第8話 踏み込んだ先に その3

『さあ、ここが撮影会の受付です!』と言われても、初めて訪れた時にはどうにもピンとこなかった。

 それ以前の問題として、撮影会そのものが上手くイメージできなかったが。

 まぁ、それはともかく参加費用は既に納めている。

 現地についてすぐにスタジオの入り口に立っていたスタッフに到着を告げて、あらかじめ参加者名簿にチェックもいれた。

『ずいぶん早いですね。待合室とかはないんですが』と申し訳なさげに頭を下げられたので『いえ、その辺で待ってますので』と返して、近場をぶらぶらしていた。

『がらんどう』に出会ったのは、その後のことだった。


「お待たせしました」


「いえ、早く着きすぎたみたいで」


「では、こちらをどうぞ」


 厳つい外見とは裏腹に丁寧な対応のスタッフに改めて入金控えと身分証を提示し、代わりに番号札を貰う。


「……1?」


 素っ気ない紙に書かれていたのは、どこをどう見ても数字の1だった。

 1番を意味していることはわかるが、何が1番なのか。単純に考えれば1番最初に撮影できるということだろうが、それがいいことなのか悪いことなのかまでは想像ができなかった。


「これ、何ですか?」


「もちろん撮影する順番ですよ。クスノキさんが1番最初に『あやのん』を撮影できるというわけです」


 後ろに並んでいた『がらんどう』に尋ねると、嫌な顔ひとつせずに教えてくれた。

『ありがとうございます』と頭を下げて、札を表に裏にひっくり返してしげしげと見やる。

『1時間前に来い』と綾乃に言われるままにスタジオに足を運んだ結果が、これ。


「……俺が1番でいいんですか? こういうの、1番最初に手続した人とかの方がいいんじゃ?」


「おっしゃりたいことはわかりますが……まぁ、事務所の方針なんじゃないでしょうか。実は以前に回線がパンクして揉めたことがありまして、それ以来アナログな方針に切り替えたと聞いたことがあります」


「なるほど……」


 教室でアイドルの追っかけをやっている知り合いが、似たようなことで悲鳴を上げていた姿を思い出した。何でもかんでもデジタル化すればいいと言うわけではないらしい。


「もちろん誰だって1番になりたいでしょうね。1番最初に撮影できるってことは、一番たくさん撮影できる機会があるということでもありますから」


「え?」


 うわの空気味に聞いていたせいか、説明の意図を掴み損ねた。

 理解できていないと顔に出ていたのだろう、苦笑を浮かべた『がらんどう』は『野球の一番打者と同じですよ』と続けた。

 大樹たいじゅは野球に詳しくないので、やはりよくわからなかった。


「野球で一番多く打席が回ってくるのは一番打者だということはわかりますか?」


「えっと……」


 言われて考えてみる。

 打順はあらかじめ決まっていて、一番から打席に立つ。

 9人目まで行ったら一番に戻る。その繰り返し……のはずだ。

 それと同じ要領ということは、つまり撮影会でも一番最初に撮影する者が……


「ああ、そういうことですか」


「そういうことです」


「なるほど」


 綾乃あやのに言われたとおりの時間に足を運んだおかげなのだが。

『何でそんなに早くに来なきゃならないんだ?』と文句のひとつも言ってやりたかったところだが、こういうカラクリがあったとは。


――ん?


 違和感を覚えて首を傾げた。

 先日の喫茶店での問答を思い返す限り、綾乃は大樹が撮影会に参加することを望んでいないように見受けられた。

 ……にもかかわらず、綾乃は大樹が一番たくさん撮影する機会を得られるように指示を出している。

 逆にするのが普通じゃないのかと思った。

 ギリギリまで集合場所に足を運ばないようメッセージを送ってきたら、大樹はきっと一番最後に回されていたはず。

 撮影するチャンスも一番少なくなっていたはず。


――アイツ、どういうつもりなんだ?


 わけがわからなかった。

 撮影してほしいのか、してほしくないのか。

 綾乃が何を考えているのか、何を求めているのか。


「カメラの用意は大丈夫ですか? 必要ならレンタルがございますが」


 ブツブツと口の中で疑問を転がしていると、スタッフが尋ねてきた。

 大樹は腰に下げたバッグを軽く叩いて首を横に振った。


「いえ、手持ちがあるので大丈夫です」


「そうですか。では、他の方は?」


 スタッフの反応は素っ気なく、大樹以外の参加者にも同じように声をかけている。

 誰もが大樹と同じく首を横に振った。カメラは全員持参していたようだ。

 綾乃からのメッセージにカメラに関する言及はなかったし、撮影会のページにカメラのレンタルに関する記述はあったが、念のため自前でカメラを用意しておいてよかったと心の中で胸を撫で下ろす。

