえてくる。




「何故だ!?」




「何故?普通の人間は人様の頭を踏む事など致しません。」




「ソフィ!君は私の婚約者だろう?」




「その通りですわ。」




「では頭を踏んでくれ。」




「それは嫌です。」




「婚約破棄……という事か?」




「そういう訳ではなかったのですが……。」




涼しい顔でロイスを見降ろし彼女は続ける。彼女は外国生まれ。帝国の神聖な儀式を知らないのだ。故に……。




「人前で突然頭を踏んでくれなどと倒錯した事をおっしゃるのであれば、結婚も考え直すべきなのかと、今は思っております。」




言ってはいけない事を言ってしまった。




ホールに居る全ての人間が息を呑む。




そして冷たい視線をこれでもかとソフィアに向けてくるのだ。




「……?」




ホール内の雰囲気が変わった事を彼女は感じ取るが、何故なのかは理解できていない。




「それは婚約破棄だけに飽き足らず、建国の父たる賢帝を侮辱しているのか?」




彼は土下座の恰好からソフィアを見上げ、厳しい視線を向ける。




「?どうしてそのような結論に至ったのかは存じませんが、早くお立ちになって下さいませ。」




自分が何をしたというのか。更には婚約破棄や賢帝の侮辱…と穏やかではない発言まで出てくる始末。そのような視線を向けられる謂れなど無いというのに…。




会場中の冷たい視線を一身に浴びる彼女は、焦りだす。




「どうぞ、早くお立ち上がり下さい。あなたは栄えある帝国の侯爵なのですよ?」




「だからこそ、私はこうしてソフィに頭を踏みつけられるのを待っているのだ!」




彼女は増々困惑してしまう。




「待て!」




そこへ現れたのは、泣く子も笑う馬鹿と呼ばれた第三皇子エミリオであった。




彼はそのあまりにも馬鹿な様から、一度姿を現せばどれだけ場の空気が重くとも人を笑わせてしまう程の馬鹿。賢帝の墳墓に埋葬してやれば、来世はもっとマシになるのでは?と評判の帝国一の馬鹿であった。




エミリオは今日も奇抜なファッションを貫いている。その端正な顔立ちからは考えられないような、大きな羽をこれでもかとあしらったカーニバルな衣装に身を包み、両の鼻の穴からは薔薇が生えていた。




彼の登場に周りからは笑いが起こり、場の空気が弛緩する。




「ソフィアよ。俺の頭を踏むんだ!」




「えぇ。あなたの頭であれば遠慮なく。」






ゴシャっと鈍い音がホールに響き渡った。






彼女はエミリオの頭を勢い良く踏みつけ、機嫌良く上品に笑う。




ソフィアは常日頃から、この馬鹿皇子に付きまとわれ辟易としていたのだ。




いつかその頭を踏みつけてやりたい…。そんな折、こうして機会が巡ってきたのだ。その機会を逃すはずがない。




「な……!何故だ!?ソフィ!私たち二人は確かに愛し合っていたじゃないか?!」




「え?えぇ…。その通りですわ。」




「ならば、何故そ…そのば、馬鹿を踏みつけ…るのだ!ぶはっ!」




笑いを堪えようとしながらもロイスは詰問する。堪えきれてはいないが。




だが、彼を責めないで欲しい。誰だって鼻から薔薇を生やす奴なんて見た日には、笑わずにおけはしない。




「日頃からムカついていたからですわ。そんな方が自ら踏んでくれとおっしゃるのですもの。喜んで踏みつけて差し上げるのが礼儀ですわ。」




ロイスは事ここに至り、気付いてしまった。ソフィアに帝国式のプロポーズを教えていなかった事実に……。




このままではソフィアとエミリオが結婚してしまう事になる。




「あ!あー!そうだった。ソフィが帝国式のプロポーズを知らないというから、馬鹿が見本を見せてくれるんだったね!」




若干わざとらしさが含まれているが、大声でロイスは喧伝する。




私に合わせろと口パクで彼女に伝えるロイス。




彼女は困惑しつつも何かを感じ取り頷く。




「そ、そうでしたわ!素晴らしい見本でした。これで予行練習もバッチリ。どこでロイス様に本番を求められても安心ですわね!」




「お、おれ…と結婚……。」






ゴシャっ!!






彼女の美しい脚の下から、這い出ようとしていた馬鹿が何かを言いかけていた。




「流石エミリオ皇子殿下ですわ!」




再び踏まれたエミリオの鼻から伸びている薔薇は、ポッキリと悲しみを誘う様に折れていた。




「では、今度こそ私の頭を踏みつけてくれ。」




ソフィアはそっとロイスの頭に足を乗せ、微笑む。




すると、ホール中に拍手と歓声が巻き起こる。




その音をBGMに、彼女は今まで感じた事のない甘い痺れを全身に感じていた。
























その後二人は結婚し、仲睦まじい侯爵夫妻として社交の場を飾る。




ロイスの後頭部には、踏みつけられたと思うであろう足跡が常にくっきりと残っており、それが夫婦円満の証として、侯爵夫妻こそが夫婦の理想型であると人々は口々に褒めそやすのであった。

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