第92話 名著を読んでも、人は愚かなまま
意外にも、100分de名著『いのちの初夜』に感銘を受けてしまって、前回に引き続き今回もこの作品について書きます。おもしろい! と思ってしまったので100分de名著のテキストも買ってきました。600円。物価高の昨今、お財布にも優しい。
『いのちの初夜』は、作者、北條民雄の分身とも言える主人公・尾田高雄がハンセン病の療養所に入所したその第一日の体感を描いた短編小説です。
病気の宣告を受けた尾田は迷っています。ハンセン病の療養所に入所すべきか、せざるべきか。このままハンセン病患者として、生きるべきか、死ぬべきか。すでに二度も自殺未遂を繰り返している尾田は、療養所へ向かう道すがら首を吊るのに良い枝ぶりの木はないかと、そればかりが気にします。
迷いつつも療養所へ辿り着き、いよいよ入社の手続きを済ませた尾田は、すでに入所している重症患者の凄惨な有様に強い衝撃を受けます。
――鼻の潰れた男や口の歪んだ女や骸骨のように目玉のない男などが眼先にちらついてならなかった。
それは、未来の自分自身の姿です――が、まだ若く軽症の尾田にはその事実が受け入れられません。ハンセン病患者たちに激しい嫌悪感を抱きます。
その夜、尾田はそこかしこにハンセン病患者のいる病室に耐えられなくなって、療養所を抜け出して自殺を図りますが死にきれません。そんな尾田を見ていた者がいました。
「僕、失礼ですけれど、すっかり見ましたよ」
「ええ?」
「さっき林の中でね」
「じゃあすっかり」
「ええ、すっかり拝見しました。やっぱり死にきれないらしいですね。ははは」
そう言って尾田の自殺未遂を笑うのは、療養所に来て五年になる佐柄木という青年でした。佐柄木は、自殺しようとする尾田を止めなかった理由を説明します。
「他人がとめなければ死んでしまうような人は結局死んだ方がいちばん良いし、それに再び
佐柄木は、死にたいとまで願う絶望とは、生きようとする意志の強さの裏返しだというのです。そして、自身の病を認めたくない尾田に対し、こうアドバイスします。
「とにかく
長々とテキストから引用しましたが、わたしこの箇所にめちゃ感銘を受けてしまって……「わたしのことが書いてある!」と。
藤光は、大学受験に失敗してからずっと大学にも就職先にも「おれがいるべきところはここじゃない」という感覚を拭えずにいた(というか、いま現在も拭えずにいる)んですね。望まない学生生活を送って、不本意な仕事を続けているというわけ。普段そんなことはあまり考えないようにしてるのですが、一皮剥くと、腹の中では自分の仕事には納得していないし、同僚のことも小馬鹿にしているのです。
これは『いのちの初夜』で尾田が感じていることと構造が同じ。尾田が療養所とハンセン病患者を嫌悪しているように、わたしも職場と同僚を嫌悪している。ここは自分のあるべきところではないし、回りの患者(同僚)と自分とは違う――同じわけがないという感覚です。一旦、組織の外に出て眺めると、どちらも同じ穴のムジナというところまで共通してます。
「成りきることが大切」
まったくその通りだと思います。佐柄木のアドバイスは、ハンセン病とその患者に留まらない真理をついていると深く納得します。
ある組織の中でよく生きるためには、その構成員になりきらなければなりません。そこに疑念や躊躇があってはよく生きることはできないのです。
成りきれないわたしだからこそ、なおさらそのことがよく分かります。
会社で大きな実績を残したり、出世したりする人は、その会社のよき構成員になりきっているでしょ。会社の仕事に疑念を持っている人が、よい仕事ができるわけないじゃないですか。
わたしが職場で評価されない一番の理由は「職場のことを嫌っている」ことにあるのだなと深く納得したのでした。
……だからといって、職場のことを好きなるかといえば、きっとそんなことにはならないだろうと自信を持って言える――そんなひねくれ者の藤光なのでした。
尾田と違って、おれは愚かなまま、迷い続ける人生を送るぞ〜!
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