 周りの参加者たちはと言えば、バッグからカメラを取り出して撮影の準備に入っている。

 大樹も慌ててカメラを出しては見たものの……何をどうすればいいのかイマイチよくわからない。

 一応マニュアルの類には目を通しておいたのだが、もともとカメラにあまり興味がない。

 どこをどう触ればどうなるのか、そのあたりはチンプンカンプンなのだ。

 シャッターの位置をはじめ最低限の機能しか理解できなかった。

 これで本当に大丈夫なのかと俄かに不安になって、『がらんどう』に助けを求めようとして、やめた。

 あちらはあちらで真剣な眼差しでカメラを弄っている。

 他の参加者たちも、迂闊に口を差し挟める雰囲気ではなかった。

 そして……そんな彼らを見れば見るほど、余計に不安が増す一方になる。

 話を聞いた限りでは、彼らはこれまでにも撮影会に参加したことがあるらしい。

『がらんどう』は全員の顔を覚えていた。そんな彼らが真剣に撮影機具の調整を行っていればいるほど、ド素人なうえに何もしていない自分が準備不足に思えてならない。


「いや~、しかし今回は激戦でしたね」


 参加者のひとりが話しかけてくる。

 視線は大樹に向けられていない。


「そうですねぇ……やはり『週刊少年マシンガン』の巻頭を飾った影響は大きいですね」


「一気に知名度が上がりましたからね。デビュー当時から『あやのん』を見守ってきた我々からすると『何を今さら』といったところですが……文字通りの瞬殺でしたからね」


『がらんどう』と顔見知りらしい男は、ここでチラリと大樹を一瞥する。

 瞳の奥に嫌な光が見えた。『何を今さら』の部分をことさらに強調している。

 新顔が現れたことを明らかに歓迎していない。言外に排他的な雰囲気を漂わせている。


――言い返すべきだろうか。


 悩んだ。あるいは躊躇した。

 綾乃からのメッセージには参加者同士での揉め事はご法度と記載されていた。

『この程度の挑発を受け流せないのであれば、そもそも参加するべきじゃなかった』

 そう自分に言い聞かせて――奥歯をぎゅっと噛み締めた。我慢はするが腹は立った。


「そういう言い方はよくありませんよ。別に『あやのん』は私たちのものではありませんし、知名度が上がって人気が上がって高く羽ばたいていく姿を応援するのが、ファンとして正しい姿じゃないかと思いますし。これまでの経験を踏まえれば、彼女はこれからもっともっと上のステージに昇っていくに違いありませんから、『今から』イチイチそんなことを言っていたら身が持ちませんよ」


『がらんどう』は『今から』の部分にほんの少しアクセントを入れて言葉を返した。

 絡んできた男に比べると、彼はずいぶんと穏やかな気質の持ち主らしかった。

 準備を終えたらしい他の参加者たちも、彼の意見にうんうんと頷いている。

 突っかかってきた男も肩を竦めて同意している。大樹も周りに合わせて首を縦に振った。

 中には『そうは言いますけどね、有名になると僕らのことなんてすっかり忘れちゃうような子もいて、寂しくて寂しくて……』などと切実な訴えを口にする者もいた。

 誰もが苦笑していたが――誰も否定はしなかった。


――綾乃はどうするつもりなんだろう?


 喫茶店で小説を読んでいた綾乃の姿が思い出された。

 後からドラマの原作に目を通していたのだと聞かされた。

 ほんの端役だと自嘲していたが、それでも手を抜かずに全力で取り組むあたりが彼女らしいと思った。

 インタビューではグラビアはやめないと言っていたが……あの手の雑誌は本人のイメージや人気を損なうことは書かないだろう。『まゆずみ あやの』の言葉が丸ごとウソとまでは思っていないが、すべて本音と信じるほど大樹は純粋な性格をしていなかった。

 綾乃が芸能人として大成してほしいと願う自分がいる。

 ただ……大樹自身は芸能界に詳しくないし、綾乃の同業者たちのことも知らない。

 何も知らないままに彼女の背中を押してしまったことに、恐怖に近い感情を覚えた。


「……俺、何にもわかってないな」


 綾乃の現在のポジション。

 綾乃の将来の展望。

 綾乃を取り巻く業界の事情。

 本人が好んで話題に挙げなかったから、あえて聞かなかった。

 その選択が正しかったのか、今さらながら疑問を抱かずにはいられなかった。


「わからないなら、これから知っていけばいいと思いますよ」


 微妙にずれた励ましに頭を下げ、さして広くもない室内を見回した。

 ここにいる参加者たちはデビュー当時から『黛 あやの』を支持してきた古参であり、彼女以外にも多くのグラビアアイドルたちを見てきたことを言葉の端に匂わせている。

 彼らが綾乃の成功を疑っていないことは、素直に喜ばしいことだった。

 たとえ関係が拗れていても、綾乃を応援したい気持ちに嘘はない。

 嘘はないが……今以上に彼女との距離が開いていく未来を想像すると、背筋にうすら寒いものを感じずにはいられなかった。

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