第13話 遭遇 その5
「何やってんの、アンタたち」
呆れ交じりな
ベンチに腰かけていた
醜態をさらしたところに、さらに冷たい眼差しが降り注ぐ。
綾乃と
つくづくタイミングが悪い。
付け加えるならバツも悪い。
「も、もう買い物はいいのか」
「うん、秀美さんに色々教えてもらった」
ノンフレームの小さな伊達眼鏡をかけた綾乃が微笑む。
白い肌が微かに紅潮してるのは、議論が白熱していたせいか、あるいは秀美とのひと時が楽しかったのか。
いずれにせよ、良い傾向だと思った。
「疲れてるのか?」
「別にそんなことないし」
「はいはい。とりあえず、ここ座れ」
「……うん」
腰を上げて綾乃に席を譲る。
隣の秀一が『いいのか?』と目で語りかけてきた。
良くはないが、自分が座ったまま綾乃を立たせておくわけにもいかない。
『ふう』と腰を下ろして息を吐いた綾乃の様子をチェックしつつ、秀美に頭を下げる。
「化粧とか俺にはよくわからねーけど、教えてもらえてよかったな。秀美さん、ありがとうございます」
秀美からは意味深な笑みが返ってきた。
綾乃は微妙に眉を寄せている。
怒ってはいないが、意味がわからないと言ったところか。
――秀美さん、余計なことは言わないでいてくれてるのか。
いきなり綾乃の正体をバラしてくれたせいで第一印象は最悪だったが、ちゃんと話をしてみれば自分たちよりもずっと大人な人物だった。
本人の自己申告を信用するなら二十歳。
たったの三年で、これほどまでに違うのかと驚かされる。
見透かすような眼差しといい、ゴージャスな雰囲気といい、貫禄といい、何もかもが仕上がった感のある女性だ。
恋愛感情を抱くことはないが、素直に敬意を抱くことはできる。
「あ、大樹。夏休みってヒマだったりする?」
「なんだ、藪から棒に?」
「さっき秀美さんと話してたんだけど、一緒にプールいかないかって」
「プール? 一緒に?」
「そ。色々迷惑かけちゃったし、そのお詫びもかねて」
「それは昼飯で終わりなんじゃねーの?」
そういう話の流れだったはずだ。
秀一に目で確認すると、こちらも頷いている。
つまり、秀美の提案は彼女の一存によるもの。しかも割と突発的な奴。
「んもう、水臭いこと言わないでさぁ。大樹くんは綾乃ちゃんとプール行きたくないの?」
「それは……」
ちらりと綾乃に視線を送る。
決して見飽きることのない美貌には、いかなる表情も載せられていなかった。
――何でポーカーフェイスなんだよ!
心の中で思いっきり突っ込んだ。
アイコンタクトも通じない。
逆に綾乃から問われている気がした。
『どっちなの?』と。
――どっちだ……どっちなんだ?
行きたいのか。
行きたくないのか。
答えを間違えれば、綾乃を傷つけかねない。
迷った挙句に、恐る恐る答えを胸の奥から絞り出した。
結局大樹が口にしたのは、素直な本音だった。
「それは……行けるものなら行きたいですけど、綾乃、お前仕事は大丈夫なのか?」
「ま、大丈夫でしょ。大樹がどうしても行きたいって言うのなら都合つけられると思う」
「お前な……」
しれっと言ってのけた綾乃を睨む。
どう見ても喜びを隠しきれていない。
大樹の方も、実際のところ照れ隠しだ。
「はいはい。ふたりとも行きたいって思ってるみたいだけど……本当に行けると思う?」
「え?」
「は?」
秀美の言わんとするところを掴み損ねた。
大樹も綾乃も眉を顰めて首を傾げる。
わざとらしげなため息に講釈が続いた。
「さっき私がやらかしたアレを思い出してみなさいってこと。綾乃ちゃんとふたりでプールデートなんてヒューヒューって応援してあげたいところだけど、この子を連れて市民プールとか行ったら大変なことになりそうだって考えなかった?」
さっき秀美がやらかしたアレ。
思い当たるのは――往来で綾乃を『あやのん』呼びしたアレ。
要するに人気急上昇中のグラビアアイドル『
「……確かに」
「ああ、間違いないね」
「……」
弟をどかして綾乃の横に腰を下ろした秀美が、挑発的な問いを投げかけてきた。
秀一は肩を竦めながらも姉に同意し、ふたりで似た視線を向けてくる。
綾乃は俯いて口を閉ざしているが……明らかに悄然としている。
「それは……」
『掃き溜めに鶴』とまでは言わないにしても、人目を集めまくることは想像に難くない。
「だから、私がどこかのホテルのプールとかビーチを借り切って、そこで一緒にって話。貸し切りなら余計な邪魔は入らないでしょうし、私たちがいたら邪推する余地はないでしょ」
「たち?」
訝しむ秀一の足を、姉が乱暴に蹴った。
このシチュエーションで、このボディランゲージが示すところは明白だった。
「そ、私たち。いいでしょ?」
「姉さん、それはいくら何でも……」
秀一が頷かなかったのは、大樹が綾乃に向ける好意を確認したからだろう。
『諦めるつもりはない』と言っているし、それは本心なのだろうが……それはそれとして、あまり出しゃばるつもりはなかったらしい。フラれた直後だからクールダウンする意味合いもあるかもしれない。
