第16話 その水着は誰がために その3
自分が選んだ、
綾乃は自分を信じてくれている。
しかし――大樹はそこまで自分を信じられないでいる。
ファッションセンスなんて要求されても困るのだ。
「そんなに不安な顔しないで」
「いや、でも……」
「私が信じてるって言ってるんだから……それじゃダメなの?」
怪訝な眼差しと不穏な声。
文字変換したら絶対に疑問符がついている。
綾乃の唇から漏れたのは、そんな声だった。
ほんのわずかに不満まで混じっているように聞こえた。
「ダメって言うかさ、選んだ俺がこんなこと言っても説得力ないんだけど……」
「けど?」
ずっと心に秘めていた謎があった。
綾乃に対する恋心とは異なる、こちらはシンプルな疑問だった。
向けられる視線に込められる圧力の高まりを感じる。
ここで中途半端に止めても、おそらく逆効果。
怒られる覚悟を決めて、口を開く。
「その……これ来て人前に出るの、恥ずかしくないか?」
「え、恥ずかしいに決まってるじゃない」
清水の舞台どころか十三階段から飛び降りる覚悟で口にしたのに、あまりにもあっさり答えが返ってきた。
それどころか、思いっきり首を傾げられている。
「は?」
大樹もまた首を傾げた。
綾乃の反応が解せなかった。
「ちょっと待って。大樹の中の私ってどんな人間になってるの?」
綾乃が憤慨している。
解せない。実に解せない。
『恥ずかしいのなら、何でこの仕事やってんだよ?』
喉元まで出かかった根本的な疑問を、ギリギリで飲み下した。
何か致命的な食い違いが発生しているらしいことだけはわかった。
どこでどのように意思疎通の齟齬が発生しているのかは不明のままだ。
「どんなって……それは……」
綾乃すなわち『黛 あやの』は現役のグラビアアイドル。
カメラマンやスタッフに囲まれて、水着姿で堂々と写真を撮られて、その画像は雑誌だけでなくインターネットを介して瞬く間に世界中に拡散される。
そこに余計な感情が介在する余地はない。
そういう存在だと思っていた。
「だったらよ……この水着はヤバくね?」
「ヤバい水着を私に着せようとした大樹の言うことじゃないわ、ホント」
「だから言ったじゃねーか、俺が言っても説得力がないって」
「ホントそれ……じゃなくって、別にこの水着じゃなくても普通に恥ずかしいからね」
「マジで!?」
「当たり前でしょ」
人前で肌を露わにすることに羞恥心を覚える。
年頃の女子としては当然の反応と言えるだろう。
しかし、綾乃は自らの意思でグラビアアイドルになったはず。
そのあたりの葛藤は既に織り込み済み……と考えていたのだが。
違うと聞かされると、俄かに不安が湧き上がってくる。
「恥ずかしいって、その……なんか無理してないか?」
大樹の問いに、綾乃は即答しなかった。
おとがいに白い指を這わせ、少し俯いて。
言葉を――答えを探しているように見えた。
「まず勘違いしないように言っておくと……私はこの仕事、好きよ」
「……ああ」
「大樹が私をどう見てるかわかんないけど、褒められて嫌な気分になるわけないし。でも、人前でほとんど裸みたいな格好して何も感じてないかって言われると、それも違う」
「……」
「嬉しいとか楽しいって気持ちと、恥ずかしいって気持ちは矛盾しないと思うの」
「褒められたいのか?」
「うん」
たったひと言。
その肯定が、あまりにも重い。
綾乃の、
訳知り顔で『わかる』なんて迂闊に肯定することすらできない。
「それに、グラビアアイドルってごまかしがきかないのが面白いって思った」
「ごまかしがきかない?」
「そう。さっきも言ったけど、この仕事は水着が多い。服が着られないから、身体のラインとか肌の出来具合とかがモロに出る。ある程度はパソコンで弄れるけど、それだって限度がある」
ちなみに自分はまったく弄ってない。
『こんなに楽な子は珍しい』なんて褒められる。
聞いてもいない情報を付け加えてくる、その自尊心。
『綾乃はやっぱり変わったな』と、ひとつひとつの反応に唸らされる。
「それはまぁ、そうだろうな」
「もちろんカメラマンさんやスタッフさんの力がないと仕事にならないってのは間違いないけど……でも、最後にモノを言うのは自分が積み重ねてきた努力なの。ジムに通ったり栄養や料理の勉強して身体を作って。家でもちゃんと運動して。見栄えのいいポーズを研究して、表情も練習して。カメラを前にした時だって、ただ突っ立ってたり寝っ転がってるだけじゃないんだよ。『苦労してる』なんて言いたくないけど頑張って……いい写真ができて、みんなに褒められて。それが凄く嬉しいの。『やった!』って気持ちになる」
「……そっか」
「でも、恥ずかしいって気持ちもある……って言うか、今でもずっと恥ずかしくって『私、大丈夫なのかな?』って不安になったりもする。それでも……凄く楽しい。こういう世界があって、こういう努力がある。自分でやってみるまで全然わからなかった。」
「そっか」
「大樹?」
「いや、ごめん。俺、お前がグラビアアイドルになるって言った時さ、正直びっくりした。『頑張れ』って応援したけど、その気持ちに嘘はなかったんだけど……ずっと『本当によかったのか?』って不安だった。でも……」
「でも?」
「お前さ、俺が想像してたより、ずっとちゃんと考えてたんだな。なんか胸のつかえが取れたっつーか、ホッとしたわ」
「大樹……その、ごめん。不安って、私が仕事のこと話してないからだよね」
悄然とした綾乃の言葉は、否定し難いものだった。
何も言ってくれないから、何とも答えづらい。
この一年に渡るすれ違いの原因は……結局のところ、そこにあると思っている。
――チャンスだよな、今。
今は……今までとは違う。
綾乃はいつになく饒舌だ。
――いや、ダメだろ。
上手く話を持っていけば……と考えて、やめた。
本当は綾乃のことなら何でも知りたかった。
しかし、それ以上に大樹は綾乃を応援したかった。
優先すべきは、あくまで綾乃の意思。自分の欲求は後回しだ。
「まぁ、そうなんだけど……芸能界のこととかわかんねーからなぁ。言えないこととかあるだろうし、その辺は綾乃に任せるわ。何か愚痴りたいことがあったら遠慮なく言ってくれよ」
ワザとらしいほどに軽薄な声を意識すると、綾乃が眉を顰めて問いかけてきた。
「……大樹って、私のこと甘やかしすぎてない?」
「そうか? 俺はお前のために何にもできてねーなって思ってるよ」
「そんなことない。そんなことないし。やっぱり……大樹は私の特別」
「なんだそれ?」
特別。
綾乃の特別。
自分が、綾乃の特別。
意味はわからずとも心くすぐられる。
期待を込めながら口を閉ざし、次の言葉を待った。
「特別って言ったら特別。中学の頃、志望校の合格ラインに届かなくて、お母さんに怒られてばかりで、ひとりで俯いてどん詰まってた私に手を差し伸べてくれた。めんどくさい私の傍にずっといてくれた。グラビアアイドルを始めるって言った時、大樹だけが応援してくれた。今でも学校行く時はいつも守ってくれるし、こうして無茶振りしても応えてくれる。自覚ないかもしれないけど……こんなの大樹だけなんだから。だから、特別」
「……無茶振りしてる自覚はあったのか」
「そこは今どうでもいいから」
想像以上にマジな綾乃を前に、どう反応してよいか判断に困る。
とりあえず照れ隠しの言葉を選んだら、思いっきり睨まれた。
軽く肩を竦めて見せる。藪蛇ではあったが問題はない。
べた褒めで気恥ずかしくて、やはり嬉しかった。
「ま、そんな感じ。うん、ちゃんと話せてよかった」
「俺も」
「何それ、変なの」
「うるせー。そんなことより仕事、頑張れよ」
「言われなくても頑張りますから。好きでやってることだからね」
「おう、応援してるからな」
「ありがと」
「それで……今度はどの雑誌に載るんだ? 『週マシ』の次は『週チャン』か?」
『黛 綾乃』こと『黛 あやの』はグラビアアイドル。
メインの仕事はもちろんグラビア撮影。
現場を直に目にしたことはないものの、イメージはできる。
さっきの綾乃の説明を聞く限りでは、周りにはそれなりの人数のスタッフがいるのだろう。
当然カメラを構えているプロのカメラマンがいて、彼あるいは彼女が写真を撮っている。
そして、出来上がった写真は多くのプロの手を経て雑誌に掲載される。
すべて大樹の想像に過ぎないが……綾乃がこれまでこなしてきた仕事は基本的にそういう流れだと認識していたし、間違っているとは思わなかった。
しかし――
「雑誌?」
綾乃が眉を寄せた。
何を言っているのかよくわからない。
そんな顔だった。
「違うのか? じゃあ、インターネットとかそっち系か?」
インターネットの各種サイトで写真が公開される場合もある。
クラウドファンディング的なサイトで課金して、そのお返しに……なんてパターンから、電子専売の写真集なんてものまで存在する。
大樹の問いに、綾乃は首を横に振った。
「違う違う。まだ情報は公開されてないけど、もうすぐ撮影会あるから焦ってたのよね」
「……撮影会?」
「そ、撮影会」
反射的に変な声が出てしまった。
綾乃の口から出た単語が、大樹が想像していたものと大きく異なっていたから。
綾乃がグラビアアイドルとしてデビューしてから、大樹も少しは勉強した。
だから『撮影会』と言う単語にも心当たりはある。
心当たりはあるのだが……あってしまうのだが……
『人前で水着姿になるのは恥ずかしい』
綾乃は確かにそう言った。
そう言った、のに……
――撮影会……撮影会って、それは……お前……
「大樹?」
返事ができなかった。
世界が色を失い、音が消えた。
モノクロな視界で綾乃が笑っている。
大樹も笑みを返した。そのつもりだった。
本当に笑えていたかは……自信が持てなかった。
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