第9話 踏み込んだ先に その4

 一時はどうなるかと思ったものの、参加者同士の雰囲気は悪くない。

 聞くなら今だと判断した大樹たいじゅは、恐る恐ると言った風情で質問を差し挟んだ。

 綾乃あやのがデビューして以来、ずっと心の中に巣食っていた不安の答えを知りたかった。


「綾……『あやのん』は、皆さんの目から見てどんな感じなんですか?」


『あやのん』と言い直すことに若干の抵抗を覚えながらも尋ねずにはいられなかった。

 芸能雑誌に目を通してみると絶賛の嵐だが、あの手の記事でネガティブな評価が出るわけない。

 近しい人間からの綾乃に対する評判なら、家や学校で頻繁に耳にする。

 しかし、一般の――インターネット上の反応は……真偽のほどを測りづらい。

 撮影会に参加するようなコアなファンがどのように綾乃を見ているのか、興味があった。

 話を聞いている限りでは、今日ここに顔を揃えているのは『まゆずみ あやの』が芸能活動を開始して以来の最古参たち。

 大樹が知らない綾乃のデビュー当時を支えたファンたちの意識を知りたかった。

 さっきの会話を思い出すに、彼らは綾乃に好意的で彼女がさらに上のステージに昇り詰めることを疑ってはいないようだったが、その理由までは口にしていなかった。

 和気藹々としていたところに投げかけられた問いに、他の参加者は互いに顔を見合わせる。『いきなりすぎたか?』と大樹のこめかみから冷や汗が一筋流れ落ちた瞬間、


「ボクは……『あやのん』は相当なポテンシャルを秘めていると思ってる。グラビアアイドルだけじゃなく、いろんなアイドルや女優も見てきたけど……かなりいい線行くんじゃないかって期待感はあるな」


 口火を切ったのは最初に絡んできた男だった。

 瞳の奥に見えた粘着質な光は消えて、純粋な憧れを宿した輝きを放っている。

 大樹を含めて他の参加者の視線を集めた男は――しばしの沈黙。

 どうやら頭の中で考えを纏めていたらしく、程なくして再び口を開いた。


「顔は可愛くてスタイルは抜群。つまり見た目が最高なのは言うまでもないけど……この界隈だと誰だってレベル高いから、そこでは言うほど差がつかない。結局のところ重要なのは中身って言うか性格だと思う。『あやのん』は誰に対しても物腰は柔らかいし優しい。礼儀正しい……って言い方は違うな、僕らみたいな普通のファンに対しても真摯に受け答えしてくれる。態度に作ったところがなくて、とても楽しそうなんだ。グラビアアイドルって仕事が好きなんだろうな。撮影会に限らず普通のグラビアだって嫌々やってるって感じがしない。SNSの更新だってそうさ。楽しく仕事ができてるってのは大きいと思う」


『嫌々やってる』のくだりに苦い響きが混じっていた。

 ため息をついている者がいる。頷いている者もいる。

 彼らに共通しているのは、思い当たる節があるということ。

 ファンを見下したり蔑ろにしたり。周囲の人間に当たり散らしたり。

 その手の言動で実際に炎上する芸能人はインターネットを徘徊していれば頻繁に目にする。

『この人、言動が残念過ぎる』と失望した経験は、大樹にも心当たりがあった。


「スタッフ受けもいいと聞きますね。この手の業界、最後にものをいうのはコミュ力ですから。その点でも『あやのん』は最初から優れた資質を持っていたと思います。真面目で熱心で、誰に対しても隔意を抱くことがない。だから応援したくなる。私たちファンだけじゃなく、一緒に仕事をするスタッフや共演者の方々も彼女を支えたくなる。どんなことにせよ、仕事ってひとりでできるわけじゃありませんから……ごく自然に人の力を集めることができるというのは、とても大切な才能です。いわゆる人徳とでも呼ぶべきものが『あやのん』には最初から備わっていた……わけでもないのでしょうね。我々が見ていないところでは苦労していることもあるでしょうし、努力を積み重ねていることは言うまでもありません。それを我々に見せることはしませんけれど、見ている人はちゃんと見てくれている。だから、信頼されているし重宝されている。名前が売れたこのタイミングで天狗にならないことを祈らずにはいられません。もちろん女優として大成するなら演技力は必要だと思いますが……これは今度のドラマを見ないと何とも言えませんね。ま、誰だって最初から上手く行くなんて楽観視はしていないでしょうが。いずれにせよ、彼女なら遠からず結果を出すのではないでしょうか」


 男と『がらんどう』の早口気味かつ熱が籠った会話に、他の男たちも首を縦に振っている。

 あえて言うならば、真面目過ぎる性格のせいで思い詰めてしまうことがあるかもしれない。そこだけは心配だと付け加えた。

 とりあえず、彼らから見た『黛 あやの』像に大きな食い違いはないらしく、概ね肯定的な印象を抱いていることだけは理解できた。

 単なる思い込みではなく、相応の理由があることもわかった。

 そして……大樹は心の中で冷や汗をかいていた。


――大丈夫……本当に?


 物腰が柔らかい。

 優しい。

 誰に対しても真摯。

 態度に作ったところがない。

 楽しそう。

 コミュ力。

 真面目。

 才能。

 人徳。

 演技力。


 彼らが挙げた『あやのん』の美点は、『黛 綾乃』を知る大樹にとって素直に頷けるものばかりではなかった。

 むしろ半分ぐらい……いや、半分以上は『ねーよ。つーか誰だよ、それ!』とツッコみたくなるようなむず痒さを覚える賛美の嵐で、驚きを顔に出さないように表情筋を引き締めざるを得なかった。

 褒めまくられているようで、ダメ出しされまくっているようにすら聞こえてしまうほど。

 尋ねた本人なのに反応に困ることこの上ない。


――アイツ、キャラ作り過ぎだろ……


 開いた口が塞がらないとはまさにこのこと。

 とてもではないが声には出せなかった。

 何しろ大樹が知る綾乃と言えば――

 可愛くて。

 意固地で。

 胸が大きくて。

 つっけんどんで。

 スタイル抜群で。

 人を寄せ付けなくて。

 素直じゃなくて。

 ほとんど笑顔を浮かべることもなくて。

 コミュ障で。

 真面目で。

 自分の才能なんてこれっぽっちも信じてなくて。

 周りの人間から距離を置かれていて。

 嘘を吐くのがヘタクソで。

 演技なんてとてもとても……

 他にもあれやこれやと問題だらけで――美点や共通点も少なくはないのだが――良くも悪くも目が離せない少女、それが大樹の知る『黛 綾乃』だった。


――調子に乗りすぎるな、とは言っておくべきだろうな。


 さっきの会話の中で『天狗になりすぎさえしなければ……』という言葉が耳に残っている。他の賛辞も、ほとんどは人格面に関するものが多かった印象がある。

 人気急上昇中の今こそ足元をしっかり固めないといけない。

 そういう時期なのだろう。

 仕事や芸能界について彼女にアドバイスできることはない。そんな立場でもない。

 しかし、性格とか生活スタイルに関して綾乃と語り合える人間は、自分しかいないはずだった。彼女と最も近しい自分こそがと言う自負があった。自信があった。自惚れではなかった。

 もちろん、そのままの言葉をぶつけるつもりはない。

 できるだけオブラートに包むべきだとは思うし、もともと聡い綾乃なら多少回りくどい言い回しでも意図を正確に理解してくれるとは思っている。


――綾乃……


 大樹と綾乃の関係は現段階では冷え切っていて、ギクシャクしてしまった間柄を修復できるかどうかも定かでない。

 耳障りのいい言葉を並べ立てて復縁するか。

 あえて苦言を呈して彼女の逆鱗に触れるか。

 どちらが優先されるべきかと問われれば、後者に違いなかった。

 たとえ彼女に嫌われることになったとしても、生粋のファンたちの生の言葉をちゃんと伝えなければならない。

 それこそが自分の役割だと心に刻み込んだ。

 ひょっとしたら、彼女の役に立てる最後のチャンスかもしれないと言う恐れすらあった。


――俺は……お前のこと応援するって決めてるんだからな。


「第4部の参加者の皆さん、『あやのん』の準備が整いましたので、スタジオにお入りください」


 スタッフの声に参加者の表情が真剣なものに一変し、誰もが口を閉ざして動き出す。

 戸惑いを覚えているのは、この場に慣れていない大樹だけ。

 決意を固め直したばかりなのに……と自嘲せざるを得なかった。


「ほら、クスノキさん。一番ですからお先にどうぞ」


「あ、はい。ありがとうございます」


『がらんどう』に促され、スタッフに案内されてスタジオに足を踏み入れる。


――ようやくだな。


 ひとり拳を握り締めた。

『黛 綾乃』と揉めてでも『黛 あやの』を直に見たかった。

 永らく溜め込んでいた想いが溢れて武者震いすらした。

 意気軒昂でスタジオに足を踏み入れて――息を呑まされた。

 そこは、ひとりのグラビアアイドルを撮影するためだけに設えられた人工的な世界だった。

 明るいところがあった。

 暗いところもあった。

 普通の部屋っぽいところもあれば、『どこのセレブの豪邸だよ』と呆れるところもあった。

 家具の配置はあからさまに不自然で、ともすれば違和感すら覚えるほど。

 一応家を象ってはいるものの、人が住むことなんて想定されていない。

 豪勢なハリボテとでも呼ぶべき、ある種の異空間が広がっていた。

 しかして大樹には、室内を見回す余裕などなかった。


「……ッ」


 正面から浴びせられた眼差しに、心臓が止まるかと思った。

 バスローブをまとった少女が椅子に腰を下ろしている。

 白い首筋がわずかに覗くショートボブの黒髪。

 眼鏡を外して露わになった、整いすぎた顔立ち。

 厚手の布越しでもはっきりわかる肢体の凹凸。

 綾乃だった。綾乃のはずだった。綾乃に間違いない……はずだった。

 大樹がよく知るはずの『黛 綾乃』は、大樹が知らない笑みを浮かべていた。

 グラビアでしばしば目にするその笑顔は、間違いなく『黛 あやの』のものだった。


「ようこそみなさん。撮影会第4部、これより開始します」


 艶然と微笑む少女は、ただのひと言で大樹から声と意識を奪っていった。

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