第78話 「親ガチャ」あり? なし?

 わたしはよく知らなかったのですが、先週行われた大学入学共通テストの倫理の問題に「親ガチャ」を想起させる出題があり、一部で話題になったらしいです。「親ガチャ」という言葉自体を不謹慎なものと考えて、出題を、不愉快に感じる人もいたとかいないとか。


 問題の箇所をネットから引用してみます。


【問題文の一部】

G:「すごい豪邸…、こんな家に生まれた子どもは運がいいね。不平等だな」


H:「生まれた家とか国とか、個人が選べないもので差があるのは不平等だとしても変えられないよ。与えられた環境の中で頑張ることが大事だよね。この家の子どもだって社会で成功できるかどうかは本人次第だと思う」


G:「いや、その子どもも、家が裕福なおかげでいい教育を受けて将来お金を稼げるようになったりするでしょ。運の違いが生む格差は社会が埋め合わせるべきだよ」



 問題の中でGさんは、「人が社会的成功を収めるに当たって重要な要素は、いつ、どういう家庭環境に生まれるかという、その人には選べない『運』にある」と考えていて、Hさんは「運だけで社会的成功が保障されるわけではない、重要なのは個人の『努力』である」と考えているようです。


 Gさんのような考え方をいわゆる「親ガチャ」論といいます。人がどういう経済状態の家庭に生まれるかというのは、ソーシャルゲーム内で引き当てる「ガチャ」のように、自分の努力だけてはどうしょうもない『運』依存しています。


 最初に「ガチャ」で引き当てたカード(キャラクター)によって、あとあとゲームを有利に進めることができたり、逆にスムーズに進められなかったりするため、人生においてどういう両親のもとに生まれたかという、本人の努力ではどうしょうもない『運』によって、その人の社会的成功は半ば決められてしまっている――というのが「親ガチャ」論です。


 ☆


 Gさんのような、親ガチャ論を唱える人には若い人が多く、その親世代はだいたいわたし(藤光)と同世代。その考え方はHさん的なんですよね。


「おれがいい大学やいい会社に入れないのは親ガチャのせいだ」


 なんて言われたらムカつきますよね。そういう意味で不謹慎、無礼な問題かも。


「いや、お前が勉強してねーからだろ」


 自分の努力不足を棚に上げて、と言いたくなりますし、実際そう言っちゃうでしょうが、社会的成功を決める要素には、個人の努力だけではどうしょうもない『運』の部分がある――と看破して、この不正義を放置していいのかと論じた本が、マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』でした。めちゃ面白い本でしたが、大学入試共通テストにこういう問題が出ましたか〜。


 わたしが若い頃は、あまり現実の社会問題に即した問題は出題されなかったようなイメージがありますが、いまの学生さんは大変ですね。ご苦労様です。


 さてみなさんは、「親ガチャ」ってあると思いますか? それとも、努力しない人の屁理屈と思います?


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