第13話 自由になりたい私たち

 息子が観たいというので、映画『ミニオンズ フィーバー』を観てきました。


 わたし「ミニオンズ」が苦手です。よくわからないんです、ミニオンたちのいいところが。ごちゃごちゃしていてとりとめのないこの生物のどこがいいのかさっぱり分からない。でも、人気があるんですね。


 不真面目で

 混沌とした

 バカ騒ぎ


のどこに楽しめる要素があるのか、ぜんぜん理解できないのです。わたしは「理路整然」としたお話が好きです。当然、ミニオンズに関連した作品は一度も観たことがありませんでした。


 観た感想。息子と奥さんは「とてもおもしろかった。ミニオンかわいい」と言っていましたが、わたしは……自分がとても面白みに欠ける人間に思えてきました。




 映画は、ミニオンという謎の生き物とそのボスであるグルー(このお話のグルーは子ども)のお話です。映画を観てはじめて知りましたが、主人公のグルーは悪党に憧れる底意地の悪い嫌な子どもでした。人が嫌がること、迷惑に感じることを平気でするし、むしろそれが楽しそう。


 ――子どもだけど、すでに悪党じゃないか!


 そんなキャラクター設定でいいのか、ちょっと倫理的に問題があるんじゃないかとお堅いわたしは映画がはじまって数分でそう思いました。このグルーにわけのわからない生物であるミニオンたちが「子分」として従っていて、ハチャメチャな失敗と意外な成功を重ねていきます。


 最後まで映画の意味はよく分からなかったんですけど、ひとつだけ分かったことがありました。悪党のグルーは自由なんです。グルーの子分であるミニオンたちも自由です。敵キャラ、味方キャラもほとんどが悪党なこの映画のキャラクターは、自由に生きているやつらが多いと気づきました。どうしてか? みんな悪党だからです。


 自分の欲望に正直で、そのためには人に迷惑をかけても構わない――この映画登場する悪党たちはグルーをはじめ、みんなそうです。心に思うまま自分がやりたい、ほしいと感じたことをするんです。


 人間社会というのは、法律とか常識とか場の空気とか、人が守らなければならないルールっていうのがたくさんありますよね。ふだん意識しないけれどたくさんある。なんでそんなにたくさんあるかというと、人が増えすぎたからです。


 地球上に何十億という人が住むようになって、特に人口数千万人という都市では人が多いだけに人同士のトラブルも増えてきます。人と人とが会うと大なり小なり軋轢が生まれるんです。数千万人の人同士が生む軋轢が何億、何兆になるのか想像もつきませんがとにかく多いはずです。


 トラブルにいちいち対処することはできないので、あらかじめトラブルが起きないように人はルールを作っているわけです。悪いことではありません。が、それは「自分のやりたいこと」すなわち「自由」をみんな少しずつ我慢しているということなんですよ。そして、そういう人の自由を制限するルールがどんどん、どんどん増えているのが21世紀という今の時代なんだと思います。



 だから、社会のルールを破ることがその存在意義である悪党は、自由の象徴なんですね。グルーとミニオンたちを観て笑い転げることができる人たちは、本質的な自由を求めている人たちなんでしょう。思うまま自由にふるまってみたいと思う自分とミニオンたちが重なるのかな?


 で、ふと思ったことは、『ミニオンズ フィーバー』のノリについていけないわたしは、世の中のルールに従って生きていく方が快適だと感る人なんだなということです。えー。われながら「つまんねーヤツだな」と思ってしまいますが、やっぱり理路整然としていた方が気持ちいいやと、開き直って映画館を後にしたのでした。


 でも、ほんとはわたしも思うままに生きたいけどな~。

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