ただ――
――あ、この人には伝えてなかったわ……
あれはあくまで大樹と秀一の会話で会って、秀美の耳には入っていない。
秀美はなぜか大樹を買ってくれているが、弟のアシストを止めるつもりもないようだった。どちらかと言うと彼女自身が綾乃を気に入っているようにも見えるから、弟のことはついでなのかもしれない。
それはそれとして、事実は事実として認めなければならない。
迂闊だったことを。
否、綾乃をピンチに追いやる可能性を見過ごしていたことを。
「……正直、そこまでは考えていませんでした。確かに綾乃を連れて普通のプールに行くってのは危ない気がする」
「さすが大樹くん、わかってる」
「でも、その……いきなりそんなことを言われても困ると言うか。ホテルのプールとかビーチを丸ごと貸し切りとか、俺たちの感覚とかけ離れ過ぎてるし」
「それはまぁ、そうだろうね」
姉の暴走に振り回される弟がしみじみと語る。
なぜか顔を顰めていたので足元に目をやると、姉のヒールに足を踏まれていた。
『弟は大変だな』と同情せざるを得なかったが、余計な飛び火を避けるために口を差し挟むつもりはなかった。
「そっか。私ったら、またやりすぎちゃったか~」
「ご厚意はありがたく思うんですが……」
「だったら、連絡先交換しよ」
やんわり断ろうとしたら、秀美がいきなり方向転換した。
厚意を袖にされた割には、ケロッとしたものだった。
話の筋道が読めない。綾乃も首を傾げている。
「何でそうなるんですか?」
「だって、今いきなり言われて答えられないってことは、時間をかけて考えたらイエスになるかもしれないってことでしょ?」
「それは……そうかもしれませんけど」
「だから、そういうときのために交換。この子に言ってくれてもいいんだけどね。姉の私が言うのもなんだけど、こいつ意外と当てにならないし」
秀美は秀一の足を何度もつついている。
『そうだろうか?』と思いはしたが、ツッコミはしなかった。
綾乃に視線を向けると……戸惑ってはいるようだったが、否定的な感じはなかった。
「じゃあ、連絡先ぐらいなら」
「うんうん、この調子でプールの件も前向きに考えてくれると、お姉さん嬉しいかな」
「……善処します」
――もうここでOKしてもいいような気がする……
即答を避けはしたものの、夏の予定は埋まったも同然だと感じられた。
『プール』と聞いて以来、綾乃のテンションが上がっているのが見て取れたから。
これなら連絡先の交換だけでなく、きっとプールの貸し切りについても前向きに考えるに違いない。何ならすでに無理矢理スケジュールを空けにかかる算段を頭の中で巡らせていてもおかしくはない。
大樹よりもプライベートの秘匿レベルが高いはずの綾乃が腹積もりを決めているなら、これを妨害する理由はなかった。
元より彼女と一緒にプールなり海なりに行く方法なんて思いつかなかったのだから。
「ま、ウチの系列のホテルならいつでも行けるから、ゆっくり考えてみて」
「系列って……色々すみません」
押しが強い。
ただ強引なだけなら不快感が伴いそうなものなのに……秀美の立ち居振る舞いは堂に入っていて違和感を覚えることがないし、大樹たちにとっても利益があるから断りづらい。
秀一が言いなり気味なのは、何も姉弟という血筋的な関係性が原因なわけではなさそうだった。
何と言うか……彼女はパワーのある女性だ。
物理的な強さではなく、精神的な強さを備えている。
アルバイト先の店主のように年齢や経験を重ねた人格とも違う。
その強さの根源を知りたかったが……容易に知れるものではなさそうだった。
「これでよし……と」
「おお」
「綾乃さん、後で連絡するね」
「アンタは自重しなさい。ねぇ、大樹くん」
大樹と綾乃と秀美そして秀一の連絡先が、それぞれのスマートフォンに追加される。
自分のスマホに秀一の連絡先が入っているなんて奇妙だなと呆れてしまったが、ひと目でわかるほどにウキウキしている綾乃を見てしまうと『まぁ、いいか』と許せてしまう。
「秀美さん、色々ありがとうございます」
そして、綾乃はすっかり懐柔されていた。
気の置けない同性の友人、それも年上に飢えていたのかもしれない。
――もう少し気を配った方がいいな。
これまで学校ではあまり綾乃に近づかないようにしていた。
彼女の高校生活を邪魔しないための配慮のつもりだったが、却って孤独を強いていたのかもしれない。
ほんのわずかな時間で急激に接近した秀美との距離感を見る限り、その推測は間違っていないように思えた。
「いいのいいの。私は好きでやってるだけだから」
「「それは見ればわかります」」
思わず零れた声は、期せずして綾乃とハモった。
秀一は口元を引き締めていたが、たぶん内心では同じことを考えていただろう。
カラカラと笑う秀美以外の三人の心は、きっとその瞬間ひとつになっていた。
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