第7話 踏み込んだ先に その2
「おや、もしかして『あやのん』の撮影会ですかな?」
いきなり背後から声をかけられて、驚愕のあまり大きく身体を震わせた。
なまじ緊張していたところだっただけに、反応も殊更に過剰なものとなった。
表情を作ることも忘れて振り向くと、そこにはひとりの男性の姿があった。
年齢はおそらく30から40歳といったところ。あくまで見たところ、だが。
言い方は悪いが……中年男性の年齢なんて、ひと目見た程度では判断できない。
衣服は若者が多いこの街に合ってはいるが、本人に似合っているかはまた別の話。
とりあえず顔に見覚えはないし、声に聞き覚えはない。
つまり完全に見知らぬ人だった。
「……そうですけど、それが何か」
喉を震わせて出した声には、警戒の色が混じっていた。
男は大樹を見て苦笑し、懐から一枚の紙片を取り出した。
「ご心配なく。私も一緒ですから」
差し出されたのは、手のひらに収まるほどの小さな紙だ。
なんとなく『名刺っぽいな』と思ったら、『私、こういう者です』と言葉が続いた。
名刺だった。
『がらんどう』
SNSのアカウントと、ホームページのアドレスらしきものが記載されていた。
『変な名前だな』と奇妙に思ったが『ハンドルネームですよ』と言われて納得した。
不躾だとは思いつつも名刺を裏返すと、そこには
こんなものを持ち歩いているのかと眉を顰め、眼前の中年男性を二度見した。
――えっと……要するに、どういうことかと言うと……
『私も一緒』という言葉は『
彼女に迷惑をかけようとは、つゆほども考えていない。
相手方も友好的な態度を見せているのだから、わざわざ邪険にすることもない。
ただ――
「すみません、俺、えっと……
名刺交換なんて、そんな儀式は社会人特有のものだとばかり思っていた。
少なくとも現役高校生にはなじまない風習で、完全に想像の埒外だった。
「いえいえ、お気になさらず。クスノキさんですね。お顔を見たことがない方でしたが、この時間この場所でカメラバッグを下げていらっしゃったので、僭越ながらお声がけさせていただきました」
名字を名乗ったつもりだったが、ハンドルネームと勘違いされた。
別に訂正する必要性を感じなかったので、そのままにしておく。
――どういう人なんだ、この人……
上から下までまじまじと見つめながら、心の中で首をかしげる。
物腰は柔らかく、滑舌に耳障りな濁りがない。
スッと名刺を差し出すあたりサラリーマンっぽい。
動作によどみがなく、熟練を感じさせる。
常日頃から身体に染みついているように見える。
アルバイト先である喫茶店のマスターがコーヒーを淹れる姿に似ていると思った。
『グラビアアイドルの撮影会』という単語から連想される参加者(大樹の偏見まみれ)とはあまりにもイメージが食い違っている。
それでも、本人がそう言うのなら間違いないだろう。
初対面の人間を騙すつもりなら、もっと気の利いたネタを用意するはずだ。
「初めて見る顔って、参加者の顔を覚えてるんですか?」
自分で口にしておいて『変なこと言ってるな?』と呆れた。
申し込みは早い者勝ちで、参加できる人数は決して多くない。
あっという間に『SOLD OUT』の文字が並んでいたところから察するに、基本的に席の奪い合いになっていたに違いない。ならば常連的な存在なんているとは……
「そうですねぇ。大体覚えていますよ」
「そうなんですか!?」
「ええ。ファンは常にSNSに目を光らせているものですが、情報が出るとともに即座に動く顔ぶれというのは、ある程度固定されていますから。何回か参加していれば、それなりに把握できますね。でも……」
「でも?」
問い返すと、男は拳をぎゅっと握りしめた。
顎を上げ、空を見上げると眼鏡がきらりと光った。
単に陽光が反射しただけだったが、やたらと絵になっている。
ただし、どちらかと言うとギャグマンガ的な表現であり大人らしくはない。
「この前、ついに『あやのん』は『週刊少年マシンガン』の巻頭を飾りました。さらには地上波にまで進出するなんて……デビュー当時からのファンとしては感涙ものですが、知名度が上がれば上がるほどイベントの競争率は増すし、彼女がどこか遠くへ行ってしまうような寂しさも感じますし……いや、素直に喜ぶべきだとは思うのですが、こればかりはなかなか……」
