この世はVR世界である——古代ギリシャの賢人プラトンの世界観

たけや屋

この劣化した世界を少しでも楽しもうじゃないか(プラトン)

 この世は仮想現実VR世界である——。

 紀元前の世界には、当然ながらスマホもPCもコンピューターもない。そんな世の中でこんなことを喝破した人がいるなら、それはとてつもない妄想狂かはたまた……。


 古代ギリシャ最大の賢人とも言われる哲学者プラトンがこのような結論を下したのですから、それはもうただただ感服。


 VRとかマルチバースって、何が楽しいの?


 そんな意見はよく聞かれます。なにしろいくら超リアルなもう【ひとつの世界】を作り上げても、それは到底現実世界にはかなわないのだから。


 現実とは——ポリゴン数無限、解像度無限、超美麗グラフィック、超ハイレゾ音源、自由度無限、移動制限(あんまり)無し、お金のカンスト無し、という超絶神ゲームである。

 そんな神ゲー【現実】に比べたら、作り物のゲームなんて単調に見えて仕方がないでしょう。


 そんな疑問を持った人は、プラトンの言葉に耳を傾けましょう


 プラトンがこの考えにたどり着いたのは、おそらく名著『国家』を執筆する前——おそらくは活動中期の壮年のころでしょうか。


『この世界の外側には神の住まう本当の世界があって、本当の人間もそこに住んでいる』


 というぶっ飛んだ考え。

 受け取りようによっちゃ現世の全否定にも繋がります。


『そして光の世界に住む人間の、映し出された影こそが、現世の我々人間である』


 という多元世界マルチバースを見据えた明敏な指摘。

 これを端的に説明した【洞窟の壁に映る影】の比喩ひゆは有名ですね。


 ◆ ◆ ◆


 洞窟の入り口に背を向けて、ある人物が座っている。身体を固定されているので振り返れず、洞窟の外側を見ることができない。


 洞窟の内部には光が注ぐ。洞窟の入り口に何かが現れれば、それは影となって洞窟内の壁に映し出される。


 身体を固定されている人物からしてみれば、自分自身と洞窟と、あとは壁に映る影こそが世界の全て。


 鹿とは角の生えた黒い影であり、羊とはもこもこした黒い影である。

 それが世の中の真実なのだと信じて疑いません。


 さて、そんな人に世界の真実を教えてあげたらどうなるでしょう。

「さあ、身体のいましめを解いて洞窟の外に出てみよう。そこには広大な世界が広がっているんだ。鹿も羊もあんな黒い影なんかじゃなくて、ちゃんと実体を持った動物なんだよ」


 しかし洞窟の人はその意見を馬鹿にします。

「お前アタマがおかしいのか? 鹿っていうのは立派な角を持った黒い影のことだし、羊っていうのは黒いモコモコの影だ」


 ◆ ◆ ◆


 これが洞窟の比喩です。

 洞窟の中が我々のいる現実の世界、洞窟の外が神々の住まう真の世界というたとえ話です。


 この世と真の世界とが1本の洞窟で繋がっていたのなら、ただ外に連れ出せばいいだけです。頭の中で考えるだけなら簡単です。

 しかし実際には到達不可能な世界。


 真の世界がどこにあるのか、入り口はどこなのか、それすらまったくの不明なのですから。

 現実世界の外側に行く手段など、2022年現在の科学力をもってしても存在しません。


 じゃあ真の世界のことなど知りようがないじゃないか! という批判は数多く……。

 それにプラトンは何と答えたか。


『真の世界には行けなくとも、その影であるこの現実世界を観察することで、真の世界についてを知ることができる』


 ものすごいポジティブな考えです。

 現実なんてクソだと腐らず、クソにはクソなりの楽しみ方があると言うのですから。


 ◆ ◆ ◆


 これは完全にVRゲームの考え方だと思います。


 この世は神の作ったゲーム世界である。

 人類を含めてこの世の全ては真なる世界のまがい物に過ぎない。

 被造物である人類は、ゲームの外に存在している神には絶対に手が届かない——と。


 なので推測するのです。

 あらゆる物を観察し、どうしてこんな物が存在しているのかと。

 ゲーム世界の住人が、創造主の意図を読み取るのです。

 仮想現実VR世界の中から、現実世界の我々をどうやって知るのか——という次元を超えた考え。


『限りなく現実に近いけど、現実には遠く及ばない世界』をいかに楽しむか、という命題。

 それこそ、哲学の末に到達したプラトンの考えなのです。


 ◆ ◆ ◆


 さて、生まれてから一度も外の世界を見たことない人がいるとして、その人がゲームをやるだけで現実世界を正しく認識できるでしょうか。


 今のゲームはスゴいリアルですからね。動物も車も建物も、実写と見まごうばかりの質感です。でもそれは現実じゃない。

 現実の街並みを再現したマップも、現実じゃない。


 マップには必ず終わりがあり、開発者が想定した以上のものは用意されていない。

 アップデートで内容が次々に追加されても、遊び尽くす速度の方が絶対に早い。

 ゲーム世界は、現実世界に到底及ばない。


 ですができることもあります。

 ゲームを通して、開発者の意図を読み取るのです。なぜこんなマップなのか、なぜこんなアイテムがあるのか、なぜこの装備だけこんな強いのか……。


 ゲームに社会情勢が反映されていれば、それも読み取れます。

 どんなゲームにも——どんな作品にも『作者の意図を読み取る』楽しみというものがあるのです。


 そしてその末に、完全ではないけれど、真なる世界の意図を読み取ったという喜びを感じるのです。


 ◆ ◆ ◆


 紀元前の古代ギリシャにて、哲学者プラトンはこの考えに行き着いたのです。


 この世界は仮想現実VRの世界であると。

 VRMMORPG(仮想現実で・多人数同時参加型の・役割演じるゲーム)のようなものであると。


 そしてそんな下位世界にいることに腐らず、そこでの楽しみ方も伝授してくれたのです。

 クソゲーにはクソゲーの楽しみ方がある、と。


 ◆ ◆ ◆


 さあみなさん、VRでもメタバースでもオープンワールドでもMMORPGでもいいから、1回プレイしてみましょう。

 食わず嫌いはよくありません。きっと未知の楽しみがあなたを待っているでしょう。


 稀に出会える作家性の強いゲームで、開発者のぶっ飛んだ考えに驚愕しよう。

 たとえそれがクソゲーだったとしても、プラトンの教えを思い出すのです。


 クソゲーにはクソゲーの楽しみ方がある!

 ゲームの楽しみ方は十人十色の千変万化!

 ナイトメア難易度がなんだ!

 調整不足の一撃必殺範囲攻撃がなんだ!

 予算不足でイベント未実装になったダンジョンがなんだ!

 お金と時間を使うんなら、とことんまで楽しんでやろうじゃないか!


 まあ俺は3D酔いするので視点ぐりぐり3Dゲームはダメなのですが。

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この世はVR世界である——古代ギリシャの賢人プラトンの世界観 たけや屋 @TAKEYAYA

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