大人になっても、仕事をしないで親の脛を齧っているパラサイトに多い台詞が「おれがこうなったのは親のせい」ですね。
甘い考えです。自分の人生は自分のものなのにね。自立していない人が、自分の人生の責任を親に転嫁するってことですよねー。
金かけたって勉強しなくちゃ意味がないです笑
作者からの返信
パラサイトは……親ガチャとは、別の意味で興味深いです。「パラサイト・シングル」が盛んに言われたのはもう20年くらい前でしたか。
>おれがこうなったのは親のせい
わたしはこういうセリフを吐く人には同情的でして(笑)親のせいにしているというよりはむしろ「良くないということはわかっている」「自分なりになんとかしたいと思っている」「でもうまくいかない」という意見表明だと思います。可哀想な人たちです。
「親ガチャ」という言葉ではないですが、オーストラリアでも問題になっていますね。
犯罪を犯す人の識字率は、そうでない人と比べて、著しく低いそうです。全員がそうではありませんが、犯罪を犯すのは、アル中や薬中の親を持っていたり、DVのサバイバーだったり、生まれた環境が恵まれていない人が圧倒的に多いと聞きます。
私は日本の田舎のごく普通の家庭(全くエリートではありません)に生まれましたが、もうそれだけで、グローバルで見たら上位5パーセント以内の富裕層です。
そういう意味では、自分は親ガチャに大当たりしてます。そうでない子どもに対して、逆転できる仕組みを社会がもっと整えていくべきだと思っております〜。
作者からの返信
>犯罪を犯すのは、アル中や薬中の親を持っていたり、DVのサバイバーだったり、生まれた環境が恵まれていない人が圧倒的に多いと聞きます。
まったくその通りです。
社会的成功が得られない人の努力不足を指摘する論者は多いし、ある程度はその通りと思いますが、子どもは「家庭」で育てられるものです。問題のある家庭に生まれた子どもに、同じような問題が発生するのは、その子に「努力」が不足していただけではないと思いますね。
>自分は親ガチャに大当たりしてます。
自分の境遇をだれと比較するかで「当たり」「はずれ」の意識は大きく変わると思います。どういう環境であれ、むやみに「自分ははずれ」と思わないことが大切です。
生まれた環境での違いはやはりあるのではないかと思います(><)
だからこそ、公教育でその差を埋めるなどの社会的な制度が必要だと思うんですけれど、なかなか難しいですよね……(><)
個人的には努力をできるということ自体も才能のひとつであり、努力が認められる環境であるということも生まれの差のひとつだと思います。
去年は私自身とても運がよかったと思うので、少しでも社会に還元したいなとリワードの一部を寄付しました(*´▽`*)
自己満足に過ぎないかもしれませんが……(;´∀`)
作者からの返信
>個人的には努力をできるということ自体も才能のひとつであり、努力が認められる環境であるということも生まれの差のひとつだと思います。
あー。『運も実力のうち――』にほとんど同じ論旨の部分があります。綾束さんもマイケル・サンデル読みました?
>去年は私自身とても運がよかったと思うので、少しでも社会に還元したいなとリワードの一部を寄付しました(*´▽`*)
マジすか、書籍化作家の神対応……。
「わたしは運がよく、たまたま成功したに過ぎません。報酬の一部は皆さんに還元します」
運に恵まれた人の取るべき行為のお手本のひとつだと思います〜。
いやあ、現代資本主義社会は親ガチャがあることを前提として、それでもなお逆転成功できるように社会制度が整備されてきた歴史がありますからねー。
親ガチャはあると断言できますが、それを覆さないのは子供のやる気の部分も大きいでしょう。少なくとも社会的には親ガチャで不利な目を引いてもなんとかなるようにできていると思いますよ。それが制度的に十分かどうかは別として。
作者からの返信
>逆転成功できるように社会制度が整備されてきた歴史があります
これについては『運も実力のうち――』の中にアメリカの例が書かれていて、サンデルはそれが機能不全に陥っていると言ってましたね〜。日本じゃまだ事情は違うでしょうが。
>制度的に十分かどうかは別として。
まさにこれが不十分だと言うのが「親ガチャ」論の立場ですよね。
親ガチャというか、虐待で亡くなる子は来世では、無条件で幸福な夫婦な元に生まれてほしいと思います。
子は親を選べない、最悪の結果だと思います。
作者からの返信
澄田さんは優しい……というか、そういう子供たちに気持ちが添ってゆく人なんですね。
子どもが親に虐待されて亡くなるなんていうのは、極端な例になりますが親ガチャはあると言う証拠のようなものですね。
遅ればせながらコメントしますが、これは両方が正しいと思っています。
親ガチャは「ある」、だけど「与えられた環境の中で頑張ることが大事」。
そして「頑張ることは大事」、だけど「社会の側が最大限の支援を考えることも大事」。
なによりも最近、学歴や地位やお金があれば「努力したのだろう」、なければ「努力していないのだろう」……という、非常に単純かつ乱暴な見方が横行していることが気になっています。
到達地点がどこであれ努力したかどうかは本人にしかわからないこと、努力だけではどうにもならないものはあること、そして努力できる環境があったことがすでに恵まれているということ、それは多くの人に認識してほしいと思っています。
同じ努力なら環境に恵まれた人の到達地点の方が高いのは当然です。私は努力してこの地位についたのだ!という自覚のある方ほど、謙虚さと感謝を忘れないでほしい。
作者からの返信
まったく岡本さんの言うとおりですね。
>学歴や地位やお金があれば「努力したのだろう」、なければ「努力していないのだろう」……という、非常に単純かつ乱暴な見方が横行
人の想像力が貧しくなっているのでしょう。「努力」は目に見えません。「偏差値」「金額」「ランキング」など、ぱっと見てすぐに分かるものに飛びついて判断するのは、現代人に考える余裕がないことを示しているのかもしれません。