『がらんどう』氏は眼鏡をくいっと指で押し上げて感慨深げに息を吐いた。
穏やかな見た目とは裏腹な、興奮気味な早口。
『黛 あやの』に対する並々ならぬ思い入れを感じる。
初対面という点を差し引いても、聞かされる方としてはどうしても気圧されてしまう。
それでも――共感できる部分はあった。
「そうですね。その……ちょっとわかるような気がします」
自分が知っている『黛 綾乃』が、どこか遠くへ行ってしまうような寂しさ。
それは大樹もまた感じていた。高校に入学して以来、ずっと。
ただし、大樹が抱いているのはグラビアアイドル『黛 あやの』に対する感情ではなく、高校受験を共に戦い抜いた仲間であり初恋の同級生でもある『黛 綾乃』に対しての感情だったはずなのだが……
ひとりで俯いていた綾乃に手を差し伸べた記憶。
塾の帰りにコンビニで肉まんを分け合った記憶。
お互いの家を行き来して、一緒に勉強した記憶。
受験前日にスマートフォンで励まし合った記憶。
あの頃は……たった一年ほどの間に色々あった。
苦楽を分かち合った掛け替えのない仲間だった。
本人は過去の記憶を疎んじてはいるものの、大樹にとって綾乃と共に過ごした日々は今なお色褪せることのない大切な思い出だった。
そう思っていたのに……大樹が知らないところで芸能界にデビューし、順調にステップアップを重ねている綾乃を見ていると、急速にすべてが過去に押し流されていくような寂寥感があった。
錯覚であってほしいと、切実に願った。
グラビアアイドル、女優、テレビ出演などなど。
きっと彼女は今後も様々な分野で活躍する。願望ではなく妄想でもない。
それは遠くなく訪れる未来に他ならず、とても喜ばしいことであるはずなのに……素直に言祝ぐことのできない自分が情けなかった。
――綾乃……
湧き上がった感情を持て余し、胸が詰まる。
無意識に喉に手を当てる。
ひんやりとした肌触り。
夏が近い季節だ。夕方とはいえ夜はまだ遠い。
肌はじっとりした熱気を感じているのに、自身の体温を感じない。
「はは、同じファン同士、考えることは同じですな」
「はぁ、そうなんですかね?」
「みなさんだいたい同じような心境じゃないですかね。推しが世間に認知されることを祝福したい心境と、推しが自分だけの推しであってほしいと願う心境の狭間で苦しむ。よくあることです」
「……」
驚いて声が出なかった。
認識に多少のずれはあるものの、その指摘は的を射ていた。
思わず大樹は胸を抑えた。自分の中に渦巻いている矛盾した感情さえ、自分だけのものではないと言う事実に、強烈な衝撃を覚えた。
「ほら、行きましょう」
「あ、はい」
奇妙なリアクションを見せた大樹に『がらんどう』は踏み込んでこなかった。
気遣いゆえか、あるいはこの場限りの出会いに興味がないのか。
どちらにせよ、今の大樹にとってはありがたかった。
促されるままにスタジオの入り口に目を向けると、ここに来た時と変わらないスタッフの姿があった。
こちらはこちらでいかにも関係者ですと言わんばかりの恰好をしているので、すぐにわかる。若干ピリピリしているように見えた。
先ほど受付を済ませた際には、もっと落ち着いた印象を受けたのだが……なんだか警戒されているような気がしてくる。言葉を選ばずに心境を表わすならば、ずっと見張られているような気分だった。
周りを見回してみると、自分たちと似たり寄ったりの雰囲気を漂わせている人間が何人か。彼らも撮影会の参加者なのか……と今さらながらに申し込みが間に合ったことに安堵を覚えた。
「……なんか緊張してきました」
「最初なんて、みんなそういうものですよ。私だって初めて『あやのん』と出会った時は心臓が止まるかと思いましたから」
過去を懐かしむ『がらんどう』の顔はどこか恍惚としていた。
この男が思い描いているのは、きっと自分が知らない綾乃の姿に違いない。
言語化し難いモヤモヤした感情を覚える自分の狭量さに、嫌悪感を覚えざるを得なかった。
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