第15話 その水着は誰がために その2
『好きって言ってもらったの初めてだったから』
『そ。私、これ(テレビドラマ)に出ることになったの』
立て続けにもたらされる情報は、
とてもではないが、まとめて片付けることはできそうにない。
『落ち着け。とにかく落ち着け』と心の中で言い聞かせる。
小さく息を吐き、ショックを隠しながら口を開く。
仕事の方はよくわからなかったので、まずは
「すまん。話を戻すけどさ……綾乃、あのふたりのこと気に入ってる?」
「うん。気に入ってるって言うか嫌いじゃない……ううん、やっぱり好き、だと思う。」
割とハッキリ、しかも即答だった。
昔の綾乃は誰かに嫌悪感を向ける自分を隠そうとはしなかった。
今の綾乃は基本的に誰か寄せる感情そのものを明らかにしない。
表向きはフレンドリーな笑顔で固めていても、心の中には踏み込ませない。
そんな彼女がここまで明確な意思を見せたことに驚きを覚える。
「池上くんはまだよくわかんないけど、
あれだけ会話が弾んでいればさもありなんと納得できなくもないものの、学校で見かける綾乃だって普通にクラスメートと話ぐらいはしている。
それでも綾乃は彼女らに好意を抱いているとは言わない。
「エステも誘ってもらったし」
「え、行くのか、アレ」
今度こそ大樹は目を剥いた。動揺を隠しきれなくなった。
昼食時に綾乃が誘われていたエステについては、大樹も確認した。
高校生云々を抜きにしても正直ドン引きするような価格設定だったのに。
――マジかよ……
大樹がよく知る綾乃は施しを受けることを嫌う。
気に入っている相手なら、なおさら対等にあろうとする。
それなのに……自分の主義を曲げてまでとなると、これは相当なものだ。
『
「うん。誘われなかったら、多分一生行かなかっただろうけど……こういうのはタイミングだなって。私だって、一回や二回行った程度でいきなりキレイになれるなんて勘違いしてないよ。でも……どんなことでも、知っておくこととか実際に体験しておくことは重要だって思うし」
『もちろん犯罪とか、そっちの話は問題外だけど』
そう付け加えながら、綾乃は笑った。
その瞳には真剣な光が見えた。
笑い事ではないのだ。
「……そうなのか?」
「ええ。もし私が自分でエステに行くとして……さっきも言ったけど、何も知らないままの私だったら、きっと秀美さんが行くようなところは選択肢に入らない。そもそも存在に気づかないだろうし、偶然目に入ったとしても値段を見てスルーする。でも……」
「でも?」
「そういうものがあるって知識は無駄にならないし、体験は糧になる。エステに限らないけど……新しいことを経験できるチャンスがあるのにフイにしちゃうってのは基本的に損だなって、仕事始めてから何度も思い知らされてるし」
「なるほど」
意外な熱弁ではあったが、納得できる部分もあった。
知らないことは、そもそも選択肢に入らない。
知らないことで人生損をすることもある。
それはきっと、大樹も同じはずだ。
「その考え方、大人っぽいな」
「え? そんなことないと思うけど」
「……俺も、なんかやってみるかな」
「いいんじゃない? 失敗しても笑って許してもらえるのって学生の特権だと思う」
つまり学生であっても社会人として働いている綾乃には、失敗が許されない状況があるということでもある。なんだか差を見せつけられたような気がした。
ひとつひとつのアクションやリアクションに際して視点が異なる。
同じ年齢で隣を歩いていても、綾乃は大人で自分は子ども。
その実感が堪らなくもどかしかった。
「でも、あれ値段凄かったろ?」
「いくら年間とは言っても、ちょっと信じられないような値段だったよね。まぁ、そこは秀美さんの伝手でとりあえずお試しコースを……ってところ。それでも高いけど、分割払いでって言ったんだけど、『自分が誘ったから』って押し切られた」
憮然とした口ぶりは、いかにも綾乃らしい。
基本的に気が強くて、人の意見に流されることを厭う。
それでも秀美を嫌っていないことは、言葉の端々から滲み出ている。
「友だち少ない綾乃じゃ、あのコミュ力の化身みたいな秀美さんには勝てないだろ」
「ちょっと待って。私、友だちぐらいちゃんといますが」
「はいはい、そんなに強がらなくてもいいって」
「強がってないし。同業者とか事務所にはたくさん友だちいるし。でも……」
「でも?」
「グラビアアイドルのみんなとは仲良くしてるつもりだけど、やっぱりどこかライバル意識があるのは間違いなくて。学校の方は何となく見えない壁を一枚隔ててる感じがするし……やっぱり、大樹の言うとおり普通に話せる友だちは少ないかも」
思いのほかにガチな反応から、一転してトーンダウン。
これには茶化し気味に話しを振った大樹の方が戸惑わされる。
「いや、冗談だから。そんなにマジに受け取るなよ。秀美さんとは上手くいきそうなんだろ?」
落ち込みかけた綾乃を慰めようとすると、今度は首を傾げられた。
――何なんだよ、その反応は!?
大樹にしたって、そこまで人間関係が得意なわけではないのだ。
ちょうど今、綾乃の心情を図りかねているように。
「う~ん、友だちって言うか……私にお姉ちゃんがいたら、あんな感じなのかなって」
「ああ、なるほど……って池上を見てる限りは、あんまり羨ましくならないんだが」
友人というよりも姉。
綾乃の言葉は、ふたりの関係を適切に表しているように聞こえた。
様々な店を回っている間に見せた姿も、『姉と妹』の距離感にピタリと嵌る。
大樹が抱いていた『友人ってのもなんか違うな』的な感覚に正解が与えられたと思った。
「羨ましくないって……それは秀美さんに失礼じゃない?」
「そうか?」
学校では弱点のない完璧超人にしか見えなかった秀一も、姉が相手だと分が悪い。
そんな姿を今日だけでも何度となく目にしてきた。
家の中だと、もっと酷い目に合わされているのだろうか。
想像しようとして――想像以上にキツイ絵面が思い浮かんだ。
頭を振って考えるのをやめた。これも武士の情けと言う奴だ。
――世の中って、何でもかんでもうまくはいかないもんだよな。
「そこは妹と弟の立場の違いじゃない?」
妹ポジションの綾乃は可愛がられる。
弟ポジション(ただし本物)の秀一は弄られる。
そういうものだとナチュラルに考えているように見えた。
「……お前さ、弟と本当に仲良くやれてる?」
「やってますけど!」
「いいけどな、別に。ちょっと心配になっただけだし」
「む~、気を遣ってくれてありがと」
「感謝されることなんて、何にもしてないだろ」
「……それでも、ありがと」
軽く話を振っただけなのに、湿っぽい空気になってしまった。
重苦しい雰囲気を吹き飛ばすために話題を反らす。
「プール、一緒に行くか」
「うん。貸し切りって、すっごい興味ある」
「お前、いつの間にかずいぶん図太くなったなぁ。ホッとするわ」
「なんでそこでホッとされるのか、わかんないんだけど」
ふくれっ面の綾乃に苦笑を向ける。
かつてのように俯いて、何かに耐えるように身を縮こまらせているよりはずっといい。
そう思っただけなのだが、本人を前に口にすることは憚られた。
彼女にとっての中学生時代は、ある種の黒歴史なのだ。
「プールか……貸し切りって、どんなんなんだろうね?」
「想像もつかない」
「私も。だから楽しみだなって。大樹もそう思わない」
「まぁ……思わなくはない」
「何その言い方、引っ掛かるんですけど。私がバカみたいじゃない」
「そこまで言ってないし」
ふたりでプールなりビーチなりに繰り出すことの危険性をスルーしていたので、指摘されて助かったという気持ちが強い。
秀一がついてくるのは微妙だが、秀美がいれば余計な詮索を気にする必要もなくなる。
何の気兼ねもなく綾乃と一緒にいられることは、素直に嬉しい。
「そういえば、お前の水着姿を生で見るのって初めてになるのな」
中学校時代は受験勉強のせいで、それどころではなかった。
高校に入ってからは、プールに限らず何かとスケジュールが合わない。
「生って……大樹、言い方がいやらしい」
「そう感じるお前の方がいやらしいと思うんだか」
「……否定はしないけど、私たちぐらいの歳だったら普通じゃないかなぁ」
「それはたぶん俺のセリフだろ」
「そう?」
中学の頃の彼女からは想像もつかない反応だった。
『黛 あやの』は今を時めくグラビアアイドルで、遠からず大樹が選んだ水着を身に着けた姿が、日本中どころか世界中に拡散される。
それを前提とするならば、今さら大樹の前で水着姿になることなんてイチイチ頓着するほどのことでもない。
――はぁ……
わかっているつもりだった。
割り切っているつもりだった。
それでも心に蟠りは残っている。
「どうかした?」
「いや、その……これで本当に良かったのか?」
大樹の視線が紙袋に向けられた。
そこに入っているのは今日の戦利品。
すなわち綾乃のために選んだ水着だった。
「水着のこと? 何度でも言うけど、私、大樹のこと信じてるから」
何の衒いもなく肯定されると気恥ずかしい。
向けられる全幅の信頼が心地よい。
でも――
――ズレてるんだよなぁ……そうじゃないんだよなぁ……
プロのカメラマンやスタッフの前で身に着けて恥ずかしくないもの。ファンにアピールできるもの。
仕事用だとあらかじめ聞かされていたし、ちゃんと考えて選んだつもりだったし、かなり大胆なものをセレクトしたつもりだ。
だけど……できれば、自分とふたりきりの時に着てほしかった。
せっかくプールに行くのなら、せめて『初めて』くらいは。
さすがに、そんな本音を口にすることは憚られた。
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