第17話 その水着は誰がために その4【第2章最終話】

「撮影会……か……」


 綾乃あやのを家まで送ってから自宅に戻った大樹たいじゅは、夕食もそこそこに自室に籠ってベッドに横たわっていた。

 朝はウキウキして家を出た息子が憔悴して戻ってきたことに両親は戸惑いを覚えていたようだが、大樹は『何でもない。楽しかった』と口にするに留めた。

 

黛 綾乃まゆずみ あやの』こと『黛 あやの』は現役のグラビアアイドル。

 綾乃がどのような経緯でデビューに至ったのか、その詳細は聞かされていない。

 尋ねてみても『スカウトされたから』と、ちょっと不貞腐れた感じに嘯くだけ。

 大樹の側から積極的に話を振ったことはなく、これまで彼女の内心は謎に包まれていた。

 不満がなかったわけではなかったが……それでもいいと思っていた。


 なぜなら――綾乃が変わったから。


 背筋が伸びた。

 胸を張るようになった。

 顔に載せられる表情が明るくなった。

 所作が洗練されて、衆目を集めるようになった。

 四方八方から向けられる視線を堂々と受け止めるようになった。

 すべては、彼女が肌も露わな姿を曝け出すようになってから。理由は一目瞭然だった。

 だから、よかった。

 今だって心の底から、そう思っている。

 そして――今日の帰り道、彼女の心に触れることができた。


『え、恥ずかしいに決まってるじゃない』


『私はこの仕事、好きよ』


『最後にものを言うのは自分が積み重ねてきた努力なの』


『頑張って……凄くいい写真ができて、みんなに褒められて。それが凄く嬉しい』


 綾乃のことを侮っていたつもりはなかったが、彼女は大樹の想像以上にしっかりと物事を考えている。

 正直、話を聞いてホッとした。

 高熱に浮かされたまま応援してしまった自分が彼女に無理を強いていたのではないか。

 そんな心配が、この一年ほどの間ずっと頭の片隅に蟠っていたから。


――でも、なぁ……


 枕元に放り投げてあったスマートフォンを手に取ってSNSを起動。

『黛 あやの』の公式アカウントを表示させると、そこには先ほど本人から聞いたばかりの情報が載せられていた。



 ※※※※※



 黛 あやの@6月21日水着撮影会受付中!


 久しぶりに水着撮影会やります!

 今回は4部制で、それぞれ別の水着を披露しちゃいます!

 現在公開している2着のほか、なんとシークレットが2着も!

 自画自賛と思われるかもしれないけど……今回はみなさんの度肝を抜いちゃうかも!?

 詳細は下記のアドレスにて公開中。

ご予約はお早めに!



 ※※※※※



 アドレスをクリックすると事務所の公式ページに飛ばされる。

 以前にグラビアで見たことがある水着をまとったサンプル写真が数枚。

 開催日、開催場所、撮影時間、参加費その他詳細などなど……様々な情報が掲載されている。

 参加費用は1時間1万5千円。1部当たり5名まで。

 相場はよくわからないが、高校生の感覚だと決して安くはない。

 自分のアルバイト代を基準に考えれば、むしろ高い。

『こんなの参加する奴いるのかよ』と思わなくもなかったが、SNSに戻れば続々と参加を表明するリプが続いている。

 業界第二位の週刊少年漫画雑誌である『週刊少年マシンガン』の巻頭を飾ったことで、『あやのん』こと『黛 あやの』への注目度がどんどん高まっている。

 少なくともSNSで手を挙げている連中は、綾乃と過ごす一時間にそれだけの価値があると認めているのだ。

 彼女の活動を応援する大樹にとっても喜ばしいことのはずなのに、ベッドに寝っ転がったままスマホを弄る胸中は、決して高揚してなどいなかったし、穏やかなものでもない。

 慌ててディスプレイに滑らせた指が震えているのが、何よりの証拠だった。


――なんなんだよ。応援するって言ってただろ。


 最初から、そのつもりだった。

 実際に応援しているつもりだった。

『黛 あやの』は現役JKグラビアアイドル。

 水着姿をカメラの前で披露して、グラビアが世界中に出回って。

 そんなことは、とっくの昔に受け入れたはずだった。


「……だったら、何でこんなにイラつくんだ?」

 

 呪詛に似た声が口の端から漏れた。

 今日、本人の口から直接仕事の話を聞かされた。

 完全とまでは言えないにしても、十分に頷ける内容だった。

 ……なのに、今の大樹の胸には言語化し難い不快感が渦巻いている。

 この不快感の正体に説明がつかない。自分を納得させることができない。


――それにしても……遠いな。


 インターネットで繋がっている『あちら側』すなわち芸能界。

 大樹にとっては縁のない世界であり、身も蓋もない表現をするならば異世界と言っても差し支えなかった。

 しかし、綾乃にとってそこは現実を生きる世界なのだ。

 ふたりの距離は、いつしかこれほどまでに隔てられてしまっていた。

 同じ街に住んでいるのに、同じ学校に通っているのに、生きる世界が違いすぎる。

 

「マジで……遠いよな」


 身体が熱を帯びて気持ち悪さを覚え、寝返りを打った。

 じっとアカウントを凝視していると、新しいコメントが投稿された。



 ※※※※※



 黛 あやの@6月21日水着撮影会受付中!


 応援してくれるみなさん、撮影会のお知らせです!

 ハッキリ言って今回は自信があります。ふっふっふ。

 シークレット2種は今しばらくの間お預けですが……

 期待を裏切ることはないとだけ言っておきます。(あやの)



 ※※※※※



 文末に(あやの)と表記されているということは、これは綾乃自身が投稿したものに他ならない。

 時刻を見ると、午後9時。

 黛家を後にしてから4時間が経過していた。


「あいつ、何やってんだ」


 口を突いて出た愚痴の理不尽さに嫌気がさした。

 綾乃のコメントにはリプが続々とぶら下がっていった。

 そのほとんどは『黛 あやの』の熱心なファンたちのエール。

 途中で同じ事務所に所属している同業者たちから冷やかしじみた投稿もあった。


『あやのん、物凄い自信だけど大丈夫?』


『事務所チェックOK?』


『ハードル上げ過ぎて爆死したらマズくない?』


 などなど。

 ファンのコメントは基本的にスルーしている。

 数が多いから仕方なさそうだし、ファンの側も承知している模様。

 一方で同業者たちのコメントには丁寧に返信している。


『グラビアアイドルのみんなとは仲良くしてるつもりだけど、やっぱりどこかライバル意識があるのは間違いなくて』『やっぱ、大樹の言うとおり友だち少ないかも』なんて寂しげに語っていた綾乃の顔が思い出される。

 今、彼女はどんな心境でコメントを返しているのだろう。

 同業者の投稿は軽めの弄りなのか、本気で心配しているのか、あるいはライバルに対する牽制なのか。ド素人の大樹には見分けがつかない。

 華やかで艶やかな会話の裏に渦巻く思惑は、一介の高校生に想像できるレベルを超えていて、そんな中を懸命にもがいている綾乃が心配でならない。

 大樹の知る『黛 綾乃』は、それほどコミュニケーション能力の高い人間ではない。

 もちろんそれは中学生時代の話であって、現在は相当改善されてはいるが……何かにつけて炎上しやすいSNS界隈のアレコレを目にしていると、綾乃の一挙一動に不安を覚えずにはいられない。


「くそっ」


 心配も応援も嘘じゃない。

 誰よりも綾乃を案じている。自信がある。自負もある。

 ……なのに、大樹の胸の奥から湧き上がってくる感情は重く、苦しく、そして昏い。

 自覚があることが、何よりも質が悪かった。

 綾乃が普段どんな仕事をしているのか、大樹は詳しく知らない。

 ただ、彼女の仕事の成果はグラビアとして世に現れてきている。

 グラビアとひと口に言っても内容は様々だが、綾乃のそれは大半が水着姿だ。

 他のグラビアアイドルをチェックすると普段着や制服など露出度が低いものもあるけれど、綾乃はあくまでストレートに水着で勝負している。

 本人の意思か事務所の意向かはこれまで定かではなかったが、今日の口ぶりから察するに綾乃自身も納得づくで撮影を受け入れていることが窺えた。

 実際のところ、ファンからも彼女の姿勢は好意的に評価されている。

『いいな』と思ったグラビアアイドルが名を挙げるなり、いきなり露出度を下げてしまって深い悲しみに包まれたことは大樹だって経験がある。

 それも一度や二度ではない。


『『あやのん』最高!』


『俺たちの期待を裏切らない、そんな『あやのん』に痺れる(r』


『これからもずっと付いて行きます!』


 コメントから滲み出る感動が手に取るようにわかる。

『週マシ』の表紙を飾って以来の、一発目の撮影会が水着オンリー。

 ファンとしては『黛 あやの』に強い信頼を覚えることは想像に難くない。

 大樹も『黛 あやの』が『黛 綾乃』でなければ、諸手を挙げて賛同していただろう。


 彼女が活動を始めてから今までの間に雑誌やホームページで公開されている写真は数知れず、特にインターネット上の画像データは全世界から視聴可能な代物で。

 それは、ここ一年ほどの間ずっと続いてきたことだ。

 綾乃は人気急上昇中のグラビアアイドルだ。

 わかっている。わかっているはずなのだ。

 すべては――何もかもが今さらなのだ。


「だったら、何でこんなにイラつくんだよ!」


 同じ言葉が再び口を突いた。

 きっと、それは大切なことなのだ。

 だからこそ、本能的に繰り返してしまった。

 部屋の中には大樹しかいないけど、スマホがあるから誰かに――何なら本人に直接尋ねることだってできる。

 知りたいと思った。

 でも、答えを知ることが怖かった。


――綾乃……

 

『大樹は私の特別だから』


 目を閉じれば、くすぐったくなってくるセリフを口にした綾乃の姿が甦ってくる。

 はにかみながら嬉しそうに語る口ぶりまで、大樹の脳裏に刻み込まれている。

 決して色褪せることなどないと疑わなかったその光景が、今や酷く遠い。


「……このままじゃ、ダメなんだ」


 喉を震わせる声は、酷く湿り気を帯びていた